第01話_Cパート_ex2_鈴音_件の乙女は歌う
沢渡鈴音は、カラオケボックスのソファに片膝を立てて座っていた。
冷房のきいた室内。向かいに座るのは、地元の中学に通う妹──文香。隣の部屋から漏れ聞こえる低音。二人に歌う気はなさそう。
文香が持っていたタブレット端末をいじる手が止まり、ぽつりと口を開く。
「……あの人、最近、どこ行ったの?」
鈴音はドリンクのストローを軽く噛みながら、あえて視線を逸らさなかった。
「もう別れた。ああいうのって、何かと“自分が特別”って思ってるから。」
「スポーツ推薦で別のとこ行ったんだっけ?」
「うん。地元でよくある“期待の星”ってやつ。でも、進学先じゃ“凡人”だったみたい。わかりやすいでしょ。」
文香は口をすぼめて、何か言いかけたがやめた。鈴音はリモコンを取ってAI連携メニューを開く。
「……だから、私はこっちに付き合ってもらう。」
指先がスクリーンに触れた瞬間、画面が切り替わる。立ち上がったのは、例のメイド服AI。"ヴィヴィアン"だったっけ。
「お呼びですか、お嬢様!」
ふわりと広がるドレス。左右に揺れる巻き髪と、輝くような笑顔。文香が目を丸くする。
「なにこれ……本気? え、これが留学サポートの?」
「そ。アン先生が“なんでも言ってください”って言ってたから、なんでも言ったらこうなった。」
AIが画面内でリモコンを手に取り、自然な動作で選曲を始める。その姿に、文香は感心を通り越して唖然としている。
「すご……人間みたい……ていうか、ほんとに歌うの?」
「歌わせてみる?」
鈴音は笑みを浮かべて頷いた。AIが選んだのは、22世紀でも知名度のあるAIモノの曲──
『THE SONG FROM AUTOMATA』
イントロが流れ出すと、メイドAIは一瞬だけ深くお辞儀をしてから、
<感情表現モード・全開放で参ります。お覚悟はよろしいですね>
「承認しましてよ!」
妙にきりりと鈴音。だめだこいつ等。
すると、声を切り替えた。
歌が始まると、文香が絶句した。
AIから想い人に向けた、あまりに自然で、あまりに心を打つ歌声。
それを見て過呼吸を起こさんばかりに笑い狂う鈴音。
「お姉……マジで、てんかん起こしそうなんだけど」
「……あれはもう、うちのAI、恋しちゃってるよね」
鈴音はそう言って、さらに腹を抱えて笑った。
歌が終わると、室内に一瞬の空白が落ちた。
文香が「すご……」と呟く。鈴音はストローを噛んだまま、メイドAIに指を立てる。
「さてと。ちょっとレポート課題すんね。投資家モード。エンタメ・プロンプトはオフで。あとなんだっけ?ブレイクホライゾンでディープダイブか」
《了解。投資家モードへ遷移。感情演出サブシステム停止。学術・財務・規制データベースを前面化します》
歌姫の微笑みがすっと消え、画面のAIは伸びた背筋だけを残して装いを捨てた。
文香が身を乗り出す。「え、今の、怖……」
「こっからが本番。瑞穂重工でいく。2100年の軍艦輸出、主砲はレールガン。動力はSMR(小型原子炉)。輸出先候補の3地域を出して。欧州・東南ア・中東から1つずつ」
《暫定候補:
A. 東欧・内陸海アクセス国(NATO協調だが独自志向:オフセット要求比率高)
B. 東南ア・多島海軍国(沿岸防衛重視:転用可能レーダー共有が条件)
C. 湾岸・富裕産油国(即納・技術移転限定で高単価契約が見込める)》
「Cが一番儲かる。でも炎上も一番早い。Bは持久戦、Aは欧州政治の迷路。IRR比較とレピュテーション・リスクを同列に置いた複合スコア欲しい。純金利2%時代の基準で」
《想定KPI:
・プロジェクトIRR(納入~5年)
・10年NPV(WACC:2%+各国リスクプレミアム)
・レピュテーション・リスク指数(SNS炎上拡散速度×制裁巻き込み確率×議会監査確率)
・規制抵触確率(海上原子炉コード・輸出管理・二次制裁)
・アフターサービス収益(SMR保守+レールガン砲身交換サイクル)
モンテカルロ 50,000パスで走らせます》
文香がぽかんとしている。「ねえ、これ、カラオケ……だよね?」
「カ、カラオケルームではあるかな。ほらなんか隣の部屋から歌聞こえるのもそれっぽいし。やっぱモニターが大きいのがいいよね。さて」
数秒で、壁一面にチャートが広がる。グラデーションの帯が呼吸をするみたいに伸び縮みする。
