全てが視える者
燈栄二
全てが視える者
「深い悲しみを背負っておられるのですね」
僕にこんなことを言ってきたのは、女優帽の似合う夫人だった。声はすごく滑らかで、大人の女性ってこういうのなんだなって思わされたよ。
「お若いのに……その瞳には沢山の感情を背負っておられる。そんなあなたに、この世界はどう見えているのかしら」
女優帽の夫人は目の前の絵画を見る。その目に着いていくと、抽象的すぎる絵を見ることが出来た。夢の中のような宇宙空間のような、輝いても沈んでも見える不思議な絵。
絵なんか全くわかんないけど、多分すごい画家が描いたんだと思う。
「この世界がどう見えてるかって……。結構、普通な感じじゃないすかね」
ふふ、と夫人は笑って、僕に視線を送る。僕よりも明るい目が、ついてこいと言っているようだった。
「面白い人ね。普通、だなんて」
彼女が鳴らすコツコツとしたハイヒールの音が遠く聞こえる。まるで心を読んでいるようだ、って考えに夢中だったからだ。初対面のはずなのに、僕のことが全部わかってるみたいな。大人になったらこういうのも、理解できるようになるんだろうか。
やがて女優帽の夫人はこの美術館の目玉展示の前で止まると、食い入るように絵を見つめていた。僕はそんな彼女から、目をそらすことができず、瞬きすら忘れてずっと見ていた、と思う。
なんてことをふと思い出した。今は任務の最中なのに。通信機から声が入る。
「レイ、聞こえるか? 対象はネオスアテーナイ遺産美術館の絵を盗難後、逃走中」
飛行対応車を使用している可能性あり、らしい。飛んだところで、僕をまくことは不可能さ。予め聞いていた内容を元に、悪意を感じさせる車を探す。歩道からでも、盗難をするほどの悪意は何となくわかる。
歩道の柵を乗り越えて、少しづつグリーンのトラックへ距離を詰めていく。小型かつ緊急を要する輸送に、と法人向けに開発された飛行対応車だ。今回の星はこいつだな! トラック自体も盗難車に決まってる。鼻を突くほどの悪意が臭ってやがるよ。
暴風。急に熱を帯びた風が僕のことをぶってきた! 慌てて歩道の柵につかまっていなかったら吹き飛ばされてたよ。でも相手の意図は丸見えだ! 僕の存在に気付いて、とっととずらかりたいわけだ。
「悪いけど、こっちも強硬手段に出させてもらうよ」
僕は柵から手を離すと、自分の意思で空中を渡る。僕は自然の法則を無視できる。そのまま意識を、体を拡大させていく。質量保存を忘れて、飛行対応の小型トラックをこの手で掴めるほどに。
エンジンが小さく音を立てて、僕から距離をとろうとする。そんなの無駄さ! トラックを両手でつかんで、僕は荷台を剥ぎとる。触れた瞬間、僕には視える。中にあの何を描きたいのか分からない絵と、目玉展示として飾られていた、あの絵が固定され、納められていると。この荷台は、事前に指示されていた通り、服のポケットに入れておく。
対して、運転席側は犯人たちが乗ってる。少し力を込めて、ドアを凹ませる。これで人間の力では脱出できない。……と思ってた。
「あつっ!」
手の中が熱を帯びる。
慌てて手を離すと、なんと、トラックの運転席が爆発していたんだ。捕まるならばと自爆する気だったんだ!
「くそ!」
半壊した運転席から、焦げ臭い匂いと、小さい布切れが舞う。指で摘んでみると、それは焦げ臭ささまとう女優帽だった。
瞬間、景色が見えた。僕に話しかけてきた大人のあの人。僕ににこやかに手を振って別れた後、犯人と思われる男と合流して、熱い一夜を過ごす。そして、彼らは一緒に美術館に潜入して、あの輝く絵画たちを持ち去っていく……。
僕があの時、彼女に別の言葉をかけていたら……。死ぬのはこの男だけで済んだのかもしれないのに……。僕はポケットに焦げた女優帽をしまうと、ぐしゃり、と運転席を握りつぶした。
全てが視える者 燈栄二 @EIji_Tou
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