第二章 第三節 行商③
早朝、鳳介は鳳迅の庵に通うようになった。新しい修行である。まずは関節の可動域を広げ、体の動きと呼吸を合わせるよう指導された。かつて習い覚えたはずの套路は、今思えば「踊り」のようなものだった。体を柔らかく使い、呼吸の力で練り上げられた突きや蹴りは、今までにない手応えを生んだ。さらに、力の入れ加減を加味することで、鳳迅の杖を打ち付けられても痛みを感じないようになってきた。
「それにしても……ずいぶんと体ができあがってきたのう」
鳳介は黙って頭を下げる。脚を肩幅に開いて腰を落とし、両腕を前に差し出した姿勢を続けたままだ。膝や上体の角度がぶれる度、杖でしたたかに打ち据えられる。もっとも、呼吸によって調整された体は、打ち据えられる部分だけを正確に硬質化していて、鳳介は痛みを感じていない。
「上手にはなってきたが…これはどうじゃ」
杖の中ほどを持った鳳迅が打ち据えた杖の反対側を使って別の場所を打つ。ほぼ連続しての打撃で、鳳介の予測を超えた攻撃だったため、体の準備が間に合わなかった。
「……っつう……。油断でした」
「うむ。どんな技も、完璧ではない。どのように使っていくかが大切じゃ。心しておけ」
鳳迅に言わせれば、痛みを感じない強い体は、やがて刃物も通さなくなるのだという。さまざまな形に体を折りたたみ、鳳迅の言うとおりの呼吸を繰り返す鳳介の体は、一月ほどでずいぶん変わってきた。現在のヨガに似た手法であったろう。こうした全身の筋肉を自在に操る修行は、やがて体を動かしながらの段階へと進化する。日常生活すべてが、筋肉の動きを意識するための生活になったわけだ。
修行の忙しい鳳介の行商は、三郎の屋敷だけになった。行商の生き帰りの歩き方にも指導を受けた鳳介は、「歩法」を身に着けるべく、今までより時間をかけて歩くようになった。要は、足裏全体を使い、体重移動の際に体全体の筋肉を意識するのである。担いだ天秤棒の向きも、誰かとすれ違う度に工夫するよう言いつけられた。当然、視野も広くならざるを得ない。
少年から青年へと成長していく鳳介の変化は、三郎の屋敷にいる郎党の目にも分かるようになった。立ち振る舞いに「隙」がないのである。ぶっきらぼうだった口調も穏やかになり、受け答えにも落ち着きが見られるようになった。このころ、三郎が屋敷にいることが少なくなっていた。行商に来た鳳介の相手をするのは、郎党の野邊勝元(のべ・かつもと)になった。かつて鳳介が「手の内」を見せた際、相手をしていた五郎佐の師匠である。
「うむ。よい出来じゃ。醤油の味も程よく染みておる。いつもより『色』をつけておいたぞ」
「ありがとうございます」
「裏庭の稽古には……」
「この後すぐに戻って、鳳迅さまのお世話がありますので……」
「左様か。今一度『手の内』を見せてもらいたかったのじゃがな」
「申し訳ございませぬ」
鳳介の言う「鳳迅さまのお世話」が、鳳介自身の修行であることは、勝元にも分かっていた。鳳介十五の春。少年から青年に成長しようとしている姿を、どこかまぶしいものでも見るかのような勝元だった。
勝元の姓・野邊は、三郎の屋敷のある場所より南の「櫛間(くしま・現在の串間市)」に多い。櫛間の馬は、小柄ながら後足がたくましく、山道にも強い。餌の選り好みをせず、それこそ「道草」を食べながら移動できる馬もいた。軍馬として必要になれば、櫛間の農民がそれぞれ育てた馬を買い上げる形をとっていたのである。
この馬を、三郎は何としてもそろえたかった。勝元を囲い込んだのはそのためだ。だが育てた農家に足下を見られ、高い買い物になるのもしばしば。複数の惣のネットワークだけでは、限界があった。
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