東インド介入<5>

 1976年も中頃を過ぎると自称"独立国家"群と東インド諸島連邦の双方で疲弊が目立つようになっていたが、それぞれを"援助"している側の諸国、つまり、大日本帝国、大清帝国、そして南アジア連邦はまだまだやる気に満ち溢れており、ますます戦果は拡大していく一方だった。


 それとともに行なわれていたのが諸外国への工作だった。プロパガンダによる宣伝に始まり、軍事的、経済的援助を含んだ外交戦が各地で展開された。欧州諸国においては南アジア連邦が有利であり、かつての満蒙戦争のときと同じく黄禍論が喧伝されて反アジア的活動が行なわれ、『アーリア人の国家』である南アジア連邦を援助する草の根的活動が各地で見られた。対して南アジア連邦が自らの勢力圏であるとみなしていたインド洋地域などではそうした南アジア連邦支持の活動は盛り上がらず、むしろ、南アジアの経済的支配に対する反発から日清両国を支持する動きが生じ始めた。


 日清両国もそれに答える形で1965年にオマーン統一戦争で敗れたオマーン-スルタン国の亡命政権がグワーダルに存在していた関係で、南アジア連邦と対立していたオマーン-イマーム国に対して莫大な援助を行なった他、汎ツラン主義を前面に出して、ギリシア=トルコヘレノ=トゥルキエ共和国連邦に対する大々的な支援をはじめた。これは南アジア連邦を援助する大アルメニアハヤスタン共和国への牽制であると同時に後述する農村部の情勢不安という内政不安への対処も兼ねたものだったが、社会主義ドイツの齎した惨禍をいまだ忘れていない欧州諸国、中でもかつてパリを焼かれたフランス共和国といまだにローマが生物兵器によって汚染されたままのイタリア王国から猛反発を受ける結果となり、また、大アルメニアハヤスタン共和国に対抗するためにギリシア=トルコヘレノ=トゥルキエ共和国連邦との関係改善を行っていたハーシム朝アラブ帝国政府からは歓迎されたもののいまだに社会主義に敵愾心を持っていたアラブ帝国の保守派からも猛反発を受け、それまでのカタガルガン共和国でのムスリム排除政策や前述のオマーン-イマーム国がスンナ派と異なるイバード派の国家であったことなどと相まって、保守派の間では逆に南アジア支持の傾向が強まるなど、ギリシア=トルコヘレノ=トゥルキエに対する支援によって日清両国は結果的にイスラーム世界全体からの支持を逃したなど負の面のほうが大きいとの学説もある。この日清両国とイスラーム世界との微妙な緊張関係はその後も続くことになる。


 一方で東インド介入は直接に参戦した各国の社会も大きく揺さぶること繋がった。


 南アジア連邦ではそれまでのヒンドゥーとムスリムの調和という政策の下で行なわれていた排除政策に反発したシク教徒や仏教徒、神の子供たちハリジャンと名前こそかえられたもの実態はそれまでと変わらず差別されていた不可触民などのデモ活動やテロなどの幅広い手段による抗議活動は南アジア社会に衝撃を与えることになった。南アジア連邦はそれらを主に日本の特務機関による扇動によるものとして容赦なく弾圧したが、のちの調査によれば、活動のほぼ全てが自発的なものだったとされる。


 対する日清両国においては、特に農村部において不在地主たちが国民配当に加えて重い小作料を課すことで豊かな生活を続ける一方で小作人たちは国家による工業保護政策によりある程度の福祉政策が行なわれていた労働者たちとは違い、国家から毎月支払われるわずかな国民配当によって細々と暮らしていかねばならない状況だったため現在でも移民熱は盛んであり、日清両国での東インド介入についても農村部については移民先としても新たな土地が手に入るという熱意から支持するものが多かったが、一方で移民ではなく国内における政策そのものの変革を求める意見も70年代に入ると出始めていた。


 そうした農村部における変革運動の中で最初に支持されたのはギリシア=トルコヘレノ=トゥルキエが掲げていた農村を重視する社会主義—もっとも公的にはそう主張しなくなっていた—だったが、これは前述のギリシア=トルコヘレノ=トゥルキエと日清両国の緊密化によって支持されなくなっていった。代わって台頭したのが19世紀のアメリカで生まれたジョージズムだった。地価税を唯一の財源とするという考えのもと、ヘンリー-ジョージによって提唱されたジョージズムは一時的に欧米諸国では高い支持を得るもやがて忘れ去られていたのだが、ここにきて思わぬ形で復活を遂げることになった。


 アメリカ生まれのジョージズムは日清両国ではそれだけで忌避される思想だったが、過激なものはそれゆえに閉塞した社会を変える原動力とみなし、穏健派はより社会に受け入れられるよう、例えばともにアメリカを敵とする同盟国のパタゴニア執政府でもその経済イデオロギーの基礎を築いたシルビオ-ゲゼルが自由土地フライラントの名で言及していたことを挙げて擁護した。


 こうして始まった変革運動は日清両国の政府にとって無視できないものに成長することになるのだがそれはまだ先の話だった。

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砲声は未だ鳴りやまず  スキットル @UQT9L5

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