第55話 定められた未来への反逆⑥

「死んじゃいました?」


 伝令者メッセンジャーは、赤いスライムのような血液の塊を操作して、動かなくなった翼の体を掴み上げる。


 血塗れの顔を覗き込み、しかし辛うじて息があることを確認すると「ああ、良かった」と空々しく言った。


「そんなゴム銃おもちゃで意外と粘るものですから、やり過ぎてしまったかと焦りましたけど……うん、結果オーライですね。見るからに痛々しくて、神田司令官の心を折るにはちょうど良い仕上がりです」


 伝令者は翼の服のポケットから端末リーフを奪い取ると、翼の姿を撮影し始めた。


「では、あなたの端末で神田司令官に映像通信を送りますから。彼に素直になってもらえるような、愛の籠ったセリフをお願いしますね」


 伝令者の指が通話ボタンを押す直前、翼は最後の力を振り絞って引き金を引き、ゴム弾で端末の画面を撃ち抜いた。端末はひしゃげ、伝令者の手から吹き飛んで床に落ちる。


「……あらあら。流石は桜花に選ばれし者。誇り高くて鼻が曲がりそうです」


 冷たく言い放つ声色に、苛立ちが滲んでいた。


「時間がないというのに、余計な手間を増やしてくれますね。全く」


 伝令者は翼を放し、自由になった血液の塊を操って、辺りに倒れている防衛隊員(らしき者達)の体を探り始めた。代わりの通信端末を探しているようだ。


 その後ろ姿に、翼は息も絶え絶えながら声をかける。


「……無駄よ。私を人質にしたところで、あの人はあなた達に作戦を明かしたりしないわ」


「心配しなくても大丈夫。何があっても彼は貴女を見捨てられない、そういう人間であることくらいわかっています。……でも、そうですね、念のため腕の一本くらい落としておきましょうか? その方が彼の口も軽くなるでしょうし」


「――そう。


 倒れ伏したまま、くつくつと笑い出した翼の様子に、伝令者は眉を顰める。


「頭を強く叩き過ぎました?」


「あなたが何をしたいのか、考えていたのよ。当たっていたみたいで嬉しいわ」


「…………何を言って」


「最初は、あの人がやろうとしていることを止めたいのかと思ったけど、そうじゃないと気づいたの。……あなたは『彼の口を軽くしたい』と言った――つまり、あの人に聞きたいことがあるんでしょう? 。でもそれって変な話よね?」


