第9話-5

 私はメロンソーダをすすりながら、いつかここにソラさんと来たときの思い出にさまよう。

 メニューを見て、目を白黒させていたソラさん。

 私のつくったクッキーを、ここのコーヒーと一緒に味わいたいと言ってくれたソラさん。

 私がはじめて飲んだコーヒーに、ミルクと砂糖を入れてくれたソラさん……。

 そうだ、ソラさんは初対面の鈴香さんを、異国の人だと思ったんだ。


 そんな鈴香さんは、今日も金のおかっぱヘアを美しく輝かせている。そして深刻に話しあう私たちを、そっとしておいてくれている。


 涼介と陽彩と私。秘密を分かちあった、かけがえのない仲間だ。思えばソラさんとの出会いがあって、陽彩とも仲よくなれた。


 涼介との関係はこじらせながら、それでも、前とはあきらかにちがってきている。


「こんどさ、ソラの墓参りに行かない?」

 とうとつに涼介が切りだした。

「それ、自分も行きたい!」

「私も……行きたい。ほんとうのさよなら、ソラさんにまだ言ってないから」

 私のことをぐっと見たあと、涼介はうるんだ瞳で、笑ってみせた。

「なあ、小春。オレ、ずっと待ってるから」

「ん? なに涼介、自分のいる前で告るなよ。そーいうのは、ふたりきりのときに熱くやって」

 陽彩が顔を赤くしている。


「だってさ、小春は優柔不断なところあるから、誰かに証人になって聞いててほしいっていうか」

 私は涼介の照れ笑いを受けながら思った。

 ソラさんを涼介の中に見ることを、面影をさがすことを、もうやめよう。

 涼介をひとりの男子として見ることを、こころがけよう。

 そうしないと涼介にも、ソラさんにも、失礼なことだ。

 涼介は、この世界にただひとり。

 そして私のたいせつなソラさんも、ただひとりきりだった。


 言えずにいた「好き」という気持ちを、今も抱いて、持て余しているけれど。

 そんな私を、涼介は受け入れてくれている。

 私は彼を見つめた。


「涼介、ありがとう」

 ありったけの思いを打ち明ける。

「ソラさんが生まれ変わって、またこうして出会えて……ちょっとまだ信じられないし、かなり複雑だけど、すごくうれしい」


「え、ちょっと待って。それって今、涼介に告ったわけ?」

 陽彩がにやついて茶化すから、私は「ちがうよ~」と否定する。

「だって私、まだソラさんが大好きだもん。涼介は幼なじみ! それ以上でも以下でもないの……今のところはね」

「小春、それってオレ、夢見ていい感じ? 未来はわかんないってこと?」


「未来なんて、わかんないよ。だからこそ、夢が見られるの」


 私の言葉に、満足そうに涼介はうなずいた。私はつけたす。

「過去も現在もよく見つめて、未来を向いていたいよね」

「だよな。だってオレたちまだ、高校生だもんな!」

「それな! でもマジ小春ってば、意外と涼介とお似合いだよ。涼介はイケメンだけど、そこは安心しな。ほら、蓼食う虫も好き好きっていうか」

「誰が蓼なわけ? どうせ私はブスですよーっ!」

 私は陽彩のほっぺたをつねってあげた。

「痛ってえ!」

「あ、陽彩の変顔!」

「うるさいの」

 陽彩はもっとヘンな顔をするから、思わず噴きだしてしまう。


「やっと笑ったな、小春」

 黙って見ていた涼介に、しみじみと言われた。

「よかった。自分がこんなにイケメンじゃなきゃ、変顔も威力は発揮しないよな」

 陽彩が、両手で顔を横に、ぷにいっと広げる。だからまた、笑ってしまう。

「ふたりとも……ありがとう」

 心配してくれていたんだ。私はひとりじゃない。たいせつな仲間がいる。

 だけどここに、ソラさんはいない――。

 


