第35話

「どうぞ」


 言って麗春は横に退いた。

 弾かれたように顔を上げた千璃に、花のような笑顔を向ける。


「奥が硝雲宮でございます。私はここまでに」


 白い手が指し示した細道の両側には、盛りと芙蓉が咲いていた。白緋の花は八重に巻き、重そうに首を傾けている。


 芳香、葉の緑に陽光が眩しい。花で造られた道は緩やかに曲がり、先を見通すことはできなかった。


 息をのみ、千璃は一歩を踏み出した。夢の中のように茫と弛んだ視界に、色はとても鮮やかだ。履の下で玉砂利が立てる音を聞く。音も。


「どこまでおまえが一緒なんだ?」


 聞こえた声は低く響いた。

 先を行く遼灯が言い返す。


「だっておまえ、雲嶺で待つったって、千璃が一人で来れるわけねーじゃん」

「女官に案内させれば良いだろう」


「麗春が連れてきてくれた。それに覗いている奴が多すぎて迷子にもなれねーや。この城、こんなに人が居たか? ってくらい。みんな暇だねー」


「まったく。雲嶺にした意味がないな。人を払いつつ、おまえも払われろ」

「えーっ?」


「おまえはさんざん遊びに出ただろう。引き換え俺は、城を動かず辛抱強く待ち続けていたんだ。この辺りで報われてしかるべきであるとは、おまえは思いもしないんだろうが」


「うん。それを比べる意味があんのか? って思ってる。王のおまえの仕事だろ?」


「御尤もだ、遼灯。それぞれ役目を果たすことこそ正しい。ではおまえはおまえの仕事があるな」


 しばし対峙の後、肩をすくめて遼灯は言った。


「命令じゃしょうがない。ごめんな、千璃。おっさん、聞き分けがなくてさぁ。片付けたらすぐに戻ってくるから、それまで無事で」


「えぇっ、遼灯そんな」

「じょーだん、喰われやしないって」


 すれ違いながら千璃の腕をつかみ、遼灯はぐっと力を込めた。


「言いたいこと言えよ」


 うん。


 千璃もぐっと頷き、足を進める。声を出したためか遼灯の手の力か、動悸は止み、気持ちが落ち着いてきた。


――まずはお礼を。


 命を救っていただいたそのお礼、奏園に、久蒔に預けてくださったことにもお礼を。


 舞うこと、咲かすこと、話すこと笑うこと、生きること。昂鷲に助けられなければ得られなかったもの、それが今の自分のすべてであった。


 今ここに、居るということ。


 噛みしめるように思いながら、千璃は道を抜けた。足元は砂利に代わり、白砂が敷き詰められている。


 日をきらきらと反射させる細かな砂の向こうに白い石階段があり、三段登れば六角の屋根を持つ建物の入り口だ。

 その屋根も壁もなにもかもが白く、大きな鳥かごのようだった。


 違うのは柵の間に硝子が填め込まれていること。宮と呼ぶには小さく、四阿程度の広さしかない。


 これが硝雲宮。王城で最も高い位置にある建造物であり、最も新しいものでもあった。


 硝子精製の成功に気を良くした先王が、王后に捧げた『小さな箱』。それはこの昼下がり、陽射しを浴びて虹彩を放ち、最も美しい姿を見せている。

 

 白晶石の柱に手をかけ、男が一人立っていた。俯き進んでいた千璃が履だけを目に留めたとき、


「千璃か」


 声は飛んだ。

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