第7話 正義のあり方
「どうして制止も聞かずに飛び込んで行ったんだ!」
怒声が飛ぶ。犬飼の叱責を浴びながら、団はしおらしく正座していた。それは単なる反省のポーズではない。自分の判断が危険を伴ったことを理解し、せめてもの罰としての姿勢だった。
「……応援部隊を待っていたら、間に合わないと思ったんです」
「だからって怪我も治ってないのに無茶をして! 今回は異能犯罪じゃなかったからまだよかったが……擦り傷だらけじゃないか」
石のつぶてが飛んできたせいだったが、団は気にも留めず、真っ直ぐな眼差しで言い切る。
「俺の怪我なんかより、あの時は爽の安心と安全のほうが大事だったんです」
その真っ直ぐな視線に、犬飼は一瞬だけ言葉を失い、次いで眉間を押さえてため息をついた。
「……くそ、バカが増えた」
「……?」
団が口を開きかけたその瞬間、犬飼が先に顔を上げる。
「言っておくがな、お前の判断を正当化するつもりは無い……だが」
犬飼は一拍置いて、目を細める。
「あの爽という少年にとっては――間違いなく、救いだったろう。……よくやった」
思わぬ称賛に、団は一瞬きょとんとした後、力強く頷いた。
だがすぐに、犬飼は咳払いして表情を引き締める。
「とはいえ命令違反は命令違反だ。罰は受けてもらうぞ」
その言葉に、団は一気に顔を顰めた。
「ですよね……」
しぶい表情をする団。犬飼は腕を組む。
「明日から一週間、葛紗月の補佐について、みっちり扱いてもらえ。……ついでに左腕のリハビリもな」
地味にキツイぞ、と付け足す犬飼に、団は項垂れた。犬飼はその様子を見て、ふと、静かな口調で言葉を紡いだ。
「いいか、団。お前のその正義感は、お前の一番の武器だ。だが――使い方を間違えれば、お前を殺す刃にもなる。その事を忘れるな」
それは怒りでも叱責でもなかった。むしろ、真っ直ぐに団を案じる、大人としての言葉だ。
正義感が、自分を殺す――。
団は、犬飼の言葉の重さをすぐには理解できなかった。けれど、どこか胸の奥に、それは静かに根を下ろした。
地味にキツイぞ――。
犬飼の言葉は、比喩でも脅しでもなく、ただの事実だった。
団が紗月のもとに送られて最初に感じたのは、「この人、本気で容赦ないな……」という、率直な本音だった。
医務室には、朝も夜も関係なく、ひっきりなしに怪我人が運び込まれてくる。
しかもそれは、任務明けの隊員に限った話ではない。
怪我を言い訳にサボりに来る者、中には冷やかし半分で顔を出す要のような存在まで、訪れる人間の性質は、まさに千差万別だ。
そういった面々を、紗月はひとりひとり正面から受け止め、必要な手当と気遣いを、過不足なく、きっちりとこなしていく。
たとえ相手が暇人でも対応に手を抜くことは決してなかった。
それには、手先の器用さだけでなく、判断力、観察力、そして何より根気と精神力が必要だった。
これは確かに「地味にキツイ」。
団が、紗月のことを容赦がないと思った理由は、また別にある。
紗月は医療班のリーダーであり、加えて、極めて稀有な異能、生体修復に特化したアストラルギーの応用技術を有する人物でもある。
その力を頼りに、ホワイト外部からの出張治療の依頼を受けることも多かった。
そのたびに、団は留守を預かることになる。もちろん医療班には他にも隊員が所属していたが、紗月ほどの異能を持つ者はいない。
彼女ひとりがいないだけで、こんなにも大変になるのかと目が回るような日もあった。
紗月に泣き言をいう隊員もいたが、紗月はピシャリと「戦場に優しさはいらん、正確さと迅速さ、それだけが必要なスキルだ」切り捨てた。
医療に従事している人間はもっと、白衣の天使とまではいかずとも、人の痛みに寄り添い、優しく微笑みかけてくれるもの――団は、そんなイメージを抱いていた。
けれど、紗月は違った。
確かに彼女は、誰に対しても丁寧だった。どんな軽口にも動じず、冷静に対処し、必要があれば黙って手を差し伸べる。
だがそこには、一切の甘さがなかった。相手の気持ちに寄り添うことはする。だが、過剰に慰めたり、曖昧な希望を与えたりはしない。
どこまでも現実的に、冷静に、そして的確に向き合う。
「……こら、手が止まってるぞ」
唐突に、頭頂にゴッと鈍い衝撃が走った。
「ぁだッ!」
団が思わず振り返ると、紗月が救急箱を手にこちらを見ていた。絆創膏やらガーゼやら、詰め込まれたそれは意外と重い。
それで頭を小突かれたとなれば、文句の一つも言いたくなる。
「痛いです、紗月さん」
「いいから手を動かす。休憩してる暇はないぞ、お前は罰でここに来ているんだろう」
今は、各救急セットに包帯や消毒液など、使用状況に応じて補充を行っているところだった。任務のたびに消耗される物資は多く、補充ミスは即、現場での命取りに繋がる。地味だが、大事な仕事だ。
