Epilogue. 臣海の杜編
○ 良明湊
臣下の杜討伐戦の喧騒もようやく収まった深夜のコンテナターミナルにて、その事件は人知れず起こった。
深夜の潮風は鉄と油の匂いをまとい、積み上がった無数のコンテナは街灯の薄光に沈んだまま、巨大な墓標のように静まり返っていた。
その沈黙を破るのは、ガタン、と重いレールを滑る音。本来なら貨物を吊り上げるだけのガントリークレーンが、闇の底から何か異様に重いものを拾い上げていた。
クレーンのワイヤが軋む。
鉄骨全体が震えるほどの質量が大きな揺れを引き連れてくる。濁った海水が滴り落ちるたび、コンクリートの床に黒い水溜りが広がっていった。
やがて、ゆっくりと姿を現す“それ”。
吊り上げられた塊は、そう遠くない場所で戦場大いなる存在感を放っていた深海の怪物。渦津禍津神の”元”憑依先たる大妖怪化蛸の死体だった。
触手の一本一本が、貨物用のフックには不釣り合いなほど太く、擦れるたびにぬめった鱗膜が音を立てて剥がれ落ちる。
クレーンの照明が当たると、その死した皮膚の紋様が光を乱反射し、生物とも人工物ともつかない不気味な光沢を放っていた。
周囲には作業員の影はない。
この時間帯の港は無人という建前だ。
しかし、わずかに離れた監視棟の窓には、誰かが灯したはずの明かりが静かに揺れている。
まるで、この不自然な深夜作業を黙認するかのように。
海面から吹き上げる風が一瞬止むと、吊り上げられた化蛸の重みでクレーンの骨組みがミシリと呻いた。
それを心配そうに見下ろしながら、ガントリークレーンの直上にて、とある若者が怪物の死体を見下ろす。
「思ったより臭みはねぇが、どうにもぬめりの方が酷そうだ。細かい傷も多いが……まぁ、観芭の鬼蜻蛉に鱠にされてなくて良かった」
若者は顎に手を添えながら化蛸の幾本か欠けた触手を物色し、傍に立つ女性に視線を戻すことなく続けた。
「しかし、夜見はよくやったよ。俺の予想通り、大本命の独り勝ちだ。やっぱり人生に必要なのはギャンブルに見せかけた堅実なビジネスだよな。桜川さんよ」
言葉を投げかけられたのは夜見の秘書桜川は何が言いたげに顔を顰めた。彼女は手にした古びた懐中時計を見やり、音を立てて蓋を閉ざすと若者に体を向けた。
「夜見様の人生に私が口を出すなど烏滸がましいですが、私は彼が迎えたこの結末を望んでいませんでした。……叶うならば、再臨した渦津禍津神と共に夜見様が真の力を発揮し、悪魔の下僕を蹴散らして今後も永く臣海の杜を導いていただきたかった」
「いや、それは違うと思うぜ。いくら禍神がついたって教団はまともに戦える層が薄すぎるし、本気で潰しにかかってくる悪魔の下僕どもに付き合うだけの体力は到底ねぇだろうよ。
夜見にとっちゃあ臣海の杜は禍神を再臨させるためだけの単なる舞台装置で、奴は使える物の使い時を見誤らなかった。その点から言っても、やっぱり夜見の独り勝ちだ」
そのとき、死体の真下、コンクリートの床の上に影のような黒い円が音もなく滲むように広がり始めた。
最初は油膜のように薄く、ただの汚れにしか見えなかったそれは、次の瞬間には深度を持つように巨大化する。奥行きのある暗黒が、そこだけ空間をえぐり取ったかのように歪な闇が昏いホールを形作る。次第にクレーンの吊りワイヤが震え、
化蛸の巨体が、その底のない穴に向かって引きずり寄せられた。
海の怪物の質量が、まるで巨大な手に掴まれたように滑り落ちる。触手が地面に触れる度に、影の縁から黒い波紋が走り、死体はさらに傾斜を増して飲み込まれていく。事は数秒、その僅かな時の合間に化蛸の巨体は跡形もなく良明湊から姿を消した。
そして化蛸を呑み込んだ昏いホールも次第に空へ溶け出し、僅かな空気の揺らぎの残滓から、ガントリークレーン上の若者と同じ制服を纏った青年が姿を現した。
「よぉ、ジュゲム。どうだ、使えそうか?」
「ひ、百点満点。も、も、文句なし」
「そうか。そりゃあよかった。……そんで、どうするよ」
