私は、生まれ変わりたくなんてありません
間川 レイ
第1話
「ね。お姉ちゃんはさ」
なんて、藍が言ったのは。久々に東京に遊びに出てきた藍と、たっぷりとお酒を飲んだ帰り道の事だった。
「好きな人とかいないのかなーって思うんよ。ね、そろそろ30だしさ」
そう、どこか面白がるように言う藍。
「言ってくれるじゃない」
そう言いながら藍の頭をワシワシと撫でる。やめてよぉ、セットが乱れる。そう言いながら大げさに飛びのく藍の様子が面白くて。ついでに頬をつついておく。
やめてって。そう笑いながら、それ以上つつかれないよう、しっかりホールドされた左手を尻目に煙草を一服。冷え切った夜空に煙が吸い込まれていくのが見える。ふうう、と長めに煙を吐き出すと私は言う。
「いない、いないよ。作るつもりもない」
ただ、その回答は藍としては不満だったようで。眉をひそめながら言ってくる。
「えええー、いいの?そのままでいいの?そろそろ頑張らないと結婚できないよ?」
結婚ねえ。私は小さく苦笑する。
「したくないから、いい」
だが藍は、不満げに口をとがらせながら言った。
「いいの?一生独りぼっちだよ?死ぬ時も独りぼっち。それでいいの?」
だが私はその質問に答えず言った。
「そう言う藍は結婚したいんだ」
「まあ、ね」
そう言う藍。私はそう言う藍をすごいなあと思う。私は藍の年ぐらいのころ、結婚したいとなんて一度も思ったことはなかったから。まあ、そもそも。私は今までの人生で人を好きになったことも結婚したいとも思ったことはないのだけれど。だから、私は素直に褒めておく。
「すごいね」
でも、藍はその返事をふっと鼻で笑うと
「それ、本気で言ってる?」
と聞いてきた。だから私は正直に答える。
「いいや、全然。正直、結婚したいなんて馬鹿じゃないって思ってるけど」
「だよね。お姉ちゃんらしいや」
そう、小さく笑う藍。だけど藍はふと真顔になると聞いてきた。
「ねえ、それってなんで。やっぱりパパやママのせい?」
そう、言い逃れは許さないぞと言わんかばかりの目つきで。面倒くさいなあ。私はそんな内心を押し殺して、だいぶ短くなってきた煙草を携帯灰皿に押し込めながら答える。新しい煙草をくわえたまま。
「わかってるくせに」
そう言うと、藍は小さくうつむいて。
「パパとママ、お姉ちゃんと仲悪かったもんね」
とそういった。
「でしょう」
私もつぶやく。そう、私と両親は仲が悪かった。致命的に仲が悪かったといっても過言ではないぐらい。事業を立ち上げたばかりで気が立っている父親。周りにいつだって当たり散らして。もとよりプライドの高い母親。そんな父親の態度にいつだって不機嫌で、嫌味ばっかり投げつけて。二人はいつだって言い争いばかり。それこそ母親と藍が二人きりの時、もしパパと別れることになったらパパのほうについていきなよ。私お金ないしと藍に言うぐらいには仲が悪かった。
ただ、そんな二人でも一致団結するときがあった。私を叱るときだ。叱る材料は枚挙にいとまがないけれど。成績、進路、日常生活の態度、そして学校からの連絡事項。部活の成績や習い事の成績に至るまで。色んなことで怒られて、時にはそれはいちゃもんでは、というような内容でも怒られたけれど。怒るときには決まって二人は一致団結した。
まず私を痛めつけるのは父親の役割。何だこの成績は、本当に勉強したのか。何で勉強してこんな成績なんだ。何でこんなに頭が悪いんだ。そんなニュアンスのことを、奇声にも似た怒声を張り上げながら私を殴りつけた。それこそ、肉付きなんてほとんどなかった私がその勢いで壁に激突するぐらいの勢いで。殴られた痛みで息ができなくなるぐらいの勢いで。何発も何発も、何発も。
そんなに良く飽きないなというような勢いで毎日私を殴った。殴ったり蹴ったり。髪をつかんで引きずりまわしてみたり。その時に身を守ろうとしてはいけない。何だお前!とより激高させることになるから。振り上げた手にとっさに頭を庇えば、舐めてるのかと余計に殴られ。あまりの乱打についかっとなって腕を押さえつけようとしたときは酷かった。強烈な勢いで膝蹴りを喰らわされた挙句、一本背負いのような形で投げ飛ばされたから。
そしてぼろぼろになった私を嘲るのは母親の役割。また懲りずに怒られたの。ちゃんと勉強してれば怒られないのに。そんな嫌味を投げかけることなんてしばしばで。勉強を教えるという名目で、沢山の皮肉を言った。え、なんでそんな答えになるの。ちゃんと勉強した?びっくりするぐらい頭悪いね。大丈夫?学校辞めて今から働いたほうがいいんじゃない。
それだけでなく藍に悪口を吹き込んだ。ちゃんと勉強しないとお姉ちゃんみたいになるよ、と。藍は無表情で頷くばかり。そして、態度が反抗的とみなされたときはなお質が悪い。金切り声でなんだその態度は!と叫び散らかした挙句、物が宙を舞い、着のみ着ままで家を閉め出されるか、少なくとも次の食事が出てこないことになるから。
