テクネイト衰亡史 終章

 1983年9月1日、大統領たるジャクソンは心臓発作で病没したため、副大統領であるアーネスト-カレンバックが後を継いだが、これが政治的な危機を引き起こすことになる。76年の大統領選において選挙人投票で劣勢であったにもかかわらず上院での投票で、それを覆して副大統領に就任したことを理由に80年の選挙においては混乱を避けるために愛国党からも統一候補として支持された自然と秩序党のカレンバックに対して愛国党指導部がノーを突き付けたのだった。


 一度は統一候補として支持したのだから素直に就任を歓迎してもよさそうなものだが、それでも愛国党指導部がカレンバックを拒否したのには理由があった。一言でいえばカレンバック率いる自然と秩序党があまりにも急進的であったためだった。


 それでもカレンバックは合衆国憲法第5条に基づき憲法改定会議を招集するように支持者たちに対して訴えた。より一般的な連邦議会による改定ではないのは未だに自然と秩序党の勢力が連邦議会ではまだ弱く、何よりも自然と秩序党の急進的すぎる政策に対しては愛国党。国民党を問わず反対していたからだった。そして、全52州のうち3分の2以上の35州の賛成によって開催された会議では議論は激しいものとなった。


 改定に賛成した35州に加えてあと4州賛成すれば憲法の改定は完了してしまうため賛成派と反対派はそれぞれ各州の取り込みに必死になった。そうした中で問題視されたのが、アメリカ人が多く居住しているが、しかし州ではないため本来ならば会議に加わる権利のないアラスカ自治連邦区コモンウェルスだった。保守的な傾向のあるアラスカを議論に加えることで改定を阻止させようとするつもりの反対派に対して賛成派は断固として拒否し、結局、39州の賛成を受けて改定が承認されると反対派は『我々はアラスカを忘れない』をスローガンに改定は無効であるとの主張を続け、新憲法の制定は先送りとなった。


 こうした主張を後押ししたのが皮肉にもジャクソン政権がアメリカの各家庭への普及を後押ししたX端末と呼ばれるザナドゥアクセス専用の端末の存在だった。このころには本土での普及率は7割を超えていたX端末でのザナドゥを通じた情報の氾濫によって、各地で民兵による武力衝突やテロ行為が続き、ヴァージニア州ラウドン郡ポトマックフォールズにてウェストヴァージニア州にあるハーパーズフェリー兵器廠の襲撃を画策した民兵たちとそれを察知して阻止しようとした警官隊との間で銃撃戦となり、双方に多数の死者が出た、通称、血の河事件が起こると反対派は合衆国からの脱退までもを検討するようになり、対してカレンバックは連邦軍の出動をちらつかせて牽制し、議会はたちまち機能不全となった。


 一方でそうした情勢を見守る軍内部の意見も政権に対する支持と不支持の2つに分かれていたが、第3次内戦はごめんだ。というところでは一致していた。こうして軍内部では秘密裏に緊急時における鎮圧、つまり現在の混乱が内戦の勃発を招くような事態となった場合、主導権を握るのがどちらの側であれ鎮圧することを目的にクーデターを起こすことを目的としたインフェルノ作戦が練られた。


 アメリカの歴史上初めてとなる軍事クーデター(失敗に終わった結果内戦へと至った第二次世界大戦中のマッカーサーの計画を含めれば二度目)となる前代未聞の計画だが、事態の進行のほうが早かった。


 1984年6月6日、反対派によるホワイトハウスへのハイジャックした航空機による突入が計画、実行された。使用された航空機はカナダの極北地域やシベリアから鉱石や石油、天然ガス等を運搬するための最大搭載量1000トンを誇るリソースクルーザーと呼ばれる巨人機であり、かつてカレンバックが副大統領だった時代に極北地域への開拓に弾みをつけるために実現を後押しした機体だった。突然の予期せぬ事態だったが、すぐに迎撃を受けた航空機は皮肉にも議会議事堂西側に激突し、搭載していた天然ガスの爆発は議事堂のみならずワシントン各地に大損害を負わせた。


 この事態にアメリカは大きく混乱することとなったが、事前に策定されていたインフェルノ作戦に基づき軍が行動を開始し混乱の終息を図ったが、問題はその後だった。閣僚や議員こそ多数が死亡したが、大統領であるカレンバックはホワイトハウスの地下構造物の中で生存していたからだ。


 こうして予期せぬ事態によりカレンバック一強体制が実現したと思われたが、ここでカレンバックは思いもよらぬ行動に出た。自らの新憲法案を破棄したうえでの憲法改定会議の開催を提案したのだった。こうして新たなアメリカの形を決める会議が行なわれ、議論は紛糾したが、内戦を回避する最後の機会を突然与えられた人々はそのために努力した。


 結果として、かつてのフランス第3共和政がそうだったように大統領の権限を弱めること(強大な権限を認めることで苛烈で恣意的な報復が行なわれるのではとの懸念が賛成、反対両派に広がっていたたため)、中央政府と州の中間に位置する広域組織の結成の権利を与えることでバイオ-テクノクラートに近いかつての賛成派に譲歩する一方で、各州に強い独立性を与えることで反対派にも自治権の拡大を通じて政策の自由を保障することなどが定められた。


 そして1986年7月2日に新憲法は発布され、従来のテクノクラシー体制でもなければ、バイオ-テクノクラートの思い描いた未来でもない新体制が実現した。技術体制テクネイトはここに終焉を迎えたのだった。

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