欲求に胃もたれ

脳幹 まこと

食べても食べなくてもつらい


 年中、欲求不満みたいな感じだったのが、最近すっぱり消えてしまった。


 悟りの境地に入ったとか、経験を積んだからとか、ましてや現状に満足したからじゃない。

 ただ――もうお腹がいっぱいになってしまった。

 それでも美味しい話はネットや電車の広告や人づてに伝わってくるんだけどね。


 なんでだろうなあ。歳をとると食が細くなるとは言っていたが、精神の方も細くなるってこと?

 自分なりに考えてみたんだけど、例えば服とか鞄とか家具とかって、ある程度使いこむと愛着が出てくる。そういうのに囲まれるとある程度は嬉しくなるんだ。それが安物でもね。

 で、どっかの契機で新しいものを目の当たりにする。ある程度値段はするが凄い良さそうに見える。実際の経験上、ほとんどの場合良い経験が出来るのも分かってる。


 ただこれがさっさと買えない。新しいモノを買うと、以前の通りには愛情を注げなくなる。単純に数が多くなるからね。分散してしまうわけだ。

 それが物凄くつらくて億劫になってしまう。だってもう満腹なのに、良い香りがするからって店に入るようなもんだよ。実際おいしかったし、別にそれで吐くみたいなことにはならないけどさ、胃がもたれてしょうがないんだ。


 だからって買わなかったら、それはそれでやっぱりつらい。自分が「良い」と思ってて、しかもほとんど外れたことがないのを見逃すわけだからね。

 最近の世の中って本当すごいよね。本当、色んなとこに簡単に手が届くようになって。「楽しい体験セット」みたいなのが個人ごと、気分ごとにパッケージ化されてる感じ。それを食べたら回復、みたいな。

 そういう質の向上が見て取れるようになったのも、そういう質のものを比較的容易に手に入れられると自覚するようになったのも、このつらさをより高めている感じがする。


 一応、この状況に対する解決法としては「古い方を捨てる」っていうのがある。どうせ名残り惜しさを抱くのは長くて一カ月程度で、名残を覚える頃ですら半分くらいは「こうして良かった、なんでこうしなかったんだろ」って思ってる。

 と言っても――その選択をすることは、新しい方を買ったとしても「いずれはより・・新しい方に替わって捨てる」という前提の世界に自分を放り込むことになる。そうなると愛着なんてうまく持てない。生活を支えるパートナーが「消耗品」というカテゴリに変わってしまうんだから。


 目の前にまたひとつ、新しいモノがやってきてしっぽを振っている。

 私はお腹をさすりながら、自分を今まで支えてくれたモノとの思い出と、これからやってくるであろう確定された喜びとを天秤にかける。

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