風の鳳介

西久史

序章

 風が、暖かくなった。土が、黒々と湿っている。冬ごもりをしていた獣が、少しずつ動き始めていた。麓に遅れること数日。山間の木立にも、春の気配が見られるようになっていた。


 春は、はたから見れば生き生きとした喜びの季節。だが野生の生き物にとっては、生きるための闘いが始まる季節でもある。山に住む猿の群れは、ようやく出産の時期を迎えていた。群れから巣立つ「はぐれ」が出てくる時期でもある。餌を求めて移動を繰り返すうちに、山のそこかしこで小競り合いをする姿も見られるようになった。そんな猿の中に、どういうわけか体の毛がないオスが見える。


 毛のない猿というより、そのまま人の子である。申し訳程度の布を身にまとっていて、彼が捨て子であることがうかがえる。人の子にしては腕が長く、他の猿と同じように四足歩行を常としているため、猿の中にいて違和感がない。近くで見ると、初めて猿でないことが分かる程度だった。後頭部に、大きな瘤がある。血は止まっているようだ。見た目は三歳から五歳。栄養状態が分からないため、それ以上は不明である。周囲と会話しているわけでもないため、これ以上は判断できない。時折「ホウ」と発声するのみで、どちらかと言えば野生動物に近い雰囲気でもある。やがて彼は、とある猿の群れに近づいていた。当然、受け入れられるはずもない。


 小枝を投げつけられる。


 歯をむいて威嚇される。


 次第にその数も増えてくる。


 気が付けば、彼は囲まれていた。自分と同じくらいのやつもいれば、少し小柄なやつもいる。素早すぎて避け切れない。引っかかれ、押し倒されて、どこをどう痛めつけられているのかも分からなかった。毛むくじゃらの生き物の影が三ついるのは分かったが、ただそれだけだった。馬乗りになったやつだけには手が届いたので、思わず噛みついた。殺されそうになったため、体が反応しただけである。「ゴッ」と音がしたと思ったら、馬乗りになったやつの重さがなくなった。柔らかな体に抱き留められ、彼は意識を手放した。

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