第一章 第一節 拾い子
東の稜線が、白んできた。梅雨明けの日差しは眩しくなってきたが、山の風はまだ心地よい。わずかばかりの朝陽に手を合わせた僧が、腰を落とす。体をゆっくりねじりながら腕を回し、反転して片脚を突き出したかと思うと体を丸め身を沈める。眉に白いものが交じる僧の動きは、存外に若々しい。一通りの動きを済ませるころには、あたりはすっかり明るくなっていた。
経を読み、瞑想にふける。僧の宗派は真言密教。この国に伝わった密教とは少々異なるが、大陸で学んだ後、事情があってやってきた渡来僧であった。夕刻になれば、山の恵みを供えに来る者もいる。比較的のんびりした暮らしである。聞きなれた足音と声がしたため、入口に目を向ける。
「鳳迅さま。フキの佃煮は要らんですか。まだ少し残っておったもんじゃから、おすそ分けに参りました」
がっしりした、小柄な男だった。日に焼けた顔には深いしわが畳まれていたが、背筋はしゃんと伸びている。名は甚助。木地師である。鳳迅が流れ着いて以来、知り合いの伝手を頼っては庵を建ててやり、時折「おすそ分け」と称して食べ物を持ち寄ってくれる奇特な男である。鳳迅が使う木椀や箸も、甚助が作ったもの。ずいぶんとお人よしらしい。いつもならそのまま立ち去る甚助だったが、今日に限ってぐずぐずと煮え切らない。鳳迅もさすがに気になった。
「甚助、いかがしたのじゃ。何か話があるのか?」
「へえ……」
「黙っていては埒が明かぬ。言うてみよ」
「かかあが、ガキを連れてきてしもうて……」
「ん、甚助は独り身ではなかったのか?」
「押しかけってやつで……へへっ……別嬪で……あ、そいつが山で拾ったっちゅうんでごぜえやす」
「連れてきたとな。どんな子じゃ」
「あ、鳳迅さま、かかあは『ミツクリ(箕作)』なんで、そのへんから拾ってきたっち言うとりました」
江戸時代末期に「サンカ(山窩)」と呼ばれた放浪民。この時代、当人は、自分たちを「仲間」と言う意味で「けんた」と称していた。その都度、河原等に拠点を作る「せぶりけんた」と、決まった拠点(寺社の軒下等)を回遊する「どや付きけんた」に大別される。生活形態は、狩猟採集が中心。基本的に定住はせず、拠点(天幕、急ごしらえの小屋、自然の洞窟、古代の墳遺跡、寺等の軒先など)を回遊し生活していた。職業の区別もあり、「ポン」と呼ばれるサンカは川漁、副業的な位置として竹細工などをしていた。また「ミナオシ(箕直)」「ミツクリ(箕作)」と呼ばれるサンカは箕、かたわらささら、箒の製造、行商、修繕を主な収入源としていたとされる。また女性は、娼婦として生計を立てる者も多かった。甚助の「かかあ」は、おそらくこうした集団からはぐれてきたのだろう。行商で訪れていた村からは、物を盗んだり、勝手に土地に侵入したりして批難されることが多かった。元来、私的所有権についての理解がなかったためである。人別帳や戸籍に登録されないことも多かった。山で暮らす鳳迅は、こうした者たちのことも聞き及んでいたのである。
夕刻の会話では要領を得なかったため、鳳迅は甚助の住まいを尋ねることにした。獣道しかない山中だが、修行で山には慣れている。小屋とも言えないほど傾いた建物が目に入ると、傍で竹箒を作っていた女が立ち上がり、頭を下げた。小柄な甚助よりやや上背のある色白の女だ。左目の下にある小さなほくろが、妙に印象的だった。艶のある黒髪と切れ長の目。甚助の嫁にしてはずいぶんと若い。
「トヨ、です」
「鳳迅じゃ。子がいると聞いてきたが、どこにおるかの」
入口に掛かった蓆をまくって、五歳くらいの子が出てきた。年に似合わぬ落着きをもった男子である。両の手の指先が、ひざの少し上まであった。伸び放題の髪を頭の後ろで無造作に束ね、じっと鳳迅を見ている。
「トヨ、この子の名は何かの」
「言葉が遅くて……『ホウ』としか言わんもので、『ほうすけ』と呼んどります」
「『ほうすけ』か……わしの『鳳迅』と同じ読みがあるのじゃな」
自分の名と共通する読みがあると口にした鳳迅だったが、後に自分の一字を与えることになるとは思いもよらなかった。
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