第五十話
火に晒された物質が色を失うのと同じように門を装飾していたカラーパが消えた。とはいってもカラーパは熱せられたわけでも水を掛けられたわけでもないのだが。
膝を突いて砂にこぶしを打ち据えたのは珠衣だった。 まるで、英雄の訃報でも耳にしたみたいに珠衣は項垂れている。彼女が握った拳がわなわなと震えているのとは対照的に彼女の露出した項を三条の裂け目が静かに開閉を繰り返している。首エラだ。
カラーパが消えて現れたのは凪の海を縦にしたみたいな平板な門だった。それは、凹凸のない鏡のようでありかつどこか海を思わせる深みのような暗さがあった。
「お連れ様はどうなさったのですか?」
門番がとうとう腕すらなくした。槍が彼の肩から滑り落ちるのを那由多が掴んだ。
「私ですか。私は平気ですけど」
「いいえ、あなたではなくお連れ様です」
門番が首を振ると「ああ、この子のことですか」と那由多は珠衣の隣の何もない空間を指さした。
「違います。その隣のお嬢さんですよ」
忍耐強い門番だ。
「カラーパはいつでもどんな時でも同じ場所に存在し続ける普遍的な霊体である。」
まるで、辞書でも引くみたいにもう一人の門番が言った。唐突だった。
珠衣は首を振った。どうやら、納得していないようだ。
「見えないだけです。」と門番。
「そのとおり。」ともう一人の門番。
そして、やはり珠衣は黙ったままだ。
「なんか、トバリみたいだヨ」と言ったのは朴須臾だった。珠衣がビクンと肩を震わせ赤鼻人形を振り向いた。
「ヘンなことで悩みやがってヨ」
赤鼻人形は容赦なく言葉をつづけた。
珠衣は項垂れた。
二人の会話が途切れるのを待ってから那由多が言った。
「門番さん、ドレスシィの外に入れるでしょうか?」
門番は目を細めて那由多の顔を読んだ。まるでそこに、証文でも書かれているみたいに。
「外?中じゃなくて。」
「外じゃなくて中です。」
と那由多に代わって糸厘が訂正をした。
「なるほど、一応尋ねますがあなたのお名前は?」
「楓乃那由多です。」
「本当に」と門番は糸厘に確認を求める。
「ええ、本当です。」と糸厘が頷く。
「わかりました。楓乃那由多様。どうぞお入りください。」
門番は一礼をした後、那由多たちに背を向けて巨大な門の下側にある小さな門を開いた。巨大な門の下側を刳り貫いてしつらえられたその小さな門はまるで長方形を無限に割ってできる小さな長方形みたいだった。
門は砂を円く掃きながら向こう側へと開いた。そうして扇形に均された砂に最初の足跡を付けたのは朴須臾だった。彼の後に続いて次々と仲間たちが中へと入る。
彼彼女らが最初に目にしたのは城に巻き付くように巡らされている白い空中回廊だった。それはまるで、純白の龍のように空から城下町を保護し城の腰回りを温めているようだった。おそらくこの空中回廊が遠くから見た時にドレスを纏う貴婦人のようなこの城の裾部分の膨らみを演出していたのだろう。だが、少し違和感がある。この空中回廊はその壮大さとは裏腹にどこか不安定で頼りなく今にも崩れ落ちそうな印象があった。というのもこの白い空中回廊は交互に連なる黒柱と白柱によって支えられているのだが、まるで歯抜けのように白柱がいくつか欠けているのだ。それはまさに欠落だった。なぜなら、空中回廊の裏側には柱の先端が嵌っていたであろう窪みがむざむざと露出していたからだ。その様は破壊されたピアノの鍵盤のようでもあった。もっとも、引き抜かれているのは決まって白色のそれだったが。
最後に門をくぐったのは那由多だった。彼女が顔をあげてこの空中回廊の壮大さに感嘆を漏らした時、耳を惹くような明るい声がした。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい!今から霊砂で芸を見せるよ。」
その声の主は門の傍らに立っている背の高い四角い帽子をかぶったおじさんだった。おじさんは足元から砂を掻き集めたあと帽子を脱いでそこに集めた砂を入れた。
「今からあっしが霊砂をぶちまける。するとあら不思議、霊砂は地面に輪っかを描くよ。きれいな輪っかさ」
芸にワクワクする気持ちを裏切って那由多が後ろを見上げたのは不思議な感覚がしたからだ。それは、みぞおちが冷えるような丸くて遠い感覚だった。外壁はまるで白い花弁のように丸みを帯びていて、那由多はまるで蕾の中に閉じ込められた蟻だった。この場合城は花柱にあたる。そんな外壁の白い稜線に人影が二つ見えた。それらは背後に光を纏いながら一つはうずくまりもう一つは立っていた。
「それじゃ、レッツショータイム」
さっきの芸人がそう声をあげた。
一方外壁の上では立っているほうが片足をあげて、うずくまっているほうの人影を蹴飛ばした。それはまるで、那由多のすぐそばで行われている芸事の一環ででもあるかのように掛け声とタイミングがぴったしだった。
「危ない!人が落ちて来る!」
那由多はそう叫んで、走った。彼女は足を砂に取られながらも人影の落下予想地点へとやってきた。だが、崖よりも高さのある外壁から落ちてきた人間を受け止めようものなら那由多の絶命は避けられないだろう。
落下する影とその真下の那由多に気が付いて、糸厘が叫ぶ!
