第4話 自由に
「目を開けて良いぞ、聯?」
何が起きているのかわからず、必死に目を瞑って縮こまって変に動かない様に注意していたのだが……そんな状態は、神様の優し気な声音によってゆっくりとほどかれた。
「す、すごい……」
開かれた双眸の、その先に移った光景……それに、俺はどうしようもなく心を鷲掴みにされて……すごい以外の感想が一切浮かばなかった。
先程まで社の中にいたはずなのに、目前に広がるのは一面の花畑……そこには確かに、現世にはない恒久の平和……のようなものを感じられた。
「一日やそこらなら兎も角、余り時間をかけすぎると戻れなくなるのでな? 呆けとる暇はないぞ、聯」
そう言って神様に背中を叩かれて、漸く俺は通常の思考を取り戻した。
「あ、有難うございます……すいません、なんだかぼうっとしちゃって……」
「仕方あるまい、幽世のすべては現世の者にとって極上の物に見えるからの……聯が見惚れていたのではなく、どちらかと言えば惹き寄せられていたに近い。どちらにせよ、このまま居残り続けると輪廻の輪にも入れずに永遠にここに閉じ込められるからな……意識をしっかりと保つのじゃぞ?」
神様に励まされながらなんとか平常心を取り戻し、改めて辺りを見つめてみる。確かに、一度魅惑から抜け出した影響か、先程よりも感動が遥かに薄れている。
「さて、では行くぞ? 妾の神器探しの旅に!」
「お、おー!」
神様が掛け声とともに腕を振り上げたのに合わせて、俺もともに声を上げたのだった。
☆☆☆
この世界は一面花畑の幸せな空間なのだと、俺は勝手にそう思っていた。幽世というものがどういうものかを理解せず、また最初に見たのがあの光景であったこともその要因の一つなのだろう。
しかし、その実態は俺の予想をはるかに下回るものだった。
「ほれ、何を呆けておる聯。もしや、また魅入られてしまったのじゃ?」
「あ、い、いえ……こういう景色もあるのだなと、呆気に取られてしまって……」
花畑で囲まれた美しい空間はあそこの周囲だけで、少し離れてしまえば途端にその情景は様変わりしてしまった。今俺の目の前に広がっているのは不気味な雰囲気が流れる薄暗い森林で、どこか冥界というか、生者が近づいてはいけない雰囲気を感じる。
「幽世はな、決して現世と別たれた世界ではない。幽世は現世と繋がり、現世もまた幽世と繋がる。二つの世界は表裏の盤のようなものでな、あの場所が花畑だったのは妾の神域であったからじゃ。少し外に出ればこのようにもなるまいて。それどころか、幽世ではこういった景色が殆どじゃぞ? 妖も住んでおるのじゃ、当然であろう」
確かに、そう言われてしまえばそうなのかもしれない。死後此処に辿り着くということはつまり霊も妖も何もかもがここに集うわけで、それ即ち陰と陽両方の側面が存在するということで。
つまり、現世も幽世も見える側面が違うだけで同じ世界なのだ。俺達が人間の側面を強くして霊的存在を追いやったからこそ、そのすべてが幽世に流れ着く……つまりは、そういうことだろう。
「何、そう遠くにあるわけでもない。何より、この妾が聯を守るのじゃぞ? あっという間に終わってしまうであろうよ」
危ぶむ俺とはどこまでも対照的に、彼女は明るく俺を励ます。というより、本気で危険とは考えていないのだろう。幽世という霊的存在があふれる世界でなお、彼女の存在は明確に感じ取れる。明らかに気配が周りから浮いているのだ、それを恐れて、そのどの気配も此方へ近寄ろうとはしない。
森に踏み入って、それが如実に感じられた。辺りに今まで感じたことのないような強い気配を持った霊……それか妖か、それらが尋常じゃない数潜んでいる。もしも俺が一人でここに訪れていれば、即座に食いちぎられていたであろうことが想像できた。そして、そんな中でも彼女の気配は群を抜いているのだ。仮に、この森のすべてが彼女に襲い掛かったとしても無傷で圧倒できるに違いない。
そして、ここまで考えて、漸く俺は気が付いた。背後の霊の気配が消えていることに。
「え………?」
余りにも目まぐるしく回る状況に驚きすぎて、または意識の枷がない状態が自然すぎて……俺はその事実に全く気が付いていなかった。そして、そのことに意識が向いた瞬間、言いようのない喜びが俺の胸中に渦巻く。
「やっ___」
「____それを言うでないぞ、聯」
その喜びを、俺が体で表現しようとした時だった。他でもない神様が、俺の望みをかなえてくれると約束してくれた本人が……俺の言葉を遮って、真っ向から叩き伏せた。
「聯が思い悩んでいることも、その原因も、何もかもを妾は知っておる。土地神故な、聯のことは生まれたときから知っておるよ……ただな」
何時になく真剣な表情で、彼女は俺に向けて言い放った。
「それを呪いとして拒まんでくれ。依子たるお主にしか、もう救いを授けられる存在はおらんのじゃからな」
「え、っと……?」
彼女が何を言いたいのか、この時の俺にはよくわからなかった。当然だ、俺がどれだけあの気配に苦しめられてきたと思っている? もしあれが無かったら、俺は今でも平穏に……。
平穏に、なんだ……?
