面影糸 テスト版
宇喜杉 ともこ
面影糸 テスト版
ぷろろ、ぷろろぷろろ、ぷろろ。
深夜の静寂を遮る着信音と、暗闇を切り裂くスマホの光が僕を起こした。
ぼんやりとスマホを掲げ発信者の名前を確認する。
「藤宮莉桜」
懐かしい響きのする名前だった。藤宮莉桜はもう中学を卒業してから大学一年の冬となった今まで碌に顔を合わせることができなかった幼馴染の名前で──初恋の相手の名前だった。
「もしもし?」
電話の応答ボタンを押してスマホを耳に当てる。
「トウマ? いきなりなんだけどさ、アンタのウチ泊めてくれない?」
いきなりの話に驚きを隠せないまま、僕も応答する。
「あ、ああ。それは問題ないんだが、何かあったのか?」
「ちょっと飲み会楽しんでたら終電逃しちゃってさ……ここら辺だとトウマのとこが一番近いから泊めてもらおーって」
「しょうがないな。鍵は開けとくから、勝手に入っとけよ」
それから程なくしてインターホンが鳴った。眠気と闘いながらドア前に向かっていく。
「勝手に入っていいって言ったのに……はーい、今開けるから待ってろよー」
ドアノブを捻り、扉を押し開ける──その瞬間、僕の視界は黒に染まった。
どさっ、と音を立てて倒れる僕。目の前には藤宮莉桜がいた。昔と変わらない、過去の面影そのままの莉桜が、僕の上に乗っている。
目と目が合う。心臓の高鳴りは止まらない。
「痛いなあ、なにすんだ……よ」
そう呟くのも束の間、唐突な殺意に息を呑んだ。
「やっほー、お久しぶり。今からキミを殺すね?」
雪崩のような情報量に何も言うことができない。いやまて、今殺すって言ったのか?
「待、待って……」
「えー待たないよ? 早く死んで? 食べてあげるから」
食べる……? 人間を? ……こいつが莉桜じゃないことだけはわかった。こいつは常識の外の世界の住人だ。
「いや、だ……死にたく、ない」
莉桜の姿をした何者かは顎に手を当て、首を捻った。
「んー、んー。どうしよっかなー? なんかイイモノくれたら考えてもいいけどなー?」
そう言うと化物は僕の手を掴みながら部屋を物色した。
「へー、ニンゲンはこういうの好きなんだ」
そう言って、僕が買った本やらゲームやら取り出しては乱雑に捨てていった。
「んおっ」
怪物が声を上げる。手に持っていたのはコンソメ味のポテトチップスだった。
「いいねー。私これ気に入ったから殺すのは待っててあげる」
何故奴がこのポテトチップスを気に入ったのかの理由を僕はなんとなく勘付いていた。
藤宮莉桜は昔からそのポテトチップスを食べていた。あの化物が莉桜の姿を真似ているだけなのか、彼女の体を乗っ取ったのかはわからないが彼女の姿をしている以上、好みも同じになるのだろう。
「これ、もっとないの?」
食べ終えたポテトチップスの空袋をぶら下げながらこちらに向かってくる。
「もう、……ない」
恐怖を押し込めて言葉を紡ぐ。
「じゃあどこで手に入るの?」
すぐ真下に彼女の顔が迫る。その顔にどぎまぎとした。懐かしい、遠い日の面影。彼女本人でないとしても、僕には致命傷すぎる情報だった。
「すぐ近くにコンビニがある。小銭はやるから、買えばいい」
まだ全身は強張ったままだが、口調は自然と以前話していたようになってしまった。
「えー、トウマも一緒にいこ?」
そう言いながら手に掛ける力を強める彼女。おそらくは逃げられない。否、逃げようと思ってはいけない。渋々と頷くしかなった。
コンビニの中には僕だけが入り、要望通りのポテトチップスと、ついでにもう一点とを買って彼女のもとに戻った。
当人ではないとしても、彼女と足並みを揃えて歩くのはとても懐かしく、そしていつになってもドキドキが止まらないものだった。
「ねえ早くそれ食べたーい」
隣で彼女が催促する。子供のようにはしゃぐ姿は昔と変わっていない。
「歩きながら食うのはやめろよ。そっちに公園があるから、そこに座って食え」
わかったー。と笑顔で応える彼女。その笑顔が僕の心を狂わせる。
やっぱり──僕は彼女のことが好きなのだ、今でも。
僕は今、あの日々の続きを夢見ている。でも、その夢は終わらせなくてはならない。
あのとき僕が買ったのはポテトチップスだけじゃなく、もう一つある──それは果物ナイフだ。
自分がどれだけ馬鹿なことを考えているかななんて、わかっている。それでもやらなくちゃいけない。ここで死ぬとしても、この夢は僕自身で終わらせるべきだから。
真っ暗な公園の中で、僕たちが座るベンチだけが電灯に照らされていた。ばさあっ、とおもいっきり袋を開ける莉桜。
「なあ、ひとついいか?」
「なにー?」
「お前はさ、一体何者なんだ? その……お前は莉桜の、体を奪ったのか?」
莉桜は目を丸くして、んー、と悩んでからこう答えた。
「逆にさ、もし私が藤宮莉桜本人だったら、どうする?」
僕はその問いに答えられない。もし彼女は本物だとして、人を殺すような奴になってしまったのなら止めるべきだと思う。だが──。
「私がキミの知っている藤宮莉桜でなくても、ここに藤宮莉桜として生きているのなら、私は紛れもなく本物の藤宮莉桜だと思うよ? だからね、さっきの質問への答えは……ヒ・ミ・ツ♡」
莉桜の顔が僕の胸元にもたれかかる。妖艶な笑みの中にひび割れたガラスのような脆さを感じた。
「そうやって僕を揶揄うのは変わりないようだ。ああ──ほんと、その通りだよ。キミが莉桜かそうじゃないかなんて、関係なかった」
──今ならできる。ベンチの下からナイフを取り出し、彼女のガラ空きな背中を見つめる。
僕は────。
自分の胸にナイフを刺した。
面影糸 テスト版 宇喜杉 ともこ @Ukisugi_Tomoko
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