Day.19『網戸』

「おいックソギツネ! アオイは無事なんだろうなッ?!」

「く、クソギツネとはわたくしのことでありますか?!」

「テメェしかいねぇだろうがッ、つんぼ・・・なわけあるめぇ?!」

「なんと! 口が穢らしいことこの上ない! これだから狸の者を里へ入れるのを反対したんでございますよ〜!!」

「オレが聞いてんだ答えろッ!!」

「あ〜もうっ! これだから狸は野蛮なんでございます〜ッ!!」

「野蛮上等だ!!」


 陽が落ち始めて暗くなりかけていた森の中を、蒼寿郎と穂緩ほゆるが猛スピードで疾走していた。ギャンギャンと喚き合うその様は、狐狸こりと言うよりも犬猿けんえんに近い。


 狐姿の穂緩だって足には自信がある。そうでないと、街を統率する領主の側近が務まるはずもない。

 けれど、その穂緩よりも蒼寿郎は速かった。ついでに言うと普通の人間よりも遥かに体力も動体視力も勝るし、夜目も効く。もしかしたら穂緩よりも、蒼寿郎の方が身体能力は上かもしれない。


(鬼か……アオイなら切り抜けられてるか……いや、でも……!)


 葵を弱いと思ったことはない。

 生まれた頃から小豆洗いと暮らしてきただけあって、ある程度の妖怪や怪異を対処できるだけの強さはある。未熟の域を出ないが、剣術も通用する。


 それでも蒼寿郎は彼女の無事が気がかりだった。

 理由は単純明快。彼女が蒼寿郎のつがいだからだ。

 葵の強さを信じていないわけではないが、番ならば話は別だ。愛する者は自分で守らなければならない。これは両親、特に母に教え込まれたことだ。


(頼むアオイ、無事でいてくれ……!)


 強い風が吹いて桜の花びらが舞う。花びらたちがくるくると蒼寿郎たちの周りを踊り、急かすように山の道を飛んでいく。街に緊急の事態があった報せだ。

 街の入口で思わず足を止める。

 家屋や建物が壊され、砂埃が舞っている。


「ひでぇな……」


 主に暴れ回っているのは、蒼寿郎よりもひと回り大きい鬼だ。その間を、小型の鬼が何かを探すように走り回っている。小型とはいえ、繰り出される鋭い爪や金棒の一撃は、他の種族にとって充分な脅威だ。

 蒼寿郎は目の前で暴れる『鬼』を凝視した。


 ……これが鬼?


 葵が住むメゾンワンダーに、あまねという鬼がいる。

 長身のその鬼は人の形をしていて、立派な衣服やローブを身に纏っている。鬼の象徴である角も前髪に隠れるほど小さい。

それどころか、あまねは頭の回転が早く知性がある。暴力の『ぼ』の字も嫌いな性格で、その上引きこもりの泣き虫だ。

 目の前の『鬼』は、知能も容姿も性格もなにもかも、全く異なっていた。

 一本の角が生えたもの。二本の角が生えたもの。目が一つしかないもの。いずれにしても人相が悪い。色んな姿形をした鬼が、こちらを薄気味悪い笑顔で見つめながら近づいていた。


(……アマネとはまた違うのか? いや、だとしても)