 翼は何とか上体を起こし、挑発的な笑みを浮かべて言った。


「あなた達は――『A.I.O.Nアイオーン』は、?」


「…………」


 伝令者は防衛隊員の装備をまさぐるのを止めた。そして再び血塊により翼の体を掴み上げる。先程よりも攻撃的な挙動で。


「やはり腕を折っておきましょう。少し元気すぎるようですから」


「ぐ……ああああああああっ!」


 ミシミシと嫌な音を立て、翼の腕がへし折られる直前、鞭のようにしなる鎖付きの刃が血塊を切り裂いた。


「――⁉︎」


 鎖刃はそのまま伝令者へと襲いかかる。後ろへ跳んで避けた伝令者の前に、ふわりと、金色の妖精の如き美貌の少女が舞い降りた。


「ノル……ファ……? どうしてここに?」


「東條教官。……ひどい怪我」


 翼の状態を確認したノルファの表情が微かに歪む。


「神田司令官の指示であなたを助けに来ました」


「そう……ありがとう。でも気を付けて、あの仮面の少女……桜花武装に類する力を持っているわ」


「はい」


 ノルファの参戦は伝令者にとっても予想外だったようだ。動揺を取り繕うとしてか、殊更に蔑むような口調で言う。


「こんなところに居て良いのですか? さん。外ではお仲間が必死にイーターと戦っているというのに」


「そうね。私も急いで援護に行きたい。だからあなたに時間を掛けていられないの」


「……戦えますか? 私と。桜花戦士であるあなたには、イーター以外に本気でその力を振るうことはできないでしょう? 加えて――」


 言いながら、伝令者は血塊を素早く無数に分裂させて翼とノルファを取り囲んだ。


「その足手纏いも守らなければならないというのに!」


 赤い矢に変形した血塊が、全方位から一斉に二人を襲う。


 そして。


 ――無数の赤い矢は、ソーンカフスの鎖刃が巻き起こす桜色の暴風によって、尽く粉砕されていた。


「………は?」


 目の前の光景を理解できず、伝令者が一瞬フリーズする。その隙に、ノルファの刃は伝令者本体へと迫っていた。


 我に返った伝令者が間一髪で身をかわす。鎖刃が仮面を掠め、薄い亀裂を走らせた。


「……ッ‼︎」


 たまらず距離を取ろうとする伝令者。しかしノルファの猛攻は止まらない。芸術品のように美しい小さな少女が、一部の隙も容赦もない苛烈な連続攻撃で敵を追い詰める光景を、翼は唖然と眺めていた。


 ……ノルファの強さは、教官である翼が最も良く知っている。だが驚くべきは、人間を相手にした実戦でも全く迷いのない彼女の戦いぶりであった。


「な……なぜ⁉︎ 桜花戦士のくせに、どうして人間相手に本気で桜花武装を振るえるの⁉︎」


 防戦一方の伝令者が、焦燥を隠せず口に出した問いに、ノルファは平然と、信じられない答えを返す。


。あなたを無力化して捕らえることくらい――私にとっては訓練と何も変わらない」


 伝令者の戦闘力は、桜花戦士を基準にしても決して弱くない……どころか、上位に入る部類だろう。そんな相手を、一対一で完璧に圧倒しておいて、まるで本気を出していないなんて。


 確かにノルファは、桜花戦士同士での模擬戦闘では無敗だった。単純な戦闘技術のみで言えば、愛理や斗悟すら上回っており、白兵戦では最強と言っても過言ではないだろう。


 だが、その見立てすら、彼女の実力を正しく評すには足りていなかったのだと翼は思い知った。


 ノルファの本当の強さは――でこそ発揮される。敵の思考を読み、虚を突くことに長けているからだ。現に伝令者は、ノルファの意思を体現する八本の鎖に翻弄されて手も足も出ない。


 だがこの特異な才能は、思考力を持たないイーター相手では光らない。適合率も低いためイーターへの攻撃力も低い――つまり。


 という矛盾した存在――それが、ノルファ・ノレイドという戦力の本質なのだ。


「お……のれっ!」


 窮地に立たされた伝令者が、仮面の下の視線を翼に向ける。その瞬間、全身に焼け付くような痛みが走り、翼は体の自由を失った。


 ――何、これは……⁉︎


 翼の体は、彼女自身の意思に反して操り人形のように立ち上がり、駆け出して、背後からノルファに襲い掛かった。


 ――よ、避けて……!


 そう伝えたいが、声も出せない。


「――!」


 後ろから迫る気配を察知したノルファだが、襲撃者が翼だと気づき僅かに反応が遅れる。刃による迎撃を捕縛に切り替え、四本の鎖で翼の四肢を封じることで無傷で彼女を抑え込んだが、伝令者はその隙を狙っていた。


 千載一遇のチャンスを逃すまいと、血塊を固めた槍でノルファの腹を狙ってきたが――それすらも金色の妖精には届かなかった。残った四本の鎖が槍を絡め取り、ノルファには傷一つ付けられない。


「よく、止めましたね。でもここからどうします? 教官は既に私の意のまま……彼女を抑えるのに半分の鎖を使ったままで、私と戦えますか?」


 その強がりは、むしろ退いて欲しいという懇願に近いようだった。おそらく伝令者も、たとえハンデがあろうとノルファには勝てないことに気づいているのだろう。


 相変わらず翼は体の自由が効かない。どうやら伝令者の攻撃を受けた時に、彼女の血液を体内に撃ち込まれたようだ――能力の応用で、血を撃ち込んだ相手の体を操っているのだろう。防衛隊員達もこの能力で操られていた可能性が高い。


