第5話 無機質な男
予約された時間ぴったりに、呼び出し音が鳴る。
「番号札21番の方、窓口3番へどうぞ」
あいなは少しだけびくつきながら、立ち上がった。
カバンの中には、学校から持ち帰ったままの教科書と、
その間に挟まれた、制度案内のプリントが入っている。
誰も「やめろ」とは言わなかった。
学校も親も、彼女の沈黙に気づかないふりをして、すべてを“本人の選択”とした。
窓口のガラス越しにいたのは、一人の男だった。
黒いスーツにネクタイ。職員証。
目元の印象はやや鋭く、鼻筋は通っている。
ただ、彼の顔に“感情”というものが見えなかった。
北条清志(38)――代理自殺制度・意志適正審査担当官。
「はじめまして、佐原あいなさんですね。……こちら、おかけください」
声は低く、よく通るが、抑揚がほとんどなかった。
まるで、言葉の意味を理解していないAIのように。
あいなは戸惑いながらも、椅子に腰を下ろした。
「申請内容、拝見しております。あなたが申請者で、代理者は岸野ひまりさん。おふたりとも未成年ですが、今回、同意と補足審査を経て特例申請扱いとなりました」
北条は、厚めのファイルを開いた。
すでに整っている申請内容。
そこには、ひまりの署名も、あいなの基本情報も整然と印字されていた。
「……制度の概要と、実行までの流れはご理解されていますか?」
「……はい」
あいなの声はか細く、でも確かだった。
「自殺代理制度は、申請者本人の“死にたいという明確な意思”と、代理者の“代わりに死ぬ意思”の合致によって成立します。
申請が通れば、国家が認可した“終末補助執行機関”により、実行が合法的に行われます」
北条の声は、どこまでも機械的だった。
だが、その視線の奥に――ほんの一瞬だけ、“何かが揺れる”のを、あいなは見た気がした。
「……それって、人を殺すのとどう違うんですか?」
あいなが絞るように聞いた。
北条は、それを無表情で受け止めた。
「“本人が望んだ死”であれば、我々は“殺す”とは呼びません。
これは“執行”です。
そしてあなたは、それを希望して、ここに来られたのではないですか?」
刺されたような言葉だった。
だが――あいなは、うなずいた。
「……はい。わたしが望んだことです」
その言葉を聞いたとき、
北条は一瞬だけ、目を伏せた。
***
面談を終えて、窓口の奥の休憩室に戻った北条は、書類の山の中に身を沈めていた。
モニターには、ひまりとあいなの履歴情報が並んでいる。
・17歳・高等学校在籍・父別居中
・15歳・中等部卒業後、家庭環境理由により就学中断
・自傷歴あり/通院歴あり/保護歴なし
・SNSログから抑うつ傾向と死別思考強化傾向確認済
そして――「意思確認済、適正条件達成、通過可能」の文字。
「……やるのか、おまえたちも」
独り言のように、北条は呟いた。
彼の引き出しの中には、封筒が一通しまわれている。
くたびれた私信。差出人は――水科彩音。
大学時代に愛し、制度に申請された相手。
当時、制度は“パイロット運用”だった。
彼女は苦しみの中で申請し、北条は、止められなかった。
彩音の最後のメモには、こう書いてあった。
「あんたはきっと、これからも“誰かの死”に関わっていくんだろうね。
でもせめて、誰かを守る側に回って」
その言葉だけが、北条をここに縛っていた。
“守る”という名目で、いったい何人の“死”に立ち会ったのか。
“処理”という言葉で、どれだけの命を手渡したのか。
目を閉じると、ひまりの声がよみがえった。
「わたしが代わりに死ぬよ」
それは、悲鳴ではなかった。
どこまでも澄んでいて――哀しかった。
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