読んでも読んでも読み足りない、人の話を聞くのが三度の飯と同じくらい好きな私にとって、もはや「或る独白」を読むことは生活の一部になってしまいました。だって面白いんだもん。
独白に含まれたその人の人生観や哲学をより楽しむためには、1度読んだだけでは間に合いません。
ふと思い立った時、歳を重ねた節目の時、あるいは人生に疲れた気分の時、もしくは店主のこだわりコーヒーの完成待つ時に、何度でも戻ってきたい作品。
もしかしたら、前回読んだ時とは全く別の印象を受けたり、独白に対する自分の意見が異なっているかもしれません。そのくらい、読者に想像の余白が残されています。
或る独白を読むことを、私は強くオススメします。
朝は灰色。いつもいつも同じ。一ばん虚無だ。朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。いやになる。蒲団の中で、スマホに手を伸ばし、分厚いカアテンで覆われた暗い部屋にスマホの画面でちいさな明かりを一つ灯す。
毎朝、私は、カクヨムの新着小説を読む。今日見つけたのは、「或る独白』。
新着欄にある、ちょっと古風なタイトルに目を惹かれた。私は吸い寄せられるように、画面をタップする。
「あら厭だ、お爺さんの話ぢゃない」口では文句を言いながらも、目は文字を追う。独白体。独白は、舞台の上にスポットライトひとつあれば出来る演劇だ。モノロオグともいう。
有名なのは、ハムレット。「To be, or not to be!」。私が通う女学校の、演劇部のお姉様方が、きらびやかにゼスチュアをして、階段の踊り場でよくポオズを取っていらっしゃった。
そんなことより、第1話。作家であるという、お爺さんの「独白」を読む。ああ、恐ろしい。短いお話なのに、朝から背筋が凍ってしまう。怖くなってしまって、飼い猫のミィと呼んだ。でも、ミィはお母様のところでご飯を貰っているらしく、チットも来やしない。あとでとっちめてやる。
次は酔っ払いサンのお話。とても哲学的で、家庭教師をしてくださっている、お隣のお兄様のことを思い出して、心がときめく。あたしは、乙女ですから。「命短し恋せよ乙女」というぢゃない。この酔っ払いサンみたいには、ならないわ。
その次に書かれていたのは、転生者のお話ね。私、異世界転移に憧れたことがある。だから、一度トラックに飛び込んでみようとしたことがあったけれども、やり損ねちゃった。
このお話は少しわかりにくかったけど、何度か読んで、「あっ」と叫んでしまった。なんて巧妙な仕掛けなのかしら。
そうこうしていると、「いい加減起きなさい」とお母様の声。ああ、いけない。つい読み耽っちゃったわ。どのお話も興味深くって、まるで教会のステンドグラスのような、色とりどりのお話でできている短編集。今日、学校に行ったら、このお話のことを、みんなに教えて差し上げないといけない。
私は、蒲団から抜け出すと、カアテンを開けて、朝の光で部屋じゅうを満たす。 明るい部屋の中、寝巻のままで鏡台のまえに坐る。眼鏡をかけないで、鏡を覗くと、顔が、少しぼやけて、しっとり見える。
鏡台に映る私の顔を見ながら、私はどこかで、独白体のお話を、恐ろしく思った。書いてあることは他人のことなのに、読んでいると、その解釈は、読み手にもうすっかり委ねられて、まるで鏡に映った自分を見ているよう。
そんなことをいう私はだれかって?
私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、電子の海の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。