第9話-4

 涙で文字がぼやける。

 達筆な、旧漢字まじりの、たしかにソラさんの筆跡。


 情報量が多くて戸惑う。

 来世……ということは、つまり。


「ソラさんは、涼介の前世なの?」

 涙まじりの声で訊いてみる。


「なに前世って!」

 すっとんきょうな陽彩の声に、涼介は首をたてに振る。


「そう、ソラはオレの前世。そんな気がしてた。そう考えれば、ソラへのなつかしさやせつなさの説明つくし。オレが頭を打ってから、オレの中に前世のソラの魂だけが、タイムスリップして蘇ったんだって思う」


「前世の魂が、タイムスリップ……」

 陽彩のつぶやきが私の中でこだまする。


「こんなことってあるんだな。なんかもう、感情が追いつかないよ。だけどオレの本能が、そうだって確信した。この手紙を読んで」

 涼介はそこまで言うと、唇を噛みしめた。

 ――前世。

 このあいだ、陽彩が言っていたことだ。まさか、そんなことがあるなんて。

 涼介がこの世に生まれ出る前に、その魂はソラさんの身体にいた。

 

 私の初恋といっていい人が、幼なじみの涼介の前世だなんて。

 言葉もなく涙ぐんでいると、隣にすわる陽彩が私の肩を、ぽんぽんとたたいてくれた。


「ごめん、その手紙、わきから見ちゃった」

「陽彩……」

「あの空襲を経験するなんて、想像を絶する怖ろしさだよ。だからこそ小春を思って、ソラはこっちにいるあいだに覚悟を決めたかったんだね……向こうで死なないと、涼介に転生できないから。愛の形だね」


 それであのとき、「逢いたい人がいるから、本所区にいないとならない」、そう言ったんだ。なんてかなしく、残酷な決意だろう。


 東京大空襲を知っている、ここでのソラさんは、どんなに怖かっただろう。私の存在が、少しでも心を軽くできていたならいい。


「前世とか来世って、ホントにあったんだな」

 陽彩がつぶやいた。


 来世がどうより、ソラさんにとっての〝今〟を見つめてほしかった。

 戦争を生き抜いてほしかった。

 それで、おじいさんになってからでも、私を見つけてほしかった。


「泣いちゃいなよ。弔うためにもさ」

 穏やかな陽彩の声が、ありがたい。


「オレ、わかるんだ。ソラはカッコつけて書いてるけどさ。やっぱり向こうに戻って、こっちでのこと、憶えてなかったんだよ」

ここでの記憶を持って帰れないのなら、大空襲が起きることを知っていて、それを受け入れるなんていう行為はなかったはずだ。。


「オレが向こうで見たのは、いつだってただの二十歳の童話作家志望の学生で、未来のことも小春のことも、なんにも憶えてない、なんにも知らない、ソラだよ」

「そう……なの?」

「ああ。だってホントにそうだった。オレが言うんだから、まちがいないよ」

 ソラさんの記憶を持つ涼介が言うのだから、そうなんだ。


 それでも未曽有の大惨事の中、ソラさんが命を落としたことに変わりはない。

 戦争なんか、どうして起きるんだろう。

 そしてたくさんの人の死の上に、私は今、生きている。


「自分ら結局、なんにもできなかったね。未来にいて歴史を知っているだけ。無力だなあ」

「陽彩、少なくとも小春は無力じゃなかったよ。傷ついていたソラに、笑顔をたくさんくれてさ。それってすごく、ソラの生きる力になったんだよ」

 そうだったらいい。涼介をこっそり見ると、はにかんでいた。

 私はもう一度、手帳を見た。


「ねえ、薄田蒼穹さんていうのは、ペンネームだったんだね。本名は、ここに書いてある、杉田颯、なんだね」


「へえ、オレ、名前までは知らなかった。なんで本名、名乗らなかったのかな」

 涼介の疑問は、もっともだ。

「そうだよね……もしかして、この世界でソラさんは、自殺未遂した自分とはちがう、もうひとりの自分として、生き直したかったのかも」

「ああ! 小春、そうかもな。それでペンネームを教えたのかも」

 ふいに陽彩が「ちょっと待って」と言った。


「……杉田颯……どこかで聞いたことあるんだよなあ」

「そっか、陽彩の名字って、杉田さんだもんね」

 名字が同じということに、私は驚く。


「うん……ばあちゃんが婿を取って、杉田の名前を継いでさ……ん? ばあちゃんのお兄さんが、たしか颯って名前だったよな。当時にしてはめずらしく、男でも童話を書いていたらしいけど……あれっ? 東京大空襲で亡くなったって聞いてるよ!」


「童話? なんで早く言わねえんだよ。ソラは童話書いてたんだよ!」

「なんだよ涼介。おまえだってソラさんが童話書いてるって、自分に言わなかったじゃんかよー!」

 言いあうふたりの声を、ぼんやり聞きながら、私は偶然のご縁に身体が震えている。


「そうだったの……ソラさんは陽彩の、大伯父さん……」

「ってことはだよ? 陽彩はオレの前世の親戚か!」


 目と目を合わせたふたりは、がしっと握手を交わした。

 やがて陽彩は、深刻な顔で教えてくれた。


「颯さんは両親、つまりうちのばあちゃんの両親と避難する途中で、親とはぐれた少女に会ったらしいよ。その子が燃える柱の下敷きになるところを、必死でかばって……亡くなったって聞いてる。おかげでその子は無事だったって。ばあちゃんの両親も、その子と一緒に逃げる途中で……」


 どんなに壮絶な状況だったろう。どんなに恐ろしく、苦しく、無念だったろう。

それでもソラさんは、身を挺して小さな命を守った……。

 涼介の嗚咽が聞こえる。私も涙がこぼれ落ちる。


「ねえ、ソラさんと陽彩のおばあちゃんのご両親も、空襲で亡くなったのに、どうしてソラさんの最期がわかったの?」

「自分のばあちゃんが、両親を看取ってくれたその子に聞いたことなんだって。疎開先から家のあった場所に帰ると、その子がいたって。その子は、ばあちゃんへの手紙を託されて、ばあちゃんを待ってたんだ……ばあちゃんもその子も、みなしごになって、かなり苦労したらしい」

 戦争が、小さな子の運命さえももてあそぶ。なんて愚かなことだろう。どれだけの人の人生を狂わせただろう。

「うちのばあちゃんは戦時中、東京から長野に疎開しててさ。さびしくてふるさとが恋しい疎開先に、お兄さんの颯さんが自分で書いた童話を、よく送ってきてくれたって。ばあちゃんが、今でもたいせつに保管してるよ」

「読みたい!」

 私の涙声が、カフェに大きく響いた。

「陽彩、お願い。私にいつかそれ、読ませて」

「いつか? 早いほうがいいよ。ばあちゃん、身体弱ってるから、早く会ったほうが」

「会わせてくれるの?」

「もちろんだよ! へえ、すごい偶然だな」

「ちがうんじゃね?」

 涼介がつぶやいた。

「それって、偶然に見せかけて、必然なんだよ。運命のいたずらってやつ? オレたちは縁があって、つながるめぐりあわせだったんじゃないかな」

「なに、涼介。ソラのなごり? 大人びちゃって」

 からかう陽彩に、「うるせえ」と、涼介は笑い飛ばしている。

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