青い熱

宵宮祀花

熱の在処

 鮮烈な青。油彩画のように質量ある白で描かれた積乱雲が聳え立つ空。蝉の声すら遠く、陽炎が遠景を滲ませている。アスファルトに張り付く雨上がりの蛙は、中学の社会科見学で訪れた原爆資料館で見た、影のような犠牲者を思わせた。

 ジリジリと肌が焼けるのを感じる。額から頬、頬から顎へ伝った汗は雨だれの如く降り注ぐ。いっそ本当に雨が降ってくれたなら。願いも虚しく、空は青い。

 遠くで運動部員の声がする。上階からは吹奏楽部が練習する楽器の音が聞こえる。夏の象徴だった水泳部は、学校のプールでは暑すぎるからと七月からは市民プールで練習していて、いまは笛の音が聞こえてこない。

 制服の膝に落ちた汗の雫は、泣いた痕のように滲んでいる。


「毎度ながら、大変だね」


 不意に、呆れたような声がした。

 手は筆を動かし、視線はキャンバスに固定して。ひたすら絵の具をぶつけている。まるで、止まったら呼吸が出来なくなるとばかりに。

 十二色セットで買った絵の具は使用感がバラバラで、青だけが幾度となく新入りに入れ替わっている。他の色が初代や二代目に留まっている中、青は既に八代目だ。

 ついでに白も、間もなく六代目が息絶えようとしている。


「いい加減、嫌にならないの?」


 描き続ける姿を、声が心配する素振りを装って嘲る。


「誰も見ないし、褒めないじゃん。見る人のいない芸術なんか何のためにあるの? 存在してるだけで意味があるものとは違うんだよ? 命や生活に関わるインフラとは違って、絵画なんて見る人が現れて初めて世界に存在出来るものじゃない」


 紺色のスカートに、ぽたりと雫が落ちる。

 じっとりと汗が滲む手の中で、筆が滑った。既に汗まみれだからとスカートで軽く手を拭い、筆を持ち直す。絶対に、筆を置いたりはしない。


「画材は高いし、既にデジタルの時代だし、何なら他人の作品を勝手に素材にして、AI出力して絵描き気取ってる盗人だっている時代だよ。アナログなんて報われないやり方、今時流行んないんじゃない?」


 声はどこか馬鹿にしたような笑いを含んでいる。

 それでも手は止まらない。慟哭のような青が、キャンバスを染めていく。元の色がわからなくなるくらい、青く、青く。

 喉がカラカラになって、血を吐きそうな乾いた痛みが溜息に混じった。咳込んだら本当に血の味がしそうだった。


 筆が止まる。

 顔を上げる。


「そんなの、地に落ちるよりはマシ」


 ハッキリと、声に出して言った。

 もう、嘲る声は聞こえなかった。

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青い熱 宵宮祀花 @ambrosiaxxx

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