『起』-沖内対古

 最初の一文は決まりきっている。書き始めに悩むようなら、その作品は描かなくてよい。


 そうのたまったのは誰だったか。名前も著作も思い出さないあたり、その程度の作家だろう。


 暗い部屋の中。モニターの明かりだけが手元を照らしている。あぁ、いや適当にかけたテレビも点いてたか。内容も知らない、土曜の夜中にやってる邦画だ。出てる役者に朧げではあるが見覚えがある。メンツ的にも結構前の作品だろう。


 興味は薄いが、これがプロの創作者なんだろう。上映されて、テレビでも放送されて。どのタイミングで収益が発生するかは謎だが。

 そう、収益。それがプロとアマの境界だ。

 たとえば賃金が発生しない以上は遊びだって言うなら、今俺の頭を悩ませているのもまたお遊びだった。


 小説投稿サイトでの企画。リレー小説だ。


 公募まで時間が空いていて暇だからと企画したら、気の迷った迷子が三人も居やがった。どうせ誰も参加なんてしやしないと油断していた俺が悪い。


 ルールは至ってシンプル。参加者四人が各々の味を消さず、一つの短編を完結させること。内容については互いに打ち合わせなし。

 重ね重ね、持ち味を消さないのは大前提。しかし、リレー小説の性質上、ある程度という点は意識してほしい。

 最後に、書き上がった作品に対しての文句は受け付けない。たったそれだけ。


 順番で少し揉めこそしたが、ほぼ滞りなく話がまとまってしまった。俺は言い出しっぺの原則ということで、先駆けを務める羽目に。起承転結の起。トップバッターが敬遠。バッターじゃなかったら投げ出さなかったのにねぇ。


 起、キねぇ……。気、木、黄、キ……。キーキッキッキ。こんな笑い方、悪魔超人か魔女みたいだ。

 いや魔女ならイーッヒッヒか。こねくり回すお菓子の婆さんが、たしかそんな笑い方だった。


 駄目だ。公募の長編を練ってた時より酷い。他の人間にリンクさせるなんて、出来るんだろうか。

 耳をつんざく悲鳴に顔をしかめる。BGM代わりに流していた映画だった。


 あぁ、にしてみるか。


 白紙の原稿に向き合ってから一時間、俺はようやく筆を執った。


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 夜の街が好きだった。


 偉そうなことを言ってしまえば表情が変わる。夕方を過ぎると、ビルや電柱が巣に帰りでもしてないと説明できないほど、ガラリと街並みが様変わりする。


 小学生の頃は知ってる街が崩れていくみたいで夕方が怖かった。高校生にもなるとその様が楽しくて、むしろ夜を遠ざけてくる補導の方が怖くなった。


 だからなんだろう。、歩き過ぎた。


 手のひらのスマホを見れば、もう午前二時に差し掛かろうという深夜。いつもは来ない隣町との境まで来てしまっていた。

 道はなんとなくわかる。ほぼほぼ道なりに歩いてきた。大きな通り──と言っても二車線あるだけだが──に出れば、すぐに見知った所に出るだろう。


 人っ子一人いないのは、いい。田舎だから十時を過ぎるとコンビニすら暗くなる。そんな時間に出歩く人間はいない。鼻唄はおろか大声でフルコーラスを歌い上げても苦情の一つも来ないだろう。イヤホンがあれば、深夜のカラオケと洒落こめたのに。今日に限っては家に忘れていた。


 ま、いいけど。怪しい箇所はハミング、歌唱の技術はハートで誤魔化す。邪魔されることのない熱唱だ。

 サビに入りかけた所で、ふと気づく。


──なぜ、音が全く聞こえない?


 街頭の何かを巻き取るようなジーという音は? いつも喧しい鳥の鳴き声はどうした。静かに鳴る虫の音は、いつから止んでいた?


 全身が総毛立つ。何か、わからないが異常事態が起きている。そしてそれはだ。

 なんとなく嫌な感じがする。とんでもない目に遭ってしまう予感。お化け屋敷の中を歩く感覚で、早足のまま先を急ぐ。


 すると微かに。うっかりすると聞き逃してしまいそうなほど小さな物音がした。しっかりと閉じなかった蛇口から雫が滴り落ちるような音だった。


 そこはコンビニだった。当然、こんな時間では閉まっていて、電気も消えているはず。

 だというのにパチパチとまるで焚き火みたいな爆ぜる音がしている。

 息を殺し、姿勢を低く。辺りを窺う。腰の高さくらいの看板から、その奥を覗こうとした時──


 手を置いた看板がズレた。

 そのまま地面に落下する。分厚いガラスの割れるような、騒音を立てた。


「……なんだこれ。えっ? 血!?」


 右手の惨状に、思わず立ち上がってしまった。

 開きの死体。

 血溜まり。

 脱げた靴。

 火花を噴く看板。


「ひっ、ぁ──うっわ、あ?」


 何だこれ何だこれ何だこれ。

 サラリーマンの活け造り? コンビニの看板も被害者? 

 背後でガタリと音がした。


「誰っ! ですか……?」


 音に弾かれるように振り返る。

 道を挟んで向こう。斜めに切られた自販機から、缶コーヒーが一つ落ちて転がってきた。

 首筋に何かが当たる。血が凍りそうなほど、冷たい何かが。


「待て! 殺すな! 殺さないで、くれ。何もし、ません、から」


 ごくりと飲んだ唾の温かさに、血の熱さを思い出す。

 大きな声を出すと喉元の刃物が当たる。気づいてから声を低くしたが、その所為でカタコトめいた妙な区切りになってしまう。


「────」


 必死の命乞いが功を奏したのか、喉にあてがわれていた刃物が下げられる。

 背中を押され、二、三歩前につんのめる。

 よろけながらも立て直し、踏み止まった。いやいや止まるべきじゃないだろ。今すぐにも走って投げ出さないとマズいだろ。

 短距離走のように駆け出すつもりが、膝が笑って競歩じみた足の出方になる。急げ急げと命令が出るものの、足が従ってくれない。


「おい、待て。行くな。ゆっくり振り向け」


 抜け出そうとする俺を止めた、女の声。それも若い。教室で聴くような声だ。


 こんな場所から早く逃げ出したい。けれど、女の指示には逆らえない。相手は刃物を持っている、その上この状況を作り上げた殺人者だから。

 意を決して、振り向く。


 その殺人犯は、セーラー服を着ていた。

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奇書異本 一畳一間 @itijo_kazuma

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