僕の感情、売ります

まほろ

僕の感情、売ります

 最初に売ったのは、「怒り」だった。


お風呂上がりに、ベッドで横になりながら、SNS画面をスクロールしていると、たまたま流れてきた広告。


──感情を、売りませんか?──


アプリの名前は『Emo Market(エモ・マーケット)』。

なにかの冗談だと思った。でも、その日は親とケンカして、バイトにも落ちて、頭の中がずっとイライラしていて。。。

「例:怒り 5,000円」と表示されているのを見て、思わずタップしていた。


 ほんの数秒の読み込みと、簡単な登録と設定。

 そのまま流れるように「怒り」を売ってみることにした。

 販売参考価格 最低5,000円〜とあったから、試しに5,000円で出品することにした。


 【出品 17歳 高校生 男 感情 「怒り」 5,000円】


 出品して数秒後に、スマホに通知が来た。

 そこには、


ーあなたの「怒り」が購入されました。ー


 と表示されていた。

 まさかと思いながらも、口座を確認すると、5,000円の入金があった。

 頭の中は、不思議なくらい、スッと静かになっていた。


「……え?」


イライラしてたことが、もうどうでもよくなっていた。

むしろ、何に怒ってたのかすら、思い出せないでいた。


それから、僕は『Emo Market』に、いろんな感情を売りはじめた。


焦り、不安、退屈。

売り始めて分かったのは、感情はそれぞれ値段が違っていて、年齢が若く希少なほど高値がつく。


“恋心:30,000円”

“家族への愛情:25,000円”

“希望:80,000円”


バカみたいな話だけど、

金に困ってる僕には、“売れるもの”が感情しかなかった。


気づけば、家族と話すことがなくなった。


いや、正確には「話す必要を感じなくなった」。


母さんが「今日ね、職場でさ」と話しかけてきても、僕はただ相槌を打つだけだった。

笑うことも、腹が立つことも、泣きそうになることもなくなっていた。


……その、どの感情も売ってしまったから。


アプリを開くと、履歴が残っている。


・恋心:30,000円

・家族への愛情:25,000円

・焦燥:1,700円

・喜び:18,000円


最初は生活費にあてていた。

コンビニで弁当を買い、ボロボロになっていたスニーカーを買い、壊れたイヤホンを新しくした。

だが今は、使い道すら思いつかない。


通帳の残高は増えているのに、何も感じなかった。

文字通り、感情が減っていくたび、俺の中の“人間らしさ”みたいなものが、うすくなっていった。


そんなある日。

クラスの女子が、僕に声をかけてきた。


「ねえ、最近、なんか冷たくなったよね。前は、もうちょっと笑ったり、照れたりしてたのに」


僕は一瞬、なんと返せばいいか分からなかった。

笑顔の作り方が、わからなくなっていた。


「そうだっけ?疲れてるだけかも」


そう言いながら、内心で思った。

(誰だったっけ、この子)


たしかに前までよく話していた気がする。

でも、名前も、思い出も、もう霞がかかったようにぼんやりしている。


アプリで「恋心」を売ったときに、

もしかしたら、彼女のことも一緒に失ったのかもしれない。


それでも、僕は、売ることを止められなかった。

感情は、“お金”になった。


気持ちなんて、腹の足しにもならない。

泣いたって、笑ったって、何も変わらないと思っていた。


でも。


スマホ画面に表示された新しい感情のリストを見たとき、指が止まった。


【新着感情】

・後悔:10,000円


その文字を見て、初めて心が動いた気がした。

心臓が、かすかに脈を打った。


(……僕、後悔してるのか?)


でもそれも、売れる。


このまま指を動かせば、たったの10,000円で、

その感情すら消えてしまう。


迷っていたそのとき、スマホの通知が鳴った。


【特別オファー】「あなたの“感情すべて”を、まとめて買取します」

金額:応相談


スマホを握る指先が、かすかに震えていた。

「後悔」すら売ってしまえば、何も感じずに済むのに。

楽になれるのに。

それなのに、なぜか、押せなかった。


(……なにかがおかしい)


そう思った瞬間だった。


画面が急に真っ暗になり、

「Emo Market」のロゴが、ゆっくりと反転した。


【アクセス制限を解除しました】 購入履歴の閲覧権限を付与します。


「……購入履歴?」


アプリ内に、見たことのないページが現れた。


【あなたの感情を購入したユーザー一覧】


僕は思わずスクロールした。


「怒り:ユーザーID:K5r1_hiro」

「焦り:ユーザーID:Naoto14」

「恋心:ユーザーID:Sasaki.M」


(……“Sasaki.M”?)


もしかして、このユーザー名。

同じクラスだった佐々木美玲。

何度かLINEでやり取りして、気になってた女の子。


僕の“恋心”は、彼女が買ったのか。

でも、どうして彼女が?


「購入後:対象の感情は、売却者から完全に切り離されます」

「購入者に感情は転写され、オリジナルと同様の感覚を得られます」


つまり、彼女は今、

僕が彼女に抱いていた恋心を“持っている”。


もう僕のものではない。

僕の心から切り取られた“想い”を、彼女が味わっている。


僕が持っていた感情を、彼女が、、、他人が体験している――そんなこと、許されるのか。


目の奥が熱くなった。


でも、涙は出なかった。

もう、「涙」も売ってしまったから。


その日から、僕はEmo Marketを開くのをやめた。


通帳の残高は、まだ少し残っている。

でも、それを見ても、何も思わない。


たまに佐々木さんが、楽しそうに笑っているのを見かける。

その姿を見ても、今は何も感じない。


僕の“恋心”を抱えたまま、

彼女は、今日も誰かと笑っている。


僕の感情は、今、どこで、

誰の中で、

どんなふうに、生きているんだろう。


そしてスマホには、通知がひとつ。


【特別オファー】「あなたの“存在”を買いたいというリクエストがあります」


【依頼したユーザー】Sasaki.M


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僕の感情、売ります まほろ @lilysyusyu

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