第3話 誰に憚られることなく
突然現れた土地神たる童女……その名を
「神器……ですか」
「うむ。妾はな、嘗てはそれはそれは強大な力を持った神柱でな? 土地神として、この地に豊穣を与えた……しかし、幽世の民を人々は忘れていった。霊も神も妖も、依子……童のような”見える”子らのことじゃな、彼らが数を減らすたびにその存在事亡き者としてきた」
「まあそこは構わんのじゃ。人が人として栄えていくことは誇るべきこと、卑下すべきではない……が、妾を祀る社の幾つかが燃やされてな、その時にともに喪失してしまったのじゃ」
それは彼女を祀っていた神器を取り戻すこと。彼女を忘れてしまった人々の代わりに、俺が彼女を崇める柱になることだった……が、しかし。
「えっと、それはもう燃えてしまったのではないですか?というか、現代の人々が見つけられないような場所に私個人が向かうのは難しいかと……」
神器と呼ばれるほどのものだ、刀とか鏡とか、大昔の技術を結集して作ったものに違いない。そうでなくとも、古代の遺物というだけで大きな価値を持つ時代だ。簡単に見つけられるような場所にあるなら既に見つけられているはず。かといって発見が困難な場所と言えば、到底俺個人でどうにかなるものではない。
「心配せんで良い。童に向かってもらうのは、現世ではなく幽世じゃからな……」
「えっ?」
思わず、彼女のことを凝視してしまう。今、彼女はなんといったか?向かうのが幽世?幽世って、確か死後の世界のはずじゃ……。
そこまで考えて、俺はある重大な可能性に気が付いた。もしかして、俺を殺そうとしている? 生贄か何かとして、代わりに神器を取り戻すとか……または眷属として俺を支配する? 神様なら、相手に承諾してもらわないと行動できないみたいな制約があったっておかしくはない、けど……。
「ああ違うぞ?決して童をどうにかしようと思っているわけではない。本当に、ただ物探しに付き合ってほしいだけじゃ。先程喪失したといったであろう?妾の神器はもうこの世にはない。向こう側に在るのでな……」
どうやら、特に危険性はないみたいだ。でも、流石にこれを好印象に受け取るのはどうかと思う。何か隠してること、裏があったっておかしくない。何より、俺自身死んでしまう可能性だって……。
(死んでしまう、可能性……?)
_______ふと、自分の考えに疑問が残った。
俺は今、死ぬのを恐れているのか? 他でもない彼女に誰の記憶からも消え去ることを望んでいるのに? 俺は別に死んだってかまわないと思ってる。ただ、自分から霊になる必要性を感じないだけだ。だから………。
「分かりました。それでは、これからよろしくお願いします」
…………だから俺は、その申し出を受け入れることに決めた。
「おお! 礼を言うぞ童! ああそうじゃ! まだ童の名を聞いておらんかったな! 童の名前はなんじゃ?」
「ああ、私の名前は
「それでは聯と呼ぶぞ!」と、楽し気に握手した手をぶんぶんと振ってくる彼女を眺めながら、俺の胸中は暗く渦巻いていた。
(もしかして俺が、本当に願っていることは……)
そんなわけがないと、何度も何度も自分自身で否定して、それでもその不安をぬぐい切れなくて……俺は、どこか茫然自失としながら、その心を悟らせない様に振舞うので精一杯だった。
☆☆☆
彼女に手を引かれるがまま、俺は社の中へと足を踏み入れていく。神主さんに申し訳ないと思いながらも正面に鎮座していた鏡の前に立つ。暗闇に包まれた社の中は言い知れない恐怖を俺に刻んでいた。
「聯。妾の言う言葉に続け。一言一句間違えるでないぞ? 特に危険性はないが、余り時間をかけすぎると寄ってくるからな……」
そう俺に忠言を残して、彼女は鏡の前に手を振りかざし、言葉を紡いでいった。
「一つ礼して左でくぐれ、時を戻して右からくぐれ」
「一つ礼して左でくぐれ、時を戻して右からくぐれ……」
訥々と、言葉を紡いでいく。ただ言葉を放っているだけなのに、不思議と自分が呪文を唱えているという妙な確信があった。勿論、それに怖気づくような真似はしない。これでも、自分なりに覚悟をもってこの場に立っているのだ、彼女に手伝うと誓った以上、ここは男を見せるときであろう。