《結果:中東Cは短期IRR最良、ただしレピュテーション指数最大(地域対立の雪崩が早い)。東南アBはIRR中位、10年NPVで最良(長期保守が厚い)。東欧AはIRR最下位、規制抵触確率が高い。総合はB>C>A》
「Bを本命に、Cは短期イベントで抜く。Aは触らない。
で、株。瑞穂重工のイベント・ドリブン戦略で合成ポジ設計。本命Bの契約進捗が表に出る前に、供給網が動く。高エネルギー電源用セラミック、超電導コイル、高耐食艦体材。二次サプライヤーのティッカー拾って。
わかってると思うけど、稼ぎの本命は周辺小型株だからね」
《注意:あなたの権限では実取引は不可。教育目的の紙上取引であれば可能。未成年の投資アドバイスは制限がかかります。》
「紙でいい。本気の紙でやるよ。前受けの質問も欲しい。英国の弁論で叩き台にするから」
《では、先回り反論を列挙:
① 「平和国家なのに軍艦?」→ **“輸出管理と限定ライセンス、抑止の国際分業”**で返す
② 「SMRは危険」→ 海上原子炉コード準拠、LEU運用、受動安全設計の実績
③ 「レールガンは夢物語」→ 2090年代の艦上実証データと砲身交換経済のモデル
④ 「国内世論が燃える」→ 炎上の熱量×日数=株価影響の非線形、短期イベントでのポジ軽減ルール
⑤ 「技術流出懸念」→ ブラックボックス化と“レンタル運用”モデル(所有と使用を分離)》
鈴音は頷いた。ストローをくるくる回す。
「炎上は資産。熱を損益計算に入れないから、盛り上がるだけで死ぬ。
ルール:炎上2.0を超えたら即減らす。2.5でクローズ。
Bの契約RSSはAIに監視させる。Cはパイプライン・リーク待ち。アドバンス・オーダーの動き拾って」
《リーク検知は一次情報優先。**X(旧SNS)**は遅延。入札・官報・港湾荷役の電文を監視。自然言語→イベントスコアに変換します》
「それ。あと倫理プロンプトは、私に止めさせようとして止められなかったら、代わりに止めて」
《了解。あなたの“行きすぎ”を止める権限を、私に委任しますか?》
鈴音は一拍だけ黙った。
文香が息を呑む音が聞こえた。
「——委任。ただし、金じゃなく、将来の“動ける余地”で最適化。
今より動ける私を、未来の収益と同等に評価していい」
《委任プロトコル受領。目的関数を“可動域最大化×負債制御×学習速度”に更新。投資額の上限は紙上。現金は動かさない》
「紙で勝てないやつは現物で死ぬ。——走ろう」
《走る前に、歩く。15分タイムボックスで瑞穂重工の“競合地図”。米・欧・中の艦艇ラインアップとSMR政策、輸出金融(ECA)比較。あなたは“3行で喧嘩を買える言い方”をつくる》
「3行で燃やして、15行で鎮火。喧嘩の道具は言葉。——やる」
《開始。》
壁のディスプレイに、各社の艦影と要素技術が整列する。
AIの声は乾いているのに、テンポは人間を走らせる。
“レールガンは夢物語”という古い見出しが出るたびに、鈴音は更新された実証を叩きつける。
“SMRは危険”という叫びには、設計と運用の層で返す。
炎上の熱量にはExit ルールを重ねる。
「——3行」
鈴音はリモコンに親指を立てた。
「『輸出は悪か?』じゃない。
『抑止の分業を誰が担う?』だ。
瑞穂は“撃つ自由”じゃなく“撃たせない秩序”を売る。」
AIが一瞬だけ沈黙し、わずかに頷いた。
《採用。弁論・投資、両軸で効く“3行”。紙上ポジはB本命/C短期イベントで設計。
——提出用ドラフトを回す。あと、歌はどうする?》
鈴音は笑って立ち上がる。
「歌はあとで。今日は数字で踊った」
ヴィヴィアンの映るモニターの暗い部分が、投資家の笑みだけを切り取って反射した。
**“あなたの可動域を拡張する”**という機械の約束だけが、冷房の白い音に混ざっていた。
文香は、いつのまにか部屋に居なかった。
「あ。やっぱちょっと他人様には見せられないかな。ヴィヴィアン。ごめんね。当分隠れてよっか」
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EmberFlight――AIと人類が、新たな地平に火を灯す。 水底宇宙 @ritsuyomu
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