幸福の恐怖

白川津 中々

◾️

幸せが恐いのである。

幸福になったが最後、落ちていくだけ。素敵な洋服を買っても不注意でシミができ、好物を食べていたらアレルギーで二度と口にできず、行楽へ赴けばトラブり見舞われ、趣味を始めた途端に興味がなくなるのだ。楽しさや喜びは不幸せの前菜に過ぎず、必ず下降していく。だから私は進んで被害や損害を被っていた。薄給激務のブラック企業に勤めながらカスみたいな男を養い、化粧品もブランド物も集めず、食事は可能な限り味付けをせず余暇は写経に時間を費やす。生苦を嗜み、生きがいへのアゲインストとして死ぬまでの間を堪えていたのである。


しかし、その努力が無駄になりつつある。


ある日、勤め先が買収され超絶ホワイト企業となり労働条件に大幅な見直しが行われた。残業は原則禁止。給料は上がりこれまでの未払い分も支給。有給、祝日盆暮休暇に昼食手当。ジムやホテルの割引きまである始末。超絶高待遇に絶句していたところ突然旦那が更生。無職で飲み食いばかりする無産のゴミが「今まで本当に悪かった」と働き出し稼ぎの全てを生活費と私へのプレゼントに使うのだ。私はかつてない幸福の到来に頭を抱え、怯えた。これほどまでの幸せ、後でどんなしっぺ返しがくるか想像もできない。未曾有の辛苦に私は耐えられるのか。いや、無理だ。これまでの人生ですら正直ギリギリだった。それを超えられた完全にアウト。地獄の底で呻く未来に絶望感。かくなる上は生活を捨てる他ない。そこで私は今、蒸発の準備を進めている。もう一度不幸になるために、堪え難い不幸を回避するために、この幸福に満ちた人生を捨てるのだ。今陥っている分の幸せを精算し、無様に、哀れな毎日をこれから送らなければならない。


幸せが恐い。

私は、不幸のままでいい。

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