「時を進めてお一つ礼、左でくぐって時を戻す」
「時を進めてお一つ礼、左でくぐって時を戻す……」
今正に、自身の体が現世から切り離されて行っている……それを、まざまざと感じていた。
「祓へ給へ、清め給へ、守り給へ、幸へ給へ」
「祓へ給へ、清め給へ、守り給へ、幸へ給へ」
だんだんと、唱える言葉に淀みがなくなってきた。するりと滑るように言葉が口から紡がれ、自分で唇を動かしていないかのような気分になる。
そんな気分に陥ってもなお、背後の気配は消えてくれないのだが。
「正面向いてお一つ礼、門をくぐって拝み給へ」
「正面向いてお一つ礼、門をくぐって拝み給へ」
そして、最後の言葉は唱えられた。
「………っ!? な、何が……」
突然、自身を囲うようにして大きな渦が出現した。それは黄昏のような焼けたオレンジ色をしており、辺りは真っ暗だというのに社の中を赤く照らしていた。
「余り狼狽えるでないぞ? 変に動き続ければ、見当違いな場所に飛ばされるかもしれんからな~」
「ええっ!? ちょ、今どういう状きょ……」
俺の訴える声は、しかし最後まで紡がれることはなく、途中で渦は俺たちのことを完全に飲み込み、そして、社の中はまるで元から誰もいなかったかのように静寂と暗闇で包まれていたのであった。
「ん……? 今誰かいたような気がしたんだけど……」
盗人でも出たのだろうかと、身構えて社へ踏み入った神主は、しかし誰も姿が見えないことに困惑しながらも、気のせいかと思い直し境内の掃除を始めた。
「そういえば、あの時もこんな空気だったかな……」
必死な形相で走り寄ってきた少年。彼がなんとか声を絞り出して「お祓いしてください!」と頼んできたのは丁度今ぐらいの時間帯で、今が春の終わりごろと当時が夏の終盤という離れた時期でありながら、気温の似た状況だったせいか。普段より彼のことは頭から離れないのであるが、いつにもましてその思いが強い。
「あんなに必死になってお祓いを頼む小学生なんて、生まれて初めてだったからね……代々受け継いできたこの神社だけど、あんな思いしたの僕だけじゃないかな?」
今は亡き父や祖父を思い出しながら、そこまで大きいとは言えないその神社を見つめて、彼はそんなことを思った。ただ一つだけ、そう一つだけ不安があるとするのならばそれは……。
「………いや、今更気にしたって仕方ないか。結局、僕程度の力ではあの子を救えなかったし……今の時代、霊や妖なんて真面な対処法なんて失伝してるし……」
殆ど残っていない陰陽師の末裔の一人として、彼に憑りついていたいたあの霊を払ってあげられなかったことだけは、今でも悔い続けている。
「はあ……父さん、昔はうちの神社は日本一だったんだって口癖のように言ってたけどさ……秘術の一つももう残ってないんじゃ、普通の神社仏閣と変わらないって……」
最早陰陽師と名乗りを許されないレベルで衰退してしまったこと、それをどこまでも惜しみながらも、彼は少年の無事を祈る以外の方法を思いつかなかった。
まあ、少年が来るかもしれないとこんな時間に掃き掃除をすることが日課となってしまうくらいには、全く割り切れていないのであるが。
道に落ちた葉っぱを箒で吐き出しながら、なんとなく空を見上げる。神社仏閣の周りは明かりが少ないというのは全国共通で、だからこそ美しく光り輝く星々を眺めながら、彼はよし頑張るぞと気合を入れ直すのだ。
「ん?……これって……」
そして、掃除を続けていたある時。地面に落ちていた、一枚の季節外れな水連の花……それを持ち上げて、もう一度、心を込めて、祈りを捧げる。
「どうか、あの少年が、苦しまず健やかに暮らせますように……」
その祈りは、吹き抜けた風に攫われた水連の花弁と共に、風に乗って宙へと舞い上がっていったのだった。
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