風鈴

かいまさや

第1話

 ヒノキの木目調は西陽に焦がれてほのかな香りを放って、細やかな影を軒先に落としている。私は座布団を枕に寝そべって、柑橘色に染まる雲のゆくえを気まぐれにたどりながら、君のことを待っていた。


 台所から軽やかな足音が近づいてくる。君はこんがりと小麦色に焼けた顔に、愉快そうに笑みを浮かべていた。その手には、だいじそうに不思議な風鈴を下げている。光に濡れた透明な鈴に、小さな花びらが閉じこめられているのが見えた。たぶん、庭のアサガオだろう。


「氷からつくってみたよ」


 風鈴から滴る水滴しずくが君の腕に触れると、君は肩をすくめて、じれったそうに私に笑いかけた。君は思い立つと、それを梁にかけようと背伸びをする。私は立ち上がり、そっと風鈴に触れて、君の身体を支えた。


「つめたい…」

「そこを触ってはダメだよ」


 言われて、とっさに手を放す。風鈴は縁がわに勢いよくぶら下がり、澄んだ音色が瞬に空気をぬらす。すると一滴の清涼をこぼすように、静かに木床きどこへ雫をおとした。


 そのとき私は、ついにおとずれる消失を予感した。あの薄氷は心もとないとりとめに、弱々しくその瞬間までを刻んでいるように思えたのだ。可笑しく首をひねる扇風機も、草木にとまって愛を囁く虫たちも、その鈴の音に耳をすまして、静まりかえっている。


 リボンを模したサンダルに、空に映えるべべを着た君は、庭先にたたずんで、暑い風の吹く季節の真んなかにたっていた。


 「私をおいていかないで」と言いかけた口をつぐんで、唇をそっと噛む。ひらひらと舞う君の後ろ髪に、ただみとれていた。弱い風にも敏感にふれる風鈴は、まるで終りを合図するように、だんだんと私たちに近づいてくる。無慈悲に止まない風の音は、ひとつひとつと私のこころにふり響いて、曖昧な気分だけをのこしてゆく。


 どうしてもそれを止めたかったのだけれど、君があまりにも涼しそうに唄うから、その邪魔をしたくはなかった。


 君が夕焼けに両手をかざすと、そのとき私は、陽と背があって酩酊しそうに目をくらます。繊細な音が落ちて、白い闇のなかに、ひとつの水紋をひろげる。


 次に目にした光景に、君はどこかもの悲しそうにふり返って、私を見つめていた。床に風鈴は割れおちて、西陽は君の背ろ、地平へとかおを隠してゆく。


 「もう帰るね」君のひとことが静寂に染みつたわると、すずむしが一斉に囁きはじめた。私は黙ったまま、君のカランコロンとかたい靴音を曳いて、玄関先まで送った。


 …ひとり星座の麓に立っていると、床には氷の残響が染みついていて、アサガオはしなびれた花びらを無残に散らしていた。それをぼうっと見つめていると、心なしか涼しい風が私の頬をなでて去っていった。それはアサガオを連れた君の気配に、少しばかり似ていた。

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風鈴 かいまさや @Name9Ji

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