「那由多!ダメだ!」
彼は那由多を押して落下が予想される地点からどかそうとしたが、なんと彼はいつの間にか腰まで砂で埋まっていて彼女に近づくことすらできなかった。
そして、まるで閻魔が打ち降ろす金槌のようにその人影は容赦なく那由多へと落ちた。
重たい致命的な音がした。そして、大地の血しぶきは白色だった。といっても、その白い血は乾いた砂の粒子の集まりに過ぎないのだが。白い砂煙が上がって那由多たちの命運は隠された。
「那由多!」
糸厘は身を捩りながら砂の海から這い上がりそのまま這うようにして砂塵の源へとつまり那由多の元へと向かった。最も、はるかな高みからの落下を一身のみで受け止めたなら那由多はおそらく無事では済まされないだろう。しかし、その悲観的な期待は裏切られた。風が砂塵を払って那由多が現れた。彼女は胸の高さまで砂に浸かっていて外に露出しているのは胸より上のみだった。彼女は糸厘に気が付くとにっこりとほほ笑んだ。そんな彼女の腕に抱かれているのは幼い少女だった。
「那由多大丈夫か?」
水を求める芋虫のように砂の上を這いながら糸厘が那由多に近づいていく。
「うん。大丈夫。それより、糸厘。足はどうしたの?」
那由多の無事に安堵の息を漏らした後、糸厘は後ろを振り返った。
「うわあ」と糸厘がらしくない声を上げたのは自分の腰から下が無かったからだ。感覚はあった。しかし、足を力ませることはできても肝心の足が無いのだ。
「な、なんだこれ?ていうか、那由多どうして無事で済んでる?」
足を無くしても糸厘がすぐに冷静さを取り戻したのは痛みが無かったことと、見えなくても足がそこに存在しているという根拠のない確信があったからだ。彼は再び手負いの芋虫のように這って那由多の方へと向かう。そうやって、砂の上を不細工に泳いでいるうちに砂の嵩が減ってきた。まるで栓でも抜かれたみたいに砂は減少していき糸厘が那由多の元へ着くころには彼は両足で石畳を踏んでいた。
「砂が無くなった……」と糸厘は服から砂汚れを払い落しながらそう言った。
肩の下まで砂に埋もれていた那由多も今はすっかり解放されて今は天の落とし子を抱えるのみだ。
「糸厘、手が生えてるよ。」
那由多は少女の華奢な肩越しに糸厘の足を見下ろした。「消えたのは手じゃなくて足だよ」と微笑しながら糸厘は軽く地団太を踏んで見せた。さっきまで失っていたはずの足が今はちゃんと地面の反発を感じられる。
「不可思議、どうしてこんなことに?」
と那由多は少女を外壁に預けるように寝かせた。
「那由多。どうやって助かったの?」
糸厘が固さを調べるみたいに地面を踏みながらそう尋ねる。
「いや、私助かってないよ。私、死んだよ。」
那由多はそう言いながら砂汚れを手で払い落そうとしたのだが、自分が全く砂に汚れていないのに気が付いてそれを辞めた。
「適当なことを言うな!」
糸厘は那由多の手を取って怒った。
那由多は「ごめんなさい」としゅんとした。
まるで、潮風のようなしょっぱい風が吹いた。そして、太陽が外壁の向こう側に落ち徐々に空が暗く赤らみだす。
「おぎゃあおぎゃあ」
と赤ん坊の声がする。
「朝が来る」と那由多が外壁を見上げる。
「朝じゃなくて夕方だと思うけど?」と糸厘は訂正した。那由多のでたらめにいまさら呆れることなどなかった。
「おぎゃあ、おぎゃあ」と赤ん坊の声が再びした。それは、まるで冥鳴りのように方向のない音だった。
「あれれ、殺し屋のガキじゃねえかよ」
赤鼻人形が木製の腕で後頭部を抱きながら外壁と水平に傾いた。
「……」
不可思議と呼ばれた少女は未だ意識を取り戻していない。
「なんで上から落ちてきたんだ」
糸厘が独り言のようにそう言ったその時だった。
「きゃあ」とまるで死体でも見た様な女の叫び声がした。珠衣の声だ。
「どうした?なにかあったのか?」とあべこべにも珠衣の方からこちらに呼び掛けてきたから「それはこっちのセリフだよ」と呆れながら糸厘たちは珠衣の元へと向かった。
珠衣は何かを抱くようにして地面に伏せていた。珠衣が抱いているのは黒い棺桶だった。棺桶の蓋は開け放たれ中は空っぽだった。
「珠衣が、珠衣がこの中にいるはずなのに」
珠衣は震える声と手で棺桶の中をまさぐった。彼女の手は空気と棺桶の滑らかな質感を撫でるだけだ。
誰も @sainotsuno
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