第十七話 アルネ is…

 夏の陽が真上から降り注ぐ午後、ヴィニウス葡萄学園の畑に、ひとり黙々と作業する生徒の姿があった。


 傘かけ。強い日差しを和らげ、実を守るための大事な作業だ。だが、それは思いのほか地味で、根気を要する。


 白羽根奈月しらはね なつき。三年次から編入してきた女生徒。寡黙で、どこか遠慮がち。授業でも実習でも、目立たず、力仕事や雑用は進んで引き受ける。けれど──クラスの輪のなかには、うまく入れていない。


「……あっ」


 ふらり、と奈月の身体が傾ぐのを、遠くから見ていたアルネはすぐに駆け寄った。


「だ、大丈夫!? ──私の肩につかまって。保健室まで歩ける?」



 保健室のベッドに寝かされた奈月は、顔を赤らめながらも意識を取り戻していた。


「……大丈夫? 熱中症だよね。

あんな炎天下でずっと作業してたら誰だって倒れちゃうよ…」


 椅子に座ったアルネが、冷えたタオルをそっと奈月の額に乗せながら言う。


「……すみません。でも、わたし、一般の大学から編入したので、周りに追いつかなきゃって……。それに、皆さんみたいに“こういうワインを作りたい”っていう夢もないし……きっと、向いてないんですよね、ここ」


 声は小さいが、絞り出すような響きだった。


「普通の家庭に生まれて、普通のサラリーマンの父と、普通の主婦の母。習いごとはピアノと水泳。高校はまあまあの進学校で、推薦でちょっといい大学に入って。……そんな自分を、ここでなら変えられるかもって思ったんです。だから、難しいって聞いた編入試験も頑張った。でも、周りはワイナリーの子とか、老舗酒屋の跡取りとか……。こだわりも、語彙も、経験も、みんなすごくて。私、なにもないなって、毎日思っちゃって……」


 アルネは、それを遮らずにただ聞いていた。しばらくの沈黙のあと、ふっと笑って言った。


「……わたしも、昔は同じだったわ」


「え?」


「誰かに何か頼まれると、断れない。自分から“やりたい”って言えない。気づけば、委員長とか、雑務とか、みんなが面倒に思うことを引き受けてて……でも、感謝されるわけでもなくて、“いい人”ってだけで終わってた。……そんな自分が、ずっと嫌いだったの」


 奈月は目を瞬かせる。


「でもね、わたしの名前。アルネっていうのは──“アルネイス”っていう白葡萄が由来なの」


「アルネイス……?」


「イタリア・ピエモンテ州の品種。昔はね、ネッビオーロの脇に植えられてた。虫がネッビオーロを食べないように、こっちに誘導する“おとり”として」


「……え?」


「つまり、“誰かのためにそっと犠牲になる存在”。でもね──今は違う。ちゃんと向き合って育ててあげたら、香り高くて、繊細で、素晴らしい白ワインになる。ピエモンテを代表する白になったのよ」


「地味でも、脇役でも。ちゃんと見てる人はいる。真面目に積み重ねてきた人は、必ず“自分だけの香り”を持ってるの。……わたしは、あなたの姿を見て、思い出したの。あの葡萄のことも、自分のことも」


 奈月の目に、じわりと涙がにじんだ。


「……どうして、そんなに優しくしてくれるんですか」


「たぶん、昔の自分を褒めてあげたいのかもね。それにあなた、習い事も続けて、推薦もらえるくらい真面目に勉強して、うちの編入試験通るくらい頑張れるって、それってもう立派な才能だからね」


 奈月はピンと来てない顔で聞き返す。


「で、でも…。他のみんなは幼い頃から親の畑を手伝ってきたとか、海外で醸造を見て育ったとか、すごい人ばかりで…」


「それはそれで確かに良いことだけど、葡萄っていうのはね、こう育てようって思っても全然言うこと聞いてくれないものなの」


「勝手に病気になるし、勝手に熟して早く仕込めってうるさいし、とにかくわがままで手がかかるのよ。熟練しても、それはみんな同じ。だから、毎年同じことを根気強く続ける、それだけでも才能がいるの」


奈月は少しだけ、嬉しそうに笑った。


「わたし我慢強さだけは自信あるんです。でもなんだか、葡萄って子育てみたいですね」


「ふふ、そうよ。アルネイスってね、ピエモンテの方言で”いたずらっ子”とか”気まぐれ”

を意味するんだって」


「とっても手のかかる品種だけど、あなたなら根気強く向き合って育てていけるかもね」


奈月が、好奇心の宿った瞳で尋ねる。


「はい。わたし、初めて作ってみたいと思えるワインのイメージが沸きました!

あ…でも、日本で育てられるんですかね?」


「うーん、そうね。あ!実家の畑でネッビオーロの栽培に取り組んでる子、百瀬くんかな。試験的にアルネイスも植えてもらえないか、彼に相談してみたらどうかしら?」


「たしかに!もともと囮で使われてたくらいだから相性良いはずですね。今度畑を手伝わせてもらえないか、相談してみます」


アルネはにっこり微笑んで、締めくくる。


「なんだか百瀬くんとあなたって、生真面目で融通効かなくて、お似合いな気がするね」


「や、やめてください!」




 翌日。朝の畑に、帽子をしっかり被って現れた奈月は、前よりも自然な様子で会話しながら仲間たちと作業を始めていた。


──Arne is Arneis


 誰にも気づかれなくてもいい。けれど、自分は自分の香りを育てていく。

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ヴィニウス葡萄学園 〜深遠なワインの物語〜 sabamisony @sabamisony

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