第4話 代理者申請
夕方の光はもう消えて、薄暗い蛍光灯の下、あいなとひまりは並んで座っていた。
話すでもなく、黙るでもなく、ただ同じ方向を向いていた。
壁の掲示板には、「自殺代理制度 利用者の声」と書かれたチラシが貼られている。
「わたしの死は、彼女の未来になった」
「ようやく自分の価値を知れた気がします」
その文句に対し、誰も声を出さなかった。
あいなは、まだ迷っていた。
ひまりも、怖くなかったわけじゃない。
でも――決めたのだ。
カウンターに名前を呼ばれたのは、ひまりが先だった。
「代理者申請の仮書類、お預かりしております。中でご記入をお願いします」
無機質な事務職員の声。
形式的な笑顔。
命の選択肢を、日用品のように差し出す手。
個室に通されたひまりは、硬い椅子に座り、
机の上に置かれた白い紙を見つめた。
【自殺代理制度・代理者申請書】
枠が整いすぎていて、逆におかしかった。
まるで小学生のときのプリントみたいだ。
でもこれは、命の履歴書だった。
彼女はゆっくりとペンを持ち、文字を書いていく。
申請者氏名:佐原あいな
代理者氏名:岸野ひまり
あいなの名前を書くとき、ペン先が少しだけ震えた。
でも、書き終えた瞬間、息がすっと軽くなった気がした。
これでいい。
これしかない。
この名前を書くために、今まで生きてきた気がする。
担当職員が確認のサインを求めてくる。
「これで、正式に“あいなさんの命を、あなたが肩代わりする”形になります。後日の面談を経て、実行日が決定します」
「……はい」
ひまりはしっかりと頷いた。
その声は小さかったが、確かだった。
***
その夜、家に帰っても、母親は何も気づかなかった。
いつものように酔い、騒ぎ、眠った。
ただ違ったのは――
ひまりの胸の奥に、“はじめて誰かの名前が灯っていた”ことだけだった。
そしてそれが、
彼女の命に、最初で最後の意味を与えることになると、
このとき、まだ誰も知らなかった。
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