第5話 最後のパラレル
「母の死に目に会えなかった運命と納得。これはフィクションです。」
私の名前は青澤影苦労。親が「影で苦労できる人間に」と名付けたらしいが、正直言って恨みしかない。普通の名前にしてくれれば、人生もう少し違っていたかもしれない。
今年で58歳。漫画家志望だが、まともな作品一つ描けないまま時だけが過ぎた。両親を亡くしたばかりのフリーター。ADHDと診断されていて、集中力が続かない。亡くなった叔母と父と母の年金で何とか生活している。ダメ人間の極みだ。
最近、カクヨムに「ノッペラボウ」をテーマにした女体化ありの小説を投稿したが、全く人気が出なかった。次の題材に悩んでいる時、家の前に落ちていた犬のフンを見て「これを題材にした小説はどうだろう」などと考えていた。そんな私の人生に、突然の出来事が起きた。
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3月27日の朝、私は携帯の着信音で目を覚ました。
「青澤さん、お母様の容態が急変しました。できるだけ早く施設にいらしてください」
電話の主は「終活支援センター」という団体の人だった。小学6年生の時に両親が離婚し、母は再婚相手と暮らしていたが、一昨年にその人も亡くなり、都会から離れた田舎で一人暮らしをしていた。昨年の暮れに腰の骨を折って入院した際、末期のがんが見つかったと聞いていた。
母は私に会いたくないと言っていたらしいが、遺書や墓の問題など全て頼んでいた終活支援センターから、亡くなる少し前に連絡があったのだ。病院から退院して施設に入ったが、医者からは「先は長くない」と言われ、本人も「死にたい」と言っていたという。
「今日の昼に伺います」と私は返事をした。
しかし、準備をしていると、足に違和感を覚えた。熱っぽさと痛みが徐々に強くなる。これはまずい。私の持病である蜂窩織炎の症状だ。足にバイ菌が入って高熱が出る病気で、何度か経験があった。
案の定、体温計で測ると38.5度。このままでは母のいる施設には行けない。
「すみません、持病が急に悪化して高熱が出ました。今日の面会は中止させてください」
私は支援センターに連絡した。担当者は「わかりました、お母様にお伝えします」と言った。
そして夕方、再び電話が鳴った。
「青澤さん、大変申し訳ありません。お母様が先ほど息を引き取られました」
その言葉を聞いた瞬間、何とも言えない感情が私を襲った。悲しみではなく、罪悪感だった。最後の最後で母の死に目に会えなかった。親孝行もできなかった。母は一人で苦しんで死んだのではないか。
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数日後、母の火葬には出席した。遺言通り、最近になって相続のお金も受け取った。しかし、心の中のモヤモヤは晴れなかった。
「なぜあの日、蜂窩織炎になったのか」
「なぜ母は最後まで会いたくないと言っていたのか」
「本当に母は一人で寂しく死んだのか」
そんな疑問が頭から離れなかった。
ある夜、私は奇妙な夢を見た。
白い霧に包まれた部屋で、母が座っていた。若かりし頃の姿だった。
「影苦労、来たのね」
母は穏やかな笑顔で私を見た。
「母さん...最後に会えなくてごめん」
「何を言ってるの。全部計画通りよ」
「計画?」
「あなたが来なかったのは偶然じゃない。私が仕組んだのよ」
私は混乱した。「どういうこと?」
「あなたの足の病気、蜂窩織炎。発症するきっかけは何だったかしら?」
考えてみると、その日の朝、庭の薔薇の棘で足を軽く傷つけていた。しかし、それだけで発症するものだろうか。
「実はね、あなたが寝ている間に、私はあなたの足に触れたのよ」
「え?」
「私の霊がね。あなたの足に触れて、バイ菌を活性化させたの」
「そんなこと...できるの?」
「死ぬ前の人間には、不思議な力があるのよ。特に血のつながった子供に対しては」
私は言葉を失った。
「なぜそんなことを?」
「あなたに会いたくなかったからじゃないわ。あなたに苦しむ私を見せたくなかったの」
母は静かに続けた。
「末期がんの苦しみは想像以上よ。痛みで顔が歪み、呼吸も苦しい。そんな姿を子供に見せたくなかった。だから、あなたが来る直前に、私は自分の意思で旅立ったの」
「自分の意思で?」
「ええ。医師に頼んでおいた鎮痛剤の量を増やしてもらったの。痛みが消えて、眠るように...」
「それって...」
「安楽死のようなものね。日本では認められていないけど、私の担当医は理解のある人だった。誰にも言わないでね」
私は涙が止まらなかった。
「でも、なぜ私に会いたくないと言ったの?」
「あなたが罪悪感を感じないように。『会いたくない』と言っておけば、あなたは無理に会いに来なくても自分を責めないでしょう?」
「でも結局、最後の最後で会えなかったことに罪悪感を感じてる」
母は優しく笑った。
「だからこうして夢で会いに来たのよ。あなたに真実を伝えるために」
「母さん...」
「影苦労、あなたの名前には『影で苦労できる人間に』という意味だけじゃないのよ」
「え?」
「『影のように寄り添い、苦労を分かち合える人間に』という願いも込めたの。あなたは十分に親孝行してくれた。だから、もう自分を責めないで」
母の姿が徐々に霧の中に溶けていった。
「あなたの人生を生きなさい。私はいつもあなたを見守っているから」
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目が覚めると、枕が涙で濡れていた。夢だったのか、それとも母の霊が本当に訪れたのか。それは分からない。
しかし、不思議と心が軽くなっていた。母は最後まで私のことを考えてくれていたのだ。
その日から、私は少しずつ変わり始めた。秋には再就職しようと本気で考え始めた。そして、母との最後の対話を小説にしようと思い立った。
「母の死に目に会えなかった運命と納得」
タイトルを書きながら、私は思った。
「これはフィクションです」と書いておこう。誰も信じないだろうから。
でも、私は知っている。これは単なるフィクションではないことを。母は最後の最後まで、私を守ってくれていたのだ。
そして今、私は母から受け継いだ「影のように寄り添い、苦労を分かち合える」という名前の意味を胸に、新しい人生を歩み始めている。
母の死に目に会えなかった運命と納得 青澤影苦労シリーズ 赤澤月光 @TOPPAKOU750
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