テクネイト衰亡史<5>
1963年を迎えると、アメリカ陸軍がようやく姿を見せ始めた。カナダでの治安維持が主任務となって久しい彼らだったが、一方でこの戦争においては意外な才能を発揮した。カナダ人狩りで得たノウハウをそのまま生かしてゲリラたちの訓練を行ない、一方でそうした経験の浅い清国や日本陸軍(義勇軍)は、領土の奪還が主目的であるため化学兵器の使用も行なえずに損害を積み重ねることになる。
また、同時並行して行なわれた清国空軍及び大日本帝国陸軍航空隊(義勇軍)による空爆はアメリカ製の対空誘導弾によって阻止された。これによって爆撃の継続は困難となり、逆に清国北部各地へのアメリカ陸軍航空隊による爆撃が開始されることになる。かつてのような化学兵器や生物兵器を使用したものではなかったにせよその爆撃の被害は甚大なものになり、清国政府は迎撃戦闘を行なう空軍の努力を称えたもののそれまでの経緯もあり、北平軍閥が清国政府に再び不信感を抱き始めるきっかけとなった。
一方で優勢なアメリカとしてもこれ以上の長い戦争はしたくはなかった。64年の大統領選までには戦闘を終えると豪語したフォレスタル政権にとって何としても64年までには戦争を終わらせる必要があった。そのために利用しようとしたのが欧州諸国だった。
欧州諸国は満蒙戦争において何の役割も果たさなかったのか、と問われればほとんどの欧州人は否と答えるだろう。そして続けて『我々は平和のための最大限の努力をしたのだ』ともいうだろう。
実際、彼らの"努力"の結果として結ばれた珍しく対立の続くイギリスとフランスが中心となってリヨンで纏められた不介入協定によって"悲惨な戦火の拡大を避けるため"と称して軍需物資等の輸出や欧州製各国製兵器の使用は制限されることになった。こうした措置は大清帝国とその側に立って義勇軍を送り込んでいた大日本帝国に一方的に制限をかける動きとなり、欧州諸国との溝がさらに深まることになったのだが、それでも一つの成果とは言えるだろう。
だが、そうした制限を課したうえでの停戦の呼びかけは清国と日本にとっては許しがたいものであり、結局交渉は決裂し、アメリカ側はさらなる一手を打つことになる。申告を支援する唯一にして最大の支援国である日本の樺太島と千島列島への侵攻作戦であるノースウッズ作戦だった。
オホーツク海における重要拠点であるこれらの島々には大和民族をルーツに持つ人々だけでなく、アイヌやニヴフ、ロシア帝国時代から居住するポーランド系や放浪の民族となったフィンランド系なども多数居住していたため、彼らに武装蜂起を起こさせたのちに占領することで、日本に圧力をかけると同時に戦局を有利に進めようと考えたのだった。
だが、これについては反対意見が多く上がった。それは日本側が元々旧極東からの侵攻に備えて樺太南部と千島列島を要塞化していたことが原因であり、また日本側の警戒も日に日に強くなっていることから、義勇兵こそ送ってはいるもののいまだ参戦していない日本の正式な参戦を招くことにつながるという声が強かった。
だが、結局、大統領であるフォレスタルの決断によって実行に移されたノースウッズ作戦は大失敗に終わった。日本側の警戒が強まっていたこともそうだが、何よりアメリカが望むような武装蜂起などが全く起きなかったことが何よりの失敗だった。
それどころか、アメリカの工作員が密告されて逮捕(殆どはデマや勘違い、私怨による虚偽のものだったが何人か"本物"が混じっていた)されたり、偵察任務に就いていたマーチン-ライト社製の原子力偵察無人機が撃墜されたり、とロクな結果にならなかった。一応いくらかの爆撃と海上および陸上からの砲撃と小規模な部隊の上陸には成功したが撃退された。このノースウッズ作戦の実行と失敗は日本及び清国で格好のプロパガンダのネタとされたばかりか、領土を攻撃された日本は1963年10月15日、正式にアメリカに宣戦を布告した。それはこの戦争の一つの転換点となるのだった。
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