団は手元の作業を再開させながら、ちらりと紗月を盗み見た。
黙々と使用リストをチェックするその横顔は、静かに集中していて、どこか張り詰めた空気をまとっていた。
紗月はいつも厳しいが、しかし決して冷たい訳ではないということも、団はここ数日で学んだ。
「……こら、また手が止まってる」
「ッ、すみません!」
紗月がさっと救急箱を持ち上げたので、反射的に団は手を早めた。
また、学校へ行けば行ったで、包帯姿は注目の的だった。
「真田、その腕どうしたの?」
「また異能犯罪者に突っ込んでったんだろ」
クラスメイトが代わるがわる寄ってくる。
「ちょっとドジ踏んじゃってさぁ」
団は苦笑いで返すが、クラスメイトたちの眼差しには、団がホワイトの隊員であることへの好奇心と、団の性格への畏怖が混じっているようだった。
放課後のチャイムがなると同時に、団は素早く教室を出る。普通の高校生としての日常と、命を張る任務。その境界線を行ったり来たりする忙しない日々だった。
それからまた数日後、団は犬飼に呼び出され、久方ぶりに特局エリアへと足を運んだ。
報告室へと入ると、犬飼が資料の束を机に並べている。団は犬飼に促され、真ん中のソファへと座り込んだ。
「田中爽について、その処遇が確定した」
犬飼はさっそく手元の書類を一枚、団のほうへ滑らせた。
「未成年、かつ異能が制御不能状態にあったこともあり、田中爽個人に罰は科されない」
団の胸が、少しだけ軽くなる。
「……じゃあ、爽は」
「だが、怪我人も出ているし、建物の損壊もある。田中爽は暫く、保護対象として正式に登録された。今後は技術開発局が主となって異能制御のプログラムが開始される」
つまり支援と監視の下、保護されながら再教育されるということだ。
「公的には“管理不十分な異能社会の構造的問題”とされ、爽個人への責任も、問われることはない」
「……良かった」
団は、ふっと肩から力が抜けたように息を吐く。だが、その安堵の言葉に、犬飼の表情が険しくなった。
「良かった……だと?」
犬飼の声に、団は思わず顔を上げた。いつになく冷えた響きだった。
「お前の『良かった』は、どこに向けた言葉だ? 爽にか? 自分の判断が結果的に正しかったと安心してほっとしたからか?」
「えっ、と……」
言葉に詰まる団に、犬飼は容赦なく言葉を重ねる。
「……田中爽を捕まえる際、邪魔をしたらしいな」
「…………はい……ッでも!」
思わず、団は声を荒げた。
「あいつ、自分のこと、化け物だって言ってたんです。まだ十歳にも満たない子が、自分をそんなふうに……俺まで、あいつを犯罪者扱いしたくなかった!」
声が震えるほどに思いを吐き出した団に、犬飼はしばらく無言で視線を向ける。ただ静かに、しかし力強い目線だった。
「……今回は、たまたま第三者に大きな死傷者が出なかっただけだ」
淡々と、けれど突きつけるように犬飼は言う。
「だが、現実には巻き込まれた民間人がいて、施設の一部も崩壊している」
「……それは……」
「責任を問われなかったのは、“法的に”だ。だが、人の心は法じゃ裁けん。怪我をした人は? 壊された施設の持ち主は? その場に居合わせて恐怖を抱いた人だっている。その人たちに対しては、どう責任がとれる」
団は俯き、拳を握った。わかっている。わかっていた。けれど、それを真正面から突きつけられると、胸が痛んだ。
犬飼はふう、と息をついて、声を落とす。
「……罰を受けないからと言って、責任が消える訳じゃない」
その一言が、静かに、だが深く響いた。犬飼は間を置いてから、団に目を向ける。
「団。お前はあのとき、何のために動いた」
「爽を……助けたかったからです。あいつは悪くない。ただ異能が暴走しちゃっただけで、悪意があって誰かを傷つけようとしたわけじゃなかった……」
「では、悪意がなければ、人を傷つけても、“悪”じゃないのか?」
犬飼の言葉に、団ははっと目を見開いて息を飲む。
「お前は、悪を“わかりやすいもの”として見てないか。明らかな加害者、明らかな悪意。それだけが悪だと思っていないか」
「……それは」
「異能の暴走で誰かが怪我をした。爽には悪意がなかった。だが――怪我をした側からすればどうだ? 悪意のあるなしなんて、関係ない」
犬飼の声には、怒りはなかった。ただ、現実を伝えるための真っ直ぐな強さがあった。
「お前はお前の中の“正しさ”に基づいて動いた。だが、正しさは時に独りよがりにもなる。誰かを庇っているつもりで、別の誰かを踏みにじってるかもしれない。誰かの痛みを見落としているかもしれない」
団は歯を食いしばった。
「――“正義感”は、免罪符にはならない」
それは、ただの説教ではなかった。犬飼の目は、まっすぐに団の未来を見ている。