そんな家で育って結婚したいなんて。そんな夢、見れるわけがない。なんて言ってやりたかったけれど。言えなかった。だって、藍も同じような目にあいながらこの年まで生きてきたのだから。家で、何度父親に蹴り飛ばされて床を転がる藍を見たことか。絶叫みたいな藍の悲鳴に部屋に駆け込めば、荷物をまとめて逃げ出そうとした藍を、無理くり引きずって室内に引きずり戻そうとする父親、なんて場面に出くわしたことさえある。やめてよっ!!放してっ!!そう叫ぶ妹の髪を鷲つかみにしながら、ご近所様に迷惑だろうが!そう絶叫する父親。そんな場面を目にしながら、私は何もできなかった。
そんな家で育ちながら、藍は結婚したいと思える。人を好きになることができる。話を聞いているとあまり見る目はなさそうだけれど。それでも人を好きになれる。それはとてもすごいことで。
だから私はもう一度頭を撫でておく。
「すごいよ、あんたは」
なんていいながら。うん。そう言いながらされるがままにされている藍。
「私にだって人を好きになれるんだから、お姉ちゃんだってできるよ」
そう微笑む藍。その笑顔はとても透き通っていて。だからこそ、私は申しわけなく思う。
「ごめんね」
そう、首を振ることに。その反応に、若干傷ついたような顔をする藍。藍には申し訳ないけれど、私は他人を好きになれそうになかったから。きっと藍からすれば。私にできて、お姉ちゃんにできないはずはない、そんなところだろう。なのにどうしてお姉ちゃんはと、口には出さないけれど、そう思っていることが手に取るようにわかる。だって私たちは姉妹だから。かけがえのない、血を分けた二人きりの姉妹だから。
何でだろう。そう言いたいけれど。私には答えなんてわかりきっている。何度も自問自答したのだから、答えなんてとっくに出てる。でも、藍はその答えを知らなくていい。知る必要もない。私が誰かを愛せないのは、家庭環境だけが原因だけじゃなくて。友達だと信じていた子に乱暴されたことがあるからだ、なんて。
それは、まだ藍が物心ついてなくて。私だってまだ中学生ぐらいだったころ。私は友達だって信じていた子に乱暴された。無理やり押し倒され行為に及ばれた。言葉にすればたったそれだけの事。それだけのことだけど、藍に私がそんなことがあったことを知ってほしくなかった。思い出してほしくなかった。
藍は、知らなくていい。友達だと思っていた子の、何だったら親しい友達だと思っていた子の、なんかお前ってかわいいよな、なんて。そう、言い出した時の表情を。冗談だと思っていたら、いきなり押し倒されたときの恐怖を。無理やりキスをされたときの屈辱と怒りを。服をめくり上げられ、まさぐられたときの、ぞわぞわ背筋に悪寒の走る感覚を。何度もやめてって叫んで。誰か、誰かって助けを求めて。それこそ息が続かなくなるぐらい。それでも誰も来てくれなくて。
下着をずらされて。何で私はこんな子を友達って思っちゃったんだろうという、あのあきらめにも似た気持ちなんて知ってほしくもなかったから。もういいやって抵抗を諦めてしまった私の情けなさも。それでも舌は入れられたくなくて、涙を流しながら、目を閉じ口をぎゅっとつぐんでいた時のあの感触も。あの痛みも吐き気も苦しさだって。
何で、どうしてという言葉だけが宙を舞い。ひたひたという冷たい泥のような諦めだけが忍び寄ってきて。もう、どうなってもいいやと全てを投げ出してしまった時の、あの気持ち。どこまでもどこまでも、がらんどうの空っぽになってしまったかのような気持ち。あんな気持ちなんて知る必要もないから。でも、それこそが誰かを好きになれない理由だから。
だから、私は誤魔化すように煙を藍の顔に吹き付ける。
「もー!やめてって!」
そう怒ったように言う藍。ふと思い出したように藍は言う。
「でも、本当にほどほどにしときなよ。煙草なんていいことないんだから」
「そうだね。気を付けるよ」
私は小さく微笑みながらそう答える。でも私に煙草をやめるつもりなんて微塵もなかった。私は死にたくて煙草を吸っているのだから。身体をぼろぼろにしたくて吸っているのだから。
私はふと藍に思い立って尋ねる。
「ね、もし生まれ変わるなら何になりたい?」
随分急だね、なんて笑っていたけれど。藍は言った。鳥かな。自由にどこまでも飛べたら、素敵じゃん。そう言って笑って。
お姉ちゃんは?そんな言葉に黙って煙を再び吹き付ける。やめてってば。そう言いながら軽くはたいてくる藍に軽く微笑む。
生まれ変わりたくなんてありません。ただ、早く死にたいです。なんて。そんなこと、言えるわけもなかったから。
私は、生まれ変わりたくなんてありません 間川 レイ @tsuyomasu0418
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