 家に帰ってから、丈琉の部屋にお邪魔した。小さい弟に癒やされたかった。

「塾はどう?」

 勉強机に向かう、その愛くるしい背中に訊いてみる。丈琉は熱心に『広辞苑』を見ているところだった。

「うん、まあまあ楽しいかな」

 くるりと椅子を回転させて、振り向いた彼は、あの青いTシャツを着ていた。

 ソラさんにつきあってもらって買った、カタツムリのイラスト。

 ソラさん、見て。丈琉がちゃんと着てくれているんです。かわいいでしょう? 丈琉も、カタツムリも。

「小春姉ちゃん、どうした? 泣いたあとの匂いがするよ?」

 心配そうな顔で訊かれて、我に返る。

「あ、ううん。なんでもないよ」

「そう? あのね、ぼく、これからどんどん勉強で忙しくなるから、だから最後の作品、小春につくったんだ」

「私に?」

「うん」

 辞書を閉じて、丈琉は立ちあがった。勉強机の引きだしを開ける。

「プレゼント! 殻は大きくしてみたよ」

 丈琉のてのひらに、ビーズでこしらえた、立体的なカタツムリが載っていた。

 黄色くて大きなふっくらした殻に、真っ白の身体。 

 その殻には、どんなかなしみがつまっているんだろう。

 かなしみだけではないかもしれない。

 楽しいことも、うれしいことも、恋しさもときめきも、いろいろなものがつまっているのかもしれない。

 私が、そうであるように。

「ありがとう、丈琉。カタツムリだなんて最高のチョイス!」

「なんとなく、それかなって思った。チンアナゴのお兄さんとの、思い出かなんかなんでしょ? あの人、もういなくなったみたいだけど」

「知ってたの?」

「まあね」

 片えくぼの浮かんだ小さい弟を、ぎゅうっと抱き寄せた。

 ちゃんと言葉にしていこう。思っているたいせつな気持ちは、ちゃんと伝えないと。

「ほんとうに丈琉、いい子! かわいい! さすが私の弟!」

「ちょっと小春、苦しい。胸、めっちゃ当たってるし」

「やだ、スケベ!」

 あわてて丈琉を離すと、にこにこと笑っていた。

「もうっ!」

 ふくれてみせて、窓辺に向かう。


 外はしとしと、やさしい雨が降っている。

 てのひらに、ビーズのカタツムリを載せてみた。

 このカタツムリは、戦争を知らない時代に生きてほしい。ソラさんの書いたという童話の、でんでんむしとはちがって。


 たとえ歴史に名を残せなかったとしても、本を出すという夢を叶えられなかったとしても、彼は生きていた。


 私はそのことを忘れない。彼の澄んだ心と、どこまでもやさしく気高い志を。


 雨は静かに降りつづく。だけど私は知っている。

 グレイの空の上には、蒼い空が広がっていることを。一点の雲もない空は、まさに蒼穹という名の、ソラさんの心だ。

 

 陽彩のおばあさんから、薄田蒼穹さんの書いた童話を読ませていただくのを、心待ちにしている。そこから学べるものは、たくさんあるだろうから。

 彼の遺志を継ぐなんて、大それたことは言えない。ソラさんのかなしみは、ソラさんのものだ。

 それでもソラさんをめざして、もっともっと近しくなりたいと思う。

 そして、涼介ときちんと向きあおう。


 抑えようとしてもまた蘇る、ソラさんへの〝好き〟という気持ち。

 私をいつだって見守ってくれる、涼介への〝ありがとう〟という気持ち。

 いつまでもソラさんを引きずる私を、待っていてくれる涼介は、これまで以上にたいせつな存在になりつつある。

 揺れて揺らいで、そうして私の中の真実を見つけたい。

 少しずつ変わっていくかもしれない今の私を、歌に詠めていけたらいい。


 心で思っているだけでは、なんにもはじまらないんだ。

 私たちは小鳥のようにおしゃべりではないけれど、カタツムリのように無口でもない。言葉の意味をちゃんと知っている。

 だからこそ、本心を隠すこともある。それでも表現しなければ、なんにもはじまらない。

 怖れるよりも受け入れて、前を向いて歩みたい。

 あのころからずっとつながっている、この空の下で――。



                               了






参考文献

『ごんぎつね でんでんむしのかなしみ―新美南吉傑作選―』新美南吉 著

新潮社 新潮文庫

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君の中のふたり~幼なじみ男子と、彼の中のもうひとりのあの人と 東山未怜 @kalsha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画