テクネイト衰亡史<3>
『ああ、フォレスタル政権か、あれはまぁ酷い政権だったな。当時はいろいろと再編する必要があったのはわかるが、だからと言ってあの混乱する状況で周りに合わせるってのはやっちゃいけない手だった気がするな。そうでなければシベリアで多くの戦友たちが死ぬこともなかっただろうさ…』
フォレスタル政権を振り返ったとある退役軍人の回想より
1962年の中間選挙を前にしてフォレスタル政権は突如として3年前から混乱が続くシベリアの旧極東領への"平和部隊"の派遣の方針を打ち出した。
これはヨーロッパロシアのロシア帝国地域において欧州諸国が行なっていたような軍事介入だったが、実質的には同じようなものだったが欧州諸国のそれが資源地帯や残存していた工業地帯、港湾設備などへの派遣が主だったのに対してアメリカのそれは港湾設備のある沿岸部のほかに公式には何もないはずの北極圏にも少なからぬ部隊を派遣していたことだった。これを根拠に軍事介入ではなくあくまでも"平和部隊"であると言い張った。
それを見た各国はなぜ今更かつての極東の河川反転政策によって水の大半が旧モンゴル各地の人造湖やアムール川水系へと導かれているレナ川の旧河口地帯に出兵するのか怪しんだが、やがてアメリカ企業がかつて有していた鉱産資源の利権を物理的に抑えようとしているのではとの観測が主となっていった。だが、実際にはかつての愛国党政権が北極圏に秘密裏に配備し、いまだ発射されずに極少数が残存しているはずの化学兵器の回収を目的としたものだった。
だがそうした目的は隠されていたため、各国はアメリカは経済的理由からシベリアに注力するものと思い込んだ。そして、それが誰もが予想しなかった悲劇を生み出すことになる。
かつて、儒教の聖都である曲阜への化学兵器攻撃によって悪名を轟かせた極東社会主義共和国の滅亡は当然ながら南の大清帝国にも大きな衝撃を与えたが、それによって最も困ったのは極東との国境地帯である華北地域の蒋介石率いる北平軍閥だった。なにしろ北平軍閥が極東への復讐を名目に、表向きには南京に忠誠を誓いつつ、ロシア帝国と結んでいるのは公然の秘密だった。そして、北平軍閥はその力を背景として半ば自立していたため、南京は北平軍閥の存在を苦々しく思ってもこれを討伐することができなかった。
そのため、ロシア帝国と極東の滅亡は南京にとってはまたとない吉報であり、北平軍閥にとっては予想すらしていなかった突然の凶報だった。
南京は『満州、蒙古の速やかな奪還』を名目に北平軍閥を討伐する姿勢を見せ、北平からは『漢民族の再興』などといったメッセージを含んだ放送が日々流された。一方で、北平軍閥と南京の中央政府の間では秘密裏に交渉が続けられていた。
これは結局のところどちらも破滅的な戦争となるのを忌み嫌っていたからだった。
アメリカが介入してきたのはこうした長々とした、しかし、落としどころのない交渉が続いていた最中だった。北平軍閥と南京の中央政府は共に最初はその行動に警戒心を募らせ、次に喜んだ。なにしろアメリカは"シベリアにしか興味がないということが解った"からだった。
つまり、北部の革命記念油田をはじめとする豊富な地下資源に加えて、今や河川反転政策によって農業地帯としても価値のある満州、蒙古についてはそっくりそのまま引き渡すというメッセージであると解釈した。
こうして、満州、蒙古の奪還作戦である国光作戦が発動され、北平軍閥は事実上の国境線である万里の長城を越え、さらに遼東半島には北平軍閥と睨み合いをしていたはずの大清帝国軍が上陸した。
のちに満蒙戦争と呼ばれることになる戦いの火蓋はこうして切って落とされたのだった。
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