第13回 日本の米変革の道程

 日本の米の生産現場に改革の必要があることを否定される方はいないと思いますが、改革の規模を理解されている方は少ないです。この改革の規模は日本国民全員の意識の変化を必要としますが規模の理解度によって受け止め方が大きく変わります。


 まず、農地の集約と大規模化についてすでに多くの有識者、専門家、現場の生産者の皆様がいろいろな意見を出されています。ですがこの件につきましては自然の流れで集約と大規模化が進んでいきます。具体的には廃業する農家が増え続ける状況で新規就農者がいないので、既存の農家が代わりに農地を引き受け、結果大規模化していきます。ただし、その過程で負担の大きい農地は放棄されますので米の生産量は今後減り続けます。


 需要を下回る供給量を維持するためには新しい技術と新しい品種改良が必要となります。農家が新しいものを導入するためには大きな壁がいくつか存在します。そのもっとも大きな壁になるのが消費者の意識です。

 米の銘柄で有名なものといえばコシヒカリですが新しい品種ともなれば当然米の名前も変わります。この新しい銘柄米を消費者が受け入れられるかがポイントになります。

 通常、新しい米を作ったとしてもすぐには大規模に作付けはされず、試験的に最適な栽培方法が研究され、消費者の反応を見ながら少しづつ栽培面積を増やしていきます。ここで新しい銘柄米が消費者に受け入れられなければ、どんなに効率のいい栽培方法であっても増産されることはありません。

 今後必要になってくるはどこで栽培されたかではなく、どのような栽培方法でつくられたかで差別化が必要になります。


 令和7年7月時点で今後の農業のあり方として、高齢の農家の土地を集約して企業が参入すべきとする意見が多数あります。

 しかし、この議論は前提が間違っており、企業が参入しても収益が上がらない事業であるため新規参入者が非常に少なく、結果として以前から農業をしていた方が高齢化しました。

 ここで必要になってくるのが、できるだけ早期に新しい技術を標準化し消費者に受け入れてもらうことと、新しい技術が定着するまで今いる農家に生産を維持してもらう体制をとることです。


 ここで結論を言ってしまえば日本の農業は大きな岐路に立っており、かつ選択の時間がもはや存在しない状態です。

 時間がない理由は生産者の高齢化により生産能力が失われつつあることと、東京の一極集中により地方で農業を営む人材が枯渇していることにあります。

 この状況で選択できることは日本の農業を壊滅させて輸入品を食べて生きていくのか、または新規に就農者が増えるだけの収入を確保するため、高い農作物を購入するかです。


 現在各所で取り上げられている米5kg3000円台は農家が設備投資をせずに

今の規模で採算がとれる水準です。ここに東京から地方行き農業するだけの十分な収入を確保しようと思えばこの水準では足りません。

 新技術を導入してコストを下げればより少ないコストで生産できるかもしれませんが、導入されるまでどれだけ早くても5年以上かかります。既存の新銘柄の種もみを全国に広げるだけ確保しようとすれば1年では足りず、ドローン導入するだけでも100万以上の費用が掛かり、新銘柄を流通させるための設備に販路を減少する農家を補うだけの規模で用意しようと思えば5年がけして十分な時間ではないことを理解できるかと思います。


 令和8年以降の農政について小泉農水大臣がコメントするのに時期尚早と発言していましたが、令和8年産米の種もみを現在栽培中です、今からでは増産できません。

仮に何か方策を立てるとしてもすでに令和9年以降の対応になります。5年以内に方針を決め実行しなければ選択もできなくなりますが、すでに5年のうちの2年が無駄に過ぎようとしています。

 国内産米が贅沢品となり海外産米が主食となる時代も遠くないのかもしれません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

昨今のコメ問題に思うこと 2等米コシヒカリ @yomusen9999

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