 抜刀と同時に、鬼を一体切り伏せる。

 こんなの、変身するまでもない。


「アオイを狙うってなら容赦しねぇ」


 ◇


「ねぇ、あなた」


 葵よりも高い、鈴のような声が路地の方から聞こえた。


「あなたよ、今鬼を切り伏せた人……」


 声のした方を向くと、壊れた家の網戸に隠れていたのだろう、黄金色の狐の耳と尻尾をした同じ年頃の女が、こちらに駆けてくるところだった。


「なんだアンタは」

「あなた、狸の方でしょう? 小豆洗い様がどこにいらっしゃるか、ご存知ないかしら」

「なんでアンタが小豆洗いに……」


 その時、蒼寿郎の鼻先をある匂いが掠めた。

 脳が認識した途端、無意識にガッと女の腕を掴んでいた。


「おい、アオイはどこだ」

「えっ?!」

「アンタからアオイの匂いがする。アイツの居場所知ってるな?!」


 狐の女はビクッと肩と耳と尻尾を震わせながらも「痛いから離してくださる?」と気丈に蒼寿郎を睨み、腕を掴む手を叩いた。


「居場所というか……今、火織と逃げてることをお伝えしようと思って……」

「アイツと一緒かよ……!」


 路地から一体の鬼が出てくる。その手には近くの家から剥ぎ取ったのか、柱のような角材が握られている。こちらに気づくと、握っていた角材を力任せに投げつけてきた。


「伏せろッ」


 女の腕を掴んで力任せに背後に放り、柄に手をかける。


(間に合うか……!)


 刀を抜く前に、ばっ、と目の前に、赤い何かが数個散った。

 ばらばらと鬼に当たった途端、その部位からジュッと焼けたような音と煙が立つ。聞くにも耐えない悲鳴を轟かせ、投げつけられたものを払おうと慌てふためいていた。


「ふんっ、鬼と言うてもこんなものか。図体と勢いだけで、退治しがいがないのぅ」


 まるで場違いなほど呑気な声が響く。

 声のするほうを見れば、小豆洗いが手の中でちゃりちゃりと小豆を数個弄びながら仁王立ちしていた。くるぶしまであったワンピースの裾を膝上で結び、動きやすいようにしている。


「アンタ、いつの間に」


 川からここまで、けっこう距離があったはずだ。なのに小豆洗いは涼しい顔をしている。

「妖力が減ったとはいえ、火乃香ほのかの脚力は衰えてはおらんかったからのぅ。イキった狸には追いつけんかったが」


 狐姿に化けた火乃香に、ここまで乗せてきてもらったのだと得意げに教えてくれた。長く編まれた三つ編みを手で払う小豆洗いに「小豆洗い様っ」と狐の女が駆け寄っていく。


「そなた、琥珀と言うたな。火織からの伝令で聞いておる。よく葵たちを逃がしてくれた。礼を言うぞ」

「そんな、私はただ夢中で……」


 琥珀と呼ばれた女は、慌てて首を振った。

 小豆洗いはその手にひと握りの小豆を握らせる。


「これは念の為、懐にでも隠しておけ。早うお逃げ、この辺りは我に任せよ」

「アンタにアレがどうにかできるのか?」


 ふんっ、と小豆洗いは尊大に鼻を鳴らした。


「小豆は古くから鬼を退治する力を持つ。ほれ、節分だって今は大豆を使うが、昔は小豆を使っておったのじゃぞ」


 そう蘊蓄うんちくを垂れる合間にも、新しい鬼がぞろぞろと迫る。

 小豆洗いは慌てもせず、ちらりと鬼を睨んだ。そして野球の投球フォームばりに振りかぶって手を閃かせて、持っていた小豆を投げつけた。

 ジャッ、と音を立てて投げつけられた小豆が鬼の体に当たり、再びジュウゥッと焼ける音が響く。それに伴って白い煙が大量に吹き上がった。


「蒼寿郎、葵たちは今、北の山の方へ逃げているそうじゃ」

「北だな? わかった」

「待て蒼寿郎、これを持っていけ」


 小豆洗いが投げつけたのは麻の小袋だった。


「すまぬが、今はそれだけしか渡せん。考えて使え」


 中を確認する。それだけ、と小豆洗いは言っているが、ツヤツヤした小豆が大量に入っていた。

 今回は火乃香とかいう狐の娘を治療するために持ってきた分しか小豆はないはずだ。それでも、街を守る為にそれら全てを使い、さらに蒼寿郎にこれだけの量を捻り出してくれたのだ。


「ありがとうな」

「うわっ、素直に言われると気味悪いのぅ。そういうところ、狸爺にそっくりじゃわ」

「うるせぇ、借りは返させろよ」


 とにかく今は、葵の無事を確認しなければ。

 小豆の入った袋を懐にしまい、もう一度小豆洗いに礼を言って走り出した。

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水火妖狐綺譚 青居月祈 @BlueMoonlapislazri

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