強迫神経症

白川津 中々

◾️

 とある巨大宗教団体の総本山にて、非公式の会合が行われていた。

 参加者の表情は皆重苦しく誰もが口を開くのを躊躇っているようで、ようやく第一声が聞こえたのは開始から三十分が経過しようとしていた頃だった。


「聖書の件ですけれど」


 一同息を呑む。何を聞かされるか知っているのだ。


「例の……改竄についてです。我々が信じ、奉ってきた神話や逸話の半分以上が創作だったわけですが……」


 そこまで言って、男は言葉を呑み込んだ。参席した人間からの声にならぬ慟鳴が彼を止めたのだ。


 男が絞り出した通り、この宗教の教義に改竄の記録が認められた。それも創設から間も無く、西暦一桁の時代にである。昨今見つかった創始者の弟子の手記によって発覚した事実は重要機密とされ、改めてその扱いを取り決めようというのが会合の趣旨であったが、彼らも従順な教徒の一人であるから、冷酷無比に事実を受け入れられるわけがなく、黙り込むしかないのであった


「神よ」


 別の男がそう呟いた。 

 彼が祈ったのはこれまで信じてきた偽りの神格か、それとも未だ知らぬ正史に記されるべき神か、はたまたもっと原始的な、人が最後に縋る概念的なものなのか。本人さえも判別できていないだろう。


「……どうする」


 列席者の一人が、蛇のような目をした男が冷たく本筋へ戻すと、周りは騒めき烏合以下となった。収集のつかない状態。もはや話も何もなく、胸の中にある不安、悲痛、権威失墜への嘆きが堰を切ったように漏れ出し、誰もが幼子と変わらない醜態を晒している。虚像の威光によって眩んだ目では一人として真実を直視できず、なす術を知らないのである。


 そんな中で誰かが言った。「御心のままに」と。


 一瞬、しんと静まり返る。

 その静寂は雲間から差す陽光のように、また、泉に落ちた雫のように、確かな福音を纏った静けさだった。


「……我々に主を推し量ることはできない」


 最初に口を開いた男がそう告げると一鳴り乾いた拍手がはじまり、次第に二人、三人と続いて、最後は万雷が部屋を満たした。


 その後、発見された手記は葬られた。事実は永久に表に出る事はなく、人々は神の教えと騙る偽書を信奉し続けるだろう。


 なお、最初に掌を打ち鳴らした蛇目の舌先が震えるのを見た者はその後、自ら命を絶っている。

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