東インド介入<2>
1976年1月16日、カタガルガン共和国駐南洋共和国大使館員に任命された藤森謙也は一応の首都ということになっているボルネオ島の坤甸(ポンティアナク)にいた。
南洋共和国は移民たちが多かったスマトラ島東海岸、ボルネオ島、スラウェシ島、ジャワ島西部を領土と"宣言して"樹立された"独立国家"だった。藤森はその初代大使に任命されていたが、肝心の共和国自体が不安定な代物であることから、藤森の苦労は絶えなかった。
共和国の存在を不安定化させているのは、外敵である東インド諸島連邦の存在だけではなかった。そもそも、藤森の故郷(正確には両親の故郷)である大日本帝国は『南洋の同胞の解放』を叫んではいても、そうした移民たちに対して明確に壁を作っていることを藤森はカタガルガン共和国で嫌というほど味わっていたし、もう1つの味方である大清帝国は、半世紀以上前の革命派に始まって近年は北平軍閥が最後のあがきとして"漢民族による共和国"を掲げて反帝国活動を行なっていたことから共和制という政体に不信感を持っており、かつて清国に朝貢していた蘭芳共和国の精神的後継者を自称する南洋共和国すら承認を渋り続けていたのである。
代わりに清国はスラウェシ島で海洋民族ブギス人の諸王国のうちマカッサルを支配したゴワ王国とそのゴワ王国に強く抵抗したボネ王国の両王家の血を引くアンディ-アブドゥッラー-バウ-マッセペを執政としてスラウェシ国を建国したばかりか、本来ならば南洋共和国の"領土"であるはずのボルネオ島においてもかつてオランダによって滅ぼされたバンジェルマシン-スルタン国を再興しようとするなど、南洋共和国にとって第2の敵といえるほどだった。
「全く、ひどい有様だ」
藤森はそう言ってボルネオ島特産のコーヒーを飲んだが、その言葉が"大使館"から見えるいまだに市街戦の跡が生々しく残っている坤甸の街並みに対してなのかそれとも自分の置かれた状況に対してのものなのか、自分自身ですらわからなかった。大変だ、聞いたかと言って1人のカタガルカン共和国陸軍の制服を着た男が部屋に入ってきたのはそれからすぐだった。
「どうしたんです、井上さん」
「シンガポールのアークティック-コンベアーが消えたらしい。修理名目の寄港だったが何らかの兵装を積み込んでるかもしれない…そうでなくともゲリラに対しての物資の供給が…」
「…アークティック-コンベアーの目的が何だったとしても、こっちにできることはないはずです。その情報が下りてきてるってことは帝国海軍はとっくに備えを済ましているでしょうし、何なら撃沈したってことさえあり得ますよ」
カタガルカン共和国陸軍の軍人であり、年上だが友人でもある井上健に対して藤森は努めて明るく答えたが、悔しさを隠しきれなかった。
アークティック-コンベアーは北極海を通って欧州とアジアを最短路で結ぶために天才技術者バーンズ-ウォリスの提言をもとにイギリスで建造された潜水輸送船だったが、インド洋経由の通商路の利権喪失を恐れた南アジア連邦をはじめとする各国の抗議によって一隻のみで建造が打ち切られており、その後は皮肉なことに南アジア海軍が引き取っていた。公式には水中標的としてだったが、近頃はシンガポールのセレターに修理の名目で居座っており、何か目的があるのではないかと疑われたが、最近ではほとんど無視されていたために急に姿を消したことは少なからぬ衝撃を受けた者もおり、井上もその一人だった。
だが、それでも、藤森は帝国海軍がそのような不審な潜水艦を撃沈すると固く信じていたのだが、それが誤りだったと気が付いたのはそれから数分後のことだった。坤甸の町はアークティック-コンベアーに搭載された対地誘導弾によって突如として攻撃を受けたからだった。
それは南アジア連邦による東インドの騒乱への介入、その始まりを告げる最初の一撃だった。
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