ジュゲムと呼ばれる学生服の若者は、化蛸の粘液塗れでぐちゃぐちゃになった髪を掻きあげながら桜川に歩み寄った。
「お、俺は副部長として許可するよ。さ、さ、桜川さん。……ようこそ、萬玲高校筺庭部へ」
「…どうぞ、宜しくお願いいたします」
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〇聖星讀圓_内部文書
【星の巡り第989局。人狼の巡り:6番-偽典魔特別討伐作戦に係る聖星讀圓監察局・戦術行動監査部 最終評価報告書(抜粋)】
本報告書は、当局が第三者監察として立ちあい及び映像観測した「星の巡り第989局。人狼の巡り:6番-偽典魔特別討伐作戦事案」に関する記録のうち、作戦成果および人的被害に関する要点をまとめたものである。作戦は当該宗教組織「■■の杜」に潜伏する人狼に対する討伐行為、並びに教団内部における急進派の暴走、加えて確定神格の顕現を抑止することを目的として発動された。
■ 作戦結果の総括
本作戦において討伐部隊が制圧した信者及び幹部構成員は総数 487 名と確認されている。うち生存拘束は76名、死亡確認は411名である。死亡者の多くは武装抵抗中の致死的反撃、または教団側が自ら引き起こした神性由来の儀式的狂化行為によるものと判明している。
狂信者の中核として戦闘能力を有した「幹部階級」については、当局が事前把握していた 22名のうち7 名を戦闘下で排除(死亡)、4 名を拘束している。拘束された幹部は現在、LAGO2N所轄の医療・精神鑑定を経たのち別解法手続きに移される予定である。
また、戦闘終盤において確認された禍神憑依体(依代となった人狼個体)は、LAGO2N討伐隊が非致死性措置をもって確保した。現時点で同個体は観芭監獄島に収容され、覚醒経緯および憑依過程の分析が進められている。
当作戦実行地を中心とする旧教団本部は、教団側が秘匿していた儀式空間・封印構造の崩壊に伴い、複数の異常空間を形成していた事実が判明。特に劇場地下から出現した【化蛸】は、当局の脅威ランクにおいてカテゴリー5に該当し、その質量・占有空間は通常の近接制圧を不可能とするレベルであった。これに対し、討伐隊が援軍配備を要せずして同個体の討伐を完遂した結果を受け、政府および周辺各組織からの観芭LAGO2Nへの評価は面目躍如を果たした。
■ 討伐隊側の被害
討伐隊側の損害は以下の通りである。
殉死:15名
重傷:9名
中軽傷:34名
行方不明:2名
殉死者の大半は初期突入班・中央棟制圧班に集中している。特に中央棟においては、複数の異形体が集中的に出現し、幹部格と共にが積極的に討伐部隊が邀撃され大きな損耗を招いた。加えて、化蛸出現後には本体触手の往来による圧死事例が複数確認された。
■ 制圧後の状況および作戦評価
結論として、本作戦は以下の成果を達成した。
・教団内の夜見派及び核心幹部瓦解による教団勢力実質的壊滅
・人狼の巡り:6番-偽典魔の確保
・確定神格存在の確保
・都市部への被害流出の阻止
・幹部階級の拘束(4 名)の成功
・確認済み異形体排除(推定 98%)
上記の点から、聖星讀圓監察局としての総合評価は **A-(高達成)**とする。
ただし、犠牲者数は決して軽いものではなく、また現場で観測された現象には既存分類に収まらない要素が多く散見された点は十分な考慮する必要がある。
加えて、同教団の代表理事にあたる
■ 結語
作戦は形式上の終結を迎えたが、確定神格存在が地上に出現、討伐されたという経緯を受けての影響は広範に及んでおり、精神汚染・空間歪曲・異常生体反応、さらには眞丐地方で活動する組織の動向など複数の項目において追加調査が必要である。当局としては、当該区域の長期封鎖と再発防止策の継続を強く推奨する。
以上をもって、第一次監察報告の抄録とする。
詳細記録は別途、機密指定文書として提出済みである。
夢の宍 戸禮 @pulvarts
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