テクネイト衰亡史<8>
1977年3月4日 アメリカ合衆国 ワシントンD.C
上空をヒューズ-アヴィエーションズ-カンパニー製のステルス戦闘機が飛び去って行くのを見送った後、就任式を終えた新大統領ヘンリー-マーティン-ジャクソンはゆっくりと壇上から降りて行った。
ジャクソンは1960年の敗北から16年の歳月を経て誕生した愛国党出身の大統領だった。アメリカの建国から200年にあたる1976年大統領選挙は愛国、国民の現二大政党のみならず、かつての二大政党であった民主、共和両党を含むその他の少数政党でさえも力を入れていた。そこで功を奏したのが従来より愛国党が力を入れていた全アメリカ戦略だった。これにより従来、愛国党の支持基盤ではなかった北部地域の支持、特に同時期に力を伸ばしていた新党である自然と秩序党を結成したバイオ-テクノクラートたちの支持を集め、愛国党のみならず自然と秩序党の大統領候補としても指名されたことによって大きく躍進したのだった。
反面、かつての統制主義的なテクノクラシーを想起させ、その反発から南部地域では愛国党の支持は伸び悩んだが、世代ごとに見れば若い世代の間では愛国党は新たな支持層の獲得に成功しており、将来的には彼らが強固な支持層を形成して愛国党を支持すると考えられたことから特に問題ないとされた。
若い世代の間で支持が伸びたのには理由があり、バイオ-テクノクラートたちの存在もそうだったが、16年の国民党政権下における旧カナダ人への融和政策が一向に実を結ばずテロが繰り返されていることや60年代の大規模な資金削減の結果、情報産業での出遅れやインフラの老朽化などの問題が噴出していたためでもあった。そうした国民党への反発の結果として新たな支持層、そして何よりも勝利を手に入れた愛国党だったが、一方で課題は山積みだった。
特にバイオ-テクノクラートたちが求めている環境保護とそのための大規模な社会統制は大きな反発を招くであろうことは容易に想像がついたし、ジャクソンにしても理念としては共感できても、実際の政策としてはためらうものがあった。
バイオ-テクノクラートたちの提言の中には例えば生態学的に定義されたバイオ-リージョンに基づいて各州を統合、再編、中西部の一部をバッファローの保護区として割り当て、居住していた人間は観光やグアノ採掘等の鉱産資源以外ではほぼ利用されていない太平洋島嶼部に移送、同じく殆ど活用されていないアラスカや旧カナダの極北地域に新都市を作り、旧来の都市のうち一定以上の人口に満たない小集落は放棄して自然に返すなどの極端なものもあった。
バイオ-テクノクラートたちにすればそもそも現在の状況は南部閥への配慮によってかつての愛国党政権が徹底した改革を行わなかったため生じたのだと言い、一方の愛国党内部ではこうした環境保護と技術に対するバイオ-テクノクラートたちの盲信を否定的に見ていた。
こうした対立は大統領選にも影響を及ぼしており、自然と秩序党と愛国党は共にジャクソンを大統領に支持してはいても副大統領は別に立てていたことから1836年以来の上院での副大統領選出投票となり、この結果選挙時には選挙人獲得数で劣っていたにもかかわらず、自然と秩序党の副大統領候補であったアーネスト-ウィリアム-カレンバックが副大統領になった。
こうした内部での対立と調整の繰り返しは愛国党政権をやがて追い詰めることになる。
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