「っ……!!」
違う。そうじゃない。そうじゃないんだ。俺みたいな気味の悪いガキは、周りに迷惑をかけるだけなんだ。分かる。分かるんだ。そんなのもうとっくの昔に分かり切ってるんだ。だから、俺は誰にも迷惑を掛けない状況にしたうえで消えてなくなるべきで……。
「聯……」
そんな俺の苦悩する状況を、慈しみを帯びた優し気な瞳で、まるで子供をあやすような表情で……我らが土地神様は、俺のことを気遣ってくれるのだ。それがどうしようもなく、俺が子供なんだということを示していた。
「す、すみません……少々取り乱しました、でももう大丈夫です。先へ進みましょう」
「そうじゃな……今はそれしかできることはない、か」
何処か気まずい雰囲気の中、俺達は深い森の中を進んでいった。
☆☆☆
とぼとぼと、弱い足取りで、俺は歩みを進めていた。どちらも言葉を発するには厳しい状態で、そんな状況下であれば、自分の思考に意識が向いてしまうのは当然であろう。それが、生涯に渡って嵌められてきた思考の枷が無くなった状態であれば猶更だ。
(俺は、生きたいのか……? こんな気持ち悪い存在なのに……?)
小さいころ、まだ小学生になったかなっていないかぐらいのころだ……俺は辺りに浮遊する霊も真夜中に此方をおいしそうに舌なめずりしながら眺めてくる妖もどうしようもなく恐ろしかった。
でも、そのことを周りに言っても、ただ頭がおかしい奴と思われるだけだった。優しい両親はそんな気味の悪いガキを愛情をもって世話してくれたが、先生や友人に散々しごかれればそれが異常なんだと気づくのにそう時間はかからなかった。
ある時、俺は言った。『そっちは危ないから行かない方がいいよ』と。そこには強烈な嫌な感じが漂っていて、直ぐにでも事故が起こってもおかしくないと、俺はそう確信していた。
『うるせーよオカルト野郎。気持ちわりぃ』
返ってきたのは、その一言だけだった。
ドン、と、どこまでも重い音が、鳴り響いた。
『え……?』
分かっていた。気付いていた。これから事故が起こることも、彼が死ぬ危険性が大いにあったことも。でも俺は見逃した。忠告を無視したんだったら自業自得だと思っていた。
違った。そんなの見当違いだた。俺は自分は自分で他人は他人だなんて割り切れるような奴じゃなくて。止められたかもしれない、と考えるたびに吐きそうになって……今でも偶に夢に見てしまうくらいだ。そして、もし俺が居なかったら、どうなっていたんだろうと考えた。
俺が旅行に行ったとき、辿り着いた町は俺が住んでいた街よりも明らかに嫌な気配が少なかった。それも一つの場所だけじゃない、行ったすべての場所がそうだった。そして気付いたのだ。俺自身が、嫌な感じを惹き寄せている張本人なんだと。
霊も妖も恐ろしかった。少しでも気を抜けばすぐにでも殺されてしまう……そう思いながらいつも過ごしていた。それでも俺は空き家に向かった。それは子供ながらの軽率な行動で、一生モノの傷を俺に結び付けた。でも、俺は……
………俺は本当に、誰の記憶からなくなることを望んでいるのか?
思い返してみれば、何時だって俺は、死ぬことを何よりも恐怖していた。周りから『オカルト野郎』と蔑まれ、イジメられ、教師からも『気味が悪い』と三者面談で悉く馬鹿にされ……それでもなお、俺は自分の生き方を曲げようとはしていなかった。じゃあ、俺は何のために生きたかったんだ?そんな絶望しかない世界で、どうして俺は………。
「着いたぞ、聯。ここが妾の追い求めていた場所じゃ」
…………そして、俺たちはその場所へと辿り着いた。
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