10. オレがあいつを疑うとき

 普通に朝が来た。退屈な授業。

 三人は、他愛のない話を交わす。

 何もかも、いつも通り。


 ——鞄のアルバムと、みんなの顔をまともに見られなかった事以外は。


 昼休み、四人で飯を食ってたら京子と司が放送で呼ばれ、席を立った。

 オレはメロンパンをかじりながら、残った綾乃に言った。


「綾乃、放課後、空いてる?」

  綾乃は弁当の箸を止めて、何度か瞬きする。

「どうしたの、いきなり」

「ちょっと相談……後で話す」

 整理する時間が欲しかった。


「京子ちゃんとか、江戸川くんには相談してみた?」

「あいつらは関係ねえ」

「……そう」

 困ったような瞳。意図がわかるように話してもいない。


「綾乃!」

 クラスの女子が何人かでやって来た。

「綾乃、ごめんねお昼中。加奈恵が指切っちゃったんだけど、保健の先生どこにもいないのよ」

 メガネの女子は、今にも泣きそうな顔で自分の指の傷を不安げに見ていた。

「大丈夫、すぐに血、止まるよ。いこ、かなちゃん」

 励ますように声を掛けながら、綾乃は出入り口に歩いていった。


「後でLIMEするね」

「おう」

教室を出ようとする綾乃に、もう一言だけ加える。

「……人に聞かれたくない話なんだ」


 ◇◇◇


 長い授業が終わり、放課後、オレは約束通り南校舎に向かった。


『人に聞かれたくないんだよね。南校舎の裏は?』

 授業が始まる寸前に、そっけないLIMEが届いていた。


 ……滅多に緊張なんかしないのに、足が重い。まるで、床から手が生えて、そいつが足にしがみついているみたいだ。


 本当のことを聞いたら、多分、後戻りできない。

 行きたくねぇ。

 

 けど、司たちを騙すのはもっと嫌だ。

 行くしか、ねぇ。


 南校舎は、校庭を突っ切った隅にある、もうすぐ取り壊す予定のボロ校舎だ。もちろん今は使ってないし、人も滅多に寄り付かない。聞かれたくない話をするには都合の良い場所ではあった。


