現代の世界から~ポポラリズムの諸相~

 ポポラリズム(和訳では大衆主義または民衆主義とも)は1920年代のイタリア王国に発生した思想であり、当時のイタリア首相によるシチリア生まれでマフィアと深いつながりを持つヴィットーリオ-オルランドによる恐怖政治とアルプスの向こう側で起きた暴力的な社会主義革命の双方に批判的だったルイージ-ストゥルツォ司祭によって旧来の資本主義と社会主義に対抗する第三の解決策として提唱された。


 キリスト教的な観点から経済的な分配と政治的な分権化を支持しつつも、社会主義のような強制的な国家単位での再分配は支持せず、地域単位に根差した社会改革を行おうとするポポラリズムは戦前は目立たない思想であったが、戦後は特に大規模な戦災に見舞われたイタリアの戦後復興で大きな役割を果たし、パリの壊滅を教訓に分権化へと舵を切ったフランス共和国などのカトリック各国を中心に受け入れられた他、カトリックが多かった南アメリカ諸国でも受け入れられた。


 やがて、その思想がキリスト教以外にも派生するのは必然だった。アジア圏で知名度が高いのはやはり、仏教ポポラリズムだろう。仏教ポポラリズムとは、その名の通り仏教を基礎とするポポラリズムの変種である。


 第二次世界大戦後に成立したカンプチア王国やルアンパバーン王国のような新興独立国家は仏教ポポラリズムを採用した他、戦前から独立を保っているシャム王国でも強い勢力を持っている。従来、フランスの勢力圏だったカンプチア王国やルアンパバーン王国ではその独立前に本国であるフランスの影響からポポラリズムに触れており、仏教ポポラリズムももとはそうした国家で広く称揚されたものだった。一方で国内に仏教徒が少ない新興独立国家たとえば後阮朝や旧トンキン地域西部のタイ族居住地域に建国されたタイ首長国連邦、日系やフランス系、山岳民などを中心としたコーチシナ共和国ではその活動はほとんど見られない。


 一方でイギリスの植民地であった復古コンバウン朝ビルマ王国や植民地ではなかったが、イギリスの経済的影響下にあった復古ラーンナー朝についても独立時に国家のイデオロギーとして採用した。彼らが相次いで仏教ポポラリズムを採用したのはイギリスに代わって経済的支配を確立した南アジア連邦への対抗のためだった。


 こうした仏教ポポラリズム諸国間の行動は統制がとれているとは言いがたく、近隣諸国間での協力も希薄だ。各地で国境紛争が起こったのも一度や二度ではない。キリスト教圏のポポラリズムが地域単位での漸進的な改革とその積み重ねとしてのベルギー王国などを範にとった国家の柱状化モデルを支持したことから、より広い地域統合が成し遂げられたのとは全く対照的だ。だが、一方で経済的には貧困層に対する支援など各国で大きな役割を果たしているのも事実であり、今後、仏教ポポラリズムがどこへ向かうのか注目が集まっている。

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