 自分に構わず戦って欲しい。なんとかそう伝える方法はないかと、ノルファの顔を見て――翼は戦慄した。


 神が氷を削り出した彫刻のような表情で、伝令者を睨め付けている。この上なく冷厳に見えるその視線は、しかし正反対の熱で満たされていることを翼は知っていた。


 ……あの子に、初めて会ったときと同じ目だ。

 絶対零度の中に、マグマのような怒りと憎悪が煮えたぎっている。


「自分でも、不思議なのだけれど」

 ノルファが呟いた直後、音もなく、伝令者の右腕が斬り飛ばされた。


「……っえ、あ……ぐっ⁉︎」

 床に転がっているのが自分の腕だと気づいた伝令者が、慌ててそちらに斬られた腕の断面を向けた――傷口から伸びた血が落ちた腕と繋がり、引き寄せられて戻って来る。事前に神田から聞いていたとおり、彼女は体の一部を欠損しても再び繋げることができるらしい。


「私は、自分や仲間がイーターとの戦いで傷つくよりも、人間に――心を持った存在に傷つけられる方が、ずっと腹が立つの」


 伝令者が右腕を修復した途端、今度は左腕が吹き飛んだ。同じようにして左腕を繋げると、次は右足が。その次は、左足が。


 ノルファは淡々と、伝令者の四肢を落とし続ける。


「あッ……が、……ひっ……!」


 修復を続けるうちに、翼の体内に入り込んでいた伝令者の血液も、彼女の方に戻って行った――おそらく血液の操作には桜力を消費するのだろう。繰り返しの修復を余儀なくされて、翼の操作に回す桜力の余裕がなくなったのだ。


 翼の体に自由が戻ったことに気づいたノルファは、「良かった」と優しげに微笑んで彼女をその場に降ろし、再び冷徹な目を伝令者に向ける。


「あなたの体、素敵ね。すぐに治せる上に、痛みも感じないみたい。これなら――」


「――治せなくなるまで斬り刻んでも、大丈夫でしょう?」


 ……知った気になっていた。わかった気になっていた。ノルファが保護されてから五年、すっかり人間らしさを取り戻した彼女を見て、良かった、助け出した甲斐があったと、自分達の行動がもたらした結果に自惚れていた。


 だが――ノルファのこの様子を見て、翼は思い知った。 


 やはり、今でもノルファの心の奥底には、少しも和らぐことなく、怒りと憎しみが渦巻いているのだ。


 それを責める資格は誰にもない。彼女が受けた仕打ちを思えば当然の感情だ。


 だが――今のあの子は、桜花戦士だ。


 ノルファの適合率は40パーセント。個別の桜花武装を与えられる下限に在る。これ以上怒りと憎しみに身を任せれば、あの子は桜花の資格を失ってしまう――!


「ノルファ! もうそれ以上――」


「ひ……あぁぁあああああっ!」


 ノルファを嗜めようとする翼の叫びは悲鳴によって掻き消された。なんとか繋ぎ合わせた両足で立ち上がり、背を向けて逃げ出す伝令者。


 だが、ノルファはそれを許さない。八本の鎖刃で跳躍し、伝令者の逃げ道を塞ぐように着地する――その余波で振り上げた鎖刃の一本が伝令者の仮面に当たり、真っ二つに切り裂いた。


「逃さない。これ以上斬られたくないなら大人しく――」


 言い掛けたノルファの言葉が止まった。


 伝令者の仮面の下――晒された素顔を凝視して、ノルファは目を見開いたまま固まっている。


「…………嘘。どうして……どうして、そんな……そんなこと有り得ない……!」


 次第に、ノルファの目が泳ぎ始めた。


 絶対的優位にあったはずの彼女が、明らかに動揺している。それも今まで見たこともないほどの狼狽えぶりだ。


 ノルファは一体何を見た? 伝令者の素顔がそれほど衝撃だったのか……?

 翼の視界では、伝令者の背中しか見えない。


「はっ……。そう、そうでしたね。あなたはあの子が大好きでしたものね」


 ノルファの動揺で僅かに余裕を取り戻した伝令者が、精一杯の気勢で声を張る。


「もういいですよ。好きにしたら? どうせあなた達に……希望なんか、ないんだから」


 そう吐き捨て、伝令者は薄暗い通路の奥に消えていく。


 ノルファが彼女を追うことはなく……青い顔をして、しばらくその場に立ち尽くしていた。

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