 何日前かの雨が乾かず、日陰は地面がぬかるんでいる。

 扉には立ち入り禁止の札。校舎の裏に回って、壁に寄りかかると、剥げかけた塗装がポロっと落ちた。


 窓を覗いてみる。日差しはあるのに、中はやけに暗い。……寒気までしてきた。

「とっとと取り壊せよ、怖ぇよ」


 綾乃はまだいなかった。掃除が長引いているんだろう。

 側の木に寄り掛かり、そのまま体を沈めて座り込んだ。雲ひとつない空の下は、ほどよく暖かく、昼寝するにはいい環境だった。


『もういる』と。

 ゲームで時間潰しをする気にはなれなかった。オレは黒革の本を取り出し、腕に抱え込んだ。……こんなことになるなら、見るんじゃなかった。


 その時だ。


 じゃり、という靴の音がすると、声が辺りに響いた。綾乃だった。

「放課後とは言ったけど、掃除サボったことになっちゃうよ?」


 綾乃は、顔をしかめてこっちに来る。このまま連れ返されて、掃除に戻れば、何事もなく丸く収まるんだろうな。


 けど、それは……。


「訊きたいことがあんだ」

 オレは一度深呼吸をして、立ち上がった。

「お前と会ったのって、中学の入学式だったよな?」

「? ……板橋くん、また怖い顔してる」

「答えてくれよ、頼むから」

「そうだよ」


 何を言ってるの、と、上目使いにオレを見る。少し、怪訝そうに。


「司と、中学ん時のアルバム見てたんだ」

  オレは手元の本を綾乃に向けてみせた。卒業アルバム。あれからも繰り返し捲ってみたが、とうとう写真は見つからなかった。


「懐かしい。それが、どうかしたの?」

 首を傾げる綾乃の仕草は、普段となんら変わらなかった。

 ただ、顔付きだけは今までと別物で。うまく説明できねえけど、雰囲気が冷たい気がした。


「……オレの写真、一枚もねえんだよ」


 綾乃は一瞬驚いたような表情を顔に表したが、すぐに冗談を受け流すときのようなおどけた口調で答えた。


「ちょっと怖いってば。撮影の時、決まってどこかで行ってたでしょ? だからじゃない?」


「オレも、最初はそう思ってたんだ。けど、なんか変なんだよ。何がおかしいのかって、考えてみたんだ」


 不思議そうな顔で綾乃は再び目を瞬かせた。わざと見ない振りをしてオレは話を続けた。


「どうしてなのか、わかったんだよ」

 適当なページを開いて、それを綾乃の前に突き付ける。


「……お前も、写ってないんだ」

 これが、オレの違和感の正体だ。司はオレたちの中学時代を語り、写真が無くても疑いすらしなかった。


 多分、記憶の中に、オレや綾乃がいるんだろう。まるで、予めそんなふうに設定されたシナリオを暗記していたかのように。


「学校なんか通っちゃいなかったんだろ!  オレもお前も」


「それは……」


 綾乃は聞き取れないくらいに小さな声で何かを口にして、そのまま下を向いた。


「——なのにさ、中学であいつらと騒いだ記憶はちゃんとあるんだ。おかしいだろ? 司や京子は何も疑っちゃいねえんだよ。……どういう事なのか、答えてみろよ!」


「……やめようよ」


 微かな呟き声を聞いた。綾乃は視線を下に降ろしたままだった。静かに顔を上げる。


「やめようよ、なんでそんな事言うの? ……私も板橋くんも、ちゃんと学校来てたもの。京子ちゃんや、江戸川くんたちと」


 悲しそうな目で、何かを訴える綾乃を、オレはこれまでにも何度か見ている。丁度、今のように潤みかけている瞳を何度も瞬きさせて泣くのをこらえていた。


 どんな場面だったかは思い出せねぇ。

 でもきっと、あのときも我慢してたんだ。今と、同じように。


 そん時と同じ綾乃がオレの前で——泣いている。涙を落とすまいとしながらオレのことをじっと見つめている。


 演技じゃないって思えたし、演技に見えない。

 ……でも、写真はない。


「……綾乃」


 名前を呼ぶと、肩が少しだけ揺れた。


「オレは……ずっと、騙されてたんだろ?」


 綾乃は答えなかった。

 ただ、下を向いたまま、動かない。


 遠くで運動部の声が聞こえる。それ以外、音がない。


 言葉が出てこない。どう続ければいいのか、検討もつかなかった。


 オレは今、綾乃に何をした? 何のつもりでこんな事、問い詰めたりしたんだ?  写真の事で頭一杯にして、勝手に疑って傷つけて。

 泣かすつもりなんてなかった。


 ……最低だ。目、合わせられねぇ。


「……ごめん。……最低、オレ」


 弁解するつもりはなかったのに、口をついて言い訳が出てくる。

「多分オレは……ずっとお前や京子たちを騙してきたんだと思う——」


 いや、違う。こんな事ぶちまけるつもりはなかった。でも、止まらない。


「変な奴らが来て、言うんだよ。オレの記憶と人格、作られたもんなんだってさ。お前がオレのことを昔から知ってると思ってるのも、そいつらの仕業なんだってよ」


 顔を伏せるように足元を見つめたままの綾乃。オレと目を合わせるのを避けているんだろうか。無理もない、オレだって逆の立場ならそうしてるかもしれない。


「実際にオレのいないアルバム見たら、本当に疑いたくなってさ。……引くよな」

 もうどうなったっていい、今のまま騙し続けるより、ずっとマシだ。



  下を向いた綾乃の口元から、妙な声が聞こえてきた。


 ……笑っている。小さな体を小刻みに震わせながら、可笑がるような笑い声を皮肉げに圧し殺している。


「……知ってたんだ」

「え?」

「そこまで手回らなかったんだ。もうごまかしても無駄だね」


 別人のように冷ややかな口調。けど、顔を上げたときに見せたいたずらっぽい笑みは、普段オレたちに向けるものと同じで、逆にそれが不気味だった。


___________


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