「お前がそれでも“正しさ”を貫きたいなら、せめて全方向に目を向けろ。助けた相手も、助けられなかった誰へも目を向けろ。耳を傾けろ。自分の頭で、ちゃんと考えろ」
団は拳を握りしめながら、深く頷いた。
団の左腕は、紗月による定期的な施術と、自身の回復力に助けられて、ようやく痛みが引き始めていた。
「……まだもう少しってところだな。動かすのは問題ないが、全力で振り回すのはやめとけ」
触診を終えた紗月が、手際よく包帯を巻き直しながら言った。仄かに消毒液の香りが鼻をくすぐる。
団は椅子に座ったまま、小さくうなずいた。
「……今日で一週間だ。どうだった、医療班は。お前にとってなにか学びに繋がったか?」
ふと、問いかけるように紗月が言った。団は少し考えこむように眉を寄せたあと、ぽつりと口を開く。
「めっちゃキツかったです……ずっと頭も手も動かしてなきゃいけないし、覚えることも多かったし」
団は苦笑まじりにそう答えた。けれど、その表情にはどこか満足げな色がにじんでいる。
「……学びに繋がったかはわかんないですけど、俺、紗月さん見てて、少し気づいたことがあって」
団は言い淀むように視線を落とし、それでも自分の言葉を探すように続けた。
「俺、たぶん……肩入れしすぎてたんだと思います。田中爽に。あいつに感情移入しちゃって、ずっと"あいつの目線"でしか見れてなかった。だから――"爽は悪くない"って、そう思い込んでたんです」
ぽつり、ぽつりと紡がれる言葉に、紗月は手を止めて団を見つめた。
「でも……犬飼さんに言われて、それは違うって。怪我した人とか、巻き込まれて怖い思いした人からしたら、“わざとじゃない”とか“悪意はなかった”なんて、関係ないんですよね」
団は、唇をかむ。
「俺、自分が“正しいことをしてる”って思いたかっただけだったのかもしれない。けど、それって結局、俺の視点だけで、他の人の痛みを見落としてたんだって……」
息を吐く団に、紗月は包帯を留め終えた手をそっと膝に置いて、静かに言った。
「それに気づけたなら、十分だ。お前が自分の視野の狭さを悔やめるようになったのは――“成長”だよ、団」
その言葉は、決して慰めではなかった。どこまでも事実として、評価としての、まっすぐな声だった。
団は、少し目を見開いて、それからゆっくりと頷いた。
「痛みに過敏な人も、逆に我慢してる人も、ちゃんと見て、必要な処置をしてて……」
団は、言葉を探しながら手元を見つめる。自分の不器用な言い回しに口を挟むことなく、紗月はじっと団を見つめて話を聞いてくれる。
「言葉だけを信じるわけじゃなくて、その人の状態をちゃんと見て、必要なことを、必要な分だけやるっていうか……」
そこで言葉が切れる。団は、指先から紗月へと視線を戻した。
「俺、今まで“助けたい”って気持ちばっかり先走ってて……誰かの痛みをちゃんと見ること、できてなかったなって。紗月さんみたいに、冷静に判断できるようになりたいです」
その言葉には、ただまっすぐな思いが込められていた。
「……そうか」
紗月は少しだけ目を細めてから立ち上がる。団に背を向け、救急箱を棚に仕舞う。
「……私だって、見れてないことも多いぞ」
ぽつりと呟いた紗月の言葉。思わず聞き返そうとしたところで、紗月はぱっと振り向いた。
「……そういえば、件の田中爽という少年の事だが」
紗月がふと話題を変えた。その事に戸惑いつつも、団は姿勢を正す。
「異能暴走の要因として、精神の不安定さが指摘されていたが――どうやら幻聴が聴こえていたらしいな」
団の表情が強ばる。
――……ときどき、変な声が聞こえるんだ……。力を解き放てって……。バカにしたやつらは、殺しても大丈夫だって……――。
爽が口にしていた言葉が脳裏に蘇る。聞くたびに頭がぼんやりして、体が勝手に動く、と言っていた。
「最初はただのストレス反応だと思われていた。だが技術開発局での計測時、異常なアストラルギーの乱れが観測された」
紗月は引き出しからファイルを一枚取り出し、団の前に差し出す。
「本人は、それがどこから聞こえるのかも分からないと言っている。だが、聞こえるたびに、体の中の何かが揺さぶられるような感覚があるらしい」
団はファイルを受け取りながら、慎重な手つきでページをめくる。
――やっぱり、あれはただの暴走なんかじゃなかった。
「これって……何が原因なんですか?」
「まだ何も断定はできない。だが、アストラルギーの干渉によって“精神領域”に何らかの作用がある可能性は高い。現在は研究局が中心になって解析中だ」
紗月の声は、落ち着いていたが、深い憂慮を含んでいた。団はファイルを見つめながら、ゆっくりと唇を引き結んだ。
ノーマンズ・コード 海月深 瑛 @q8_gao
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