総集編

【1】鈴木 ―「僕の背表紙は、まだ白いままだった」

僕は鈴木。

どこにでもいる、地味な高校一年生。

教室では空気、部活には入っていない。誰にも期待されず、誰にも頼られない。


だけど、昔は違った気がする。

小学校では、笑っていた記憶がある。くだらない冗談に笑い合って、くだらない夢を語り合って。


それがいつからだろう、

誰かに笑われるのが怖くなって、黙ることを覚えたのは。


そうやって僕の毎日は、白紙のまま積み重なっていった。


でも――

一人の背中を見つけたとき、初めて「このページをめくりたい」と思ったんだ。


それが、渡辺沙綾だった。


【2】沙綾 ―「言葉の重さが、いつも怖かった」

私は渡辺沙綾。

人と話すのが嫌いなわけじゃない。ただ、言葉がいつも自分を裏切るだけ。


少し沈黙すると「怒ってる?」

頑張って喋ると「なんか無理してない?」


誰かといると、自分が自分じゃなくなる気がして。

そのたびに、ひとつずつ殻が厚くなっていった。


だけど、

本の中では、私の言葉は私のままでいられた。

誰かの感情に翻弄されず、自分の時間を守れた。


……それでも、時々ページを閉じたときに、胸の奥に静かな穴が開いているのを感じた。


たぶん私は、

“誰かに読まれたい”と思っていたのかもしれない。


【3】鈴木 ―「ふわりと、物語がめくれた日」

その日、僕はひとりで駅前の喫茶店にいた。

流れるBGMも、窓の外の風景も、何もかもが灰色だった。


だけど、彼女が通り過ぎた瞬間だけ、

世界が色を取り戻した気がした。


黒髪のロング。黒のブレザー。

視線を交わしたわけじゃないのに、彼女の存在だけが焼きついた。


それから僕は、彼女の気配を追いかけるように、図書室に通いはじめた。


それは、知らなかった物語の最初のページを、そっとめくるような行為だった。


【4】沙綾 ―「視線のページを、私はめくっていた」

気づいていた。

静かだけど、いつも同じ時間に現れる男の子。目が合うと少しだけ焦ったように視線を逸らす。


不思議と、嫌じゃなかった。

むしろ、その距離感に、少しだけ救われていた。


ある日、私は読書ノートを置き忘れてしまった。

胸がざわついて、取り戻しに戻ったとき――彼がいた。


「これ……落としました」


彼はそう言って、ノートを差し出した。

その目は、嘘を知らない真っ直ぐな色をしていた。


私は、その瞬間に思った。

あ、この人になら、少しくらい読まれてもいいかもしれない、って。


【5】鈴木 ―「君が書いた物語の扉に、触れた気がした」

「読んだり、してないよね?」


彼女にそう聞かれたとき、一瞬迷った。

けれど、嘘はつきたくなかった。


「うん。読んでない。表紙だけ。……でも、なんとなく中身の温度はわかった気がする」


そのとき、彼女が小さく笑った。

初めて見る、ほんの少しだけ解けた笑顔。


「好きな本の感想、全部詰めてあるの。たぶん、私のこと、ほとんど書いてある」


まるで、“中身を読んでもいい”って許されたような気がした。


その瞬間、彼女の物語に、僕のしおりがそっと挟まれたような気がした。


【6】沙綾 ―「“心の鍵”が、少しだけ回った」

再会は、図書委員だった。

まさか彼が、入ってくるとは思わなかった。


だけど、嬉しかった。

あのノートの続きを、少しでも話せるかもしれないと思った。


「LINE、交換しない?」


そう言ってスマホを差し出した自分に、自分で驚いた。

だけど、彼の反応が、優しい空気を纏っていて――怖くなかった。


少しずつ、私の中に積もっていた言葉たちが、音になって出てきた。


「うち、来てみる? 図書室より、本あるよ」


誘ったその言葉は、私のページをめくる音だった。


【7】鈴木 ―「本棚の奥に、彼女の人生が並んでいた」

渡辺さんの家のドアを開けた瞬間、

本の香りがした。


壁一面の本棚。どれも、彼女の時間を積み重ねた証。


「これ、私が初めて買った本」


差し出されたその一冊は、装丁の角が丸くなっていた。

触れた瞬間、まるで彼女の手の温度が伝わってくるようだった。


「この本が好きって言ってくれたら、たぶん私のことも少しはわかってくれる気がする」


そう言って笑ったその顔は、どの表紙よりも、印象的だった。


【8】沙綾 ―「“好き”を、誰かと共有したくなった」

ずっと、自分だけの世界だった。

お気に入りの本も、映画も、言葉も。


でも、彼には見せてみたくなった。

心の中に、彼の居場所が自然にできていた。


「今度、観に行かない? 私の好きな小説、映画になるの」


あのとき、彼が「うん」と頷いた瞬間、

私の物語に、初めて“共演者”ができたような気がした。


上映後、私たちは並んで歩いた。


「あなたと観たから、もっと好きになった気がする」


その言葉は、私の心から滲んだ、まっすぐな告白だった。


【9】鈴木 ―「君となら、物語は終わらない」

恋は、静かだった。

だけど、確かに僕を変えていった。


まるで、背表紙に少しずつ色が染み込むように。


独りじゃなかったから、

気づけた風景がある。届いた言葉がある。


僕の人生はまだ白いけど、

彼女という物語と出会って、初めてその“書き出し”が見えた気がした。


――たぶん恋って、そうやって少しずつ、誰かのページに寄り添っていくことなんだ。


そして今、僕の背表紙には、ほんの少しだけ色がついている。


それが、彼女の色だとわかるだけで、

世界はちゃんと、美しかった。

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恋はグラデーションの背表紙から 〜図書室で始まる静かな物語〜 シリウス Sirius @00241980

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