後編

 一年前、リナは確かに笑っていた。

 その笑顔は今より少し不器用で、でも本物だった。俺は何よりリナのその愛らしい笑顔が好きだった。


「カイくん! 今日は楽しかった?」

 家族旅行に同行させられた俺に、リナが笑顔で話しかける。その顔を見るに、リナは相当楽しかったのだろうと推測がついた。俺はリナの気持ちを汲み、無言でただ頷く。そんな俺の反応に気を良くしたのかリナの顔は更に輝きを増した。

「また皆でお出掛けしようね!」



 俺は彼女の家族が十五年前に用意した護衛アンドロイド、“剣闘式二型改”。

 この治安の悪い新トーキョーでリナの日常の笑顔を守るために護衛プログラムと最低限の感情のみ搭載され、リナの家に派遣された。こいつが俺の膝下くらいの背丈だった頃からの付き合いだ。

 これがプログラムされた感情なのか分からないが、リナには“家族の情”のようなものも感じらる。



 だが、無情にも悲劇は起きた。

 旅行に訪れたその日の帰り道、交通事故でリナ以外の家族は死に、彼女も脳と心に大きなダメージを負い、情緒中枢を損傷した。

 それ以来、彼女はいつも笑顔だ。だがそれは偽りの笑顔、感情の抜け殻だ。

 俺は決めた。天涯孤独になったリナを守り、“あの時の笑顔”を取り戻す。その為に人間の感情を学び、彼女に分け与えると。


 それが、護衛の任を与えられていたのに、誰一人救えなかった出来損ないアンドロイドの、俺の、せめてもの贖罪だ。





 モニターの前で、リナが囁く。

「カイくん…やめよう? もういいよ。私はこれでも、幸せだから」


「幸せ? それは脳の誤認バグだろ!」

 俺は叫ぶ。

「お前の本当の笑顔、俺は知ってる。事故の前のお前を、取り戻したい!」  リナの笑顔のままの瞳から、涙が一粒落ちる。

「カイくん…ありがとう。でも、私の心はもう…」

 彼女の声は途切れ、笑顔が崩れる。あの事故から初めて見る、壊れた表情。だが本物の彼女の感情…


「リナ、今日は土産があるんだ。と言っても俺へのだけどな。ほらこれ、俺にインストールしてみてくれよ?」

 俺はできる限り明るくそう言ってリナに闇市で仕入れた『愛』の感情データパックを渡す。


「これを、カイくんに?」

「ああ。感情データだ。もしかしたらもっとリナのことを助けてやれるかも知れない」

 リナはパックをしばらく見つめ、そしてそれを胸に押し当てる。

「…分かった。カイくんがそう言うなら……やってみるよ。でもね? 今までだってとっても助けてもらってる…。ありがと…」

 リナの目からまた一筋、何かの涙が落ちた。


 俺はモニター前のメンテナンスシートにリナに背を向けて座る。彼女の手がキーボードを叩き、システムが起動した。

「インストール、始まったよ……」

 リナの細い声が遠くに聞こえ、俺の意識はそこで途切れた。



 目を覚ますと、俺はソファの上に寝転んでいた。掛かっていた毛布を払い、時計を見ると深夜だ。

「リナ?」

 辺りを見渡すとリナは寝室で穏やかな寝息を立てていた。

 『愛』のデータは、俺の感情回路に微妙な変化をもたらしていた。胸の熱が、以前より少し深く、複雑に感じられる。それでいて、不思議と以前から知っているような気にもなってくる。

 リナの隣に横になり、彼女の手を胸に当てる。

「……カイくん?」

 リナが薄く目を開く。

「俺の鼓動、正常か?」

「…少し、速いけど…」

「ならいい…」


 暫し夜の静寂が俺たちを包んだ。俺は暗い天井を見つめながら話し出す。


「リナ、俺はこれからも感情を学ぶ。本当のお前を取り戻すためだ。そしたら、お前の胸もきっとまた高鳴る。俺がお前の心を、今度こそ守ってみせる」


 リナの冷たい手が俺の冷たく堅い腕に触れる。。

「ありがとう、カイくん…でも…」

 そこで彼女の声は消え入る。


『もう、いいの』


 そんな言葉が聞こえた気がしたが、ネガティブな思考回路を払拭クリナップするように俺は頭を左右に振った。





 それから俺は感情を学び続けた。闇市で『喜び』、『慈しみ』などのデータパックを買い、インストールしたが、どのデータもリナの心を動かすには今ひとつ足りなかった。

 だが、ある日、帰宅した俺を迎えたリナの目に、涙が光っていた。



「どうした、リナ? なんで泣いてる?」

「…カイくん、最近また帰りが遅いから。私、一人で…不安だった」

 俺はハッとする。人間は孤独で“不安”になる。それをこの前のデータで学んだばかりだった。



「悪い、リナ」

 彼女は首を振る。

「一人でも平気だよ? でも、ちゃんと帰ってきて?」

 その笑顔は、どこか悲しげだ。無理してる。俺には分かる。

 リナの感情には明らかな変化が起きている。その変化は小さいながらも日々蓄積され、今日の事のように突如はっきりと表面に出る時が今までにも何度かあった。

 俺と一緒にいることでリナの心が元に戻ってきているのだとしたら――



 翌日から俺は闇市へ通うのを控え、その分リナとの時間を優先した。

 朝、俺は笑顔で言う。

「おはよう、リナ」

 彼女の目から涙が落ちる。

「…起きると、カイくんがいてくれて、嬉しい…」


 その瞬間、俺はまた理解した。リナの涙は“安堵”だ。俺の行動が、彼女の心を動かした。彼女は俺のそばで“安心”を感じている。

「リナ、俺はこれからはお前と一緒に感情を学びたい。いつもお前のそばにいる。だから、泣かないでくれ」


 リナは少し不器用な笑顔で涙を拭う。それは、俺が今まで見た中で最もリナらしい笑顔の瞬間だった。






 ――あの日から二年余りの月日が流れた。

 リナも俺と親密に過ごすうちに段々と以前のような情緒が芽生えだし、近頃では俺が彼女に受け渡す感情は減っていた。

 それに伴い、俺がインストールする感情データも減ったが、何故か夜は毎晩一緒の布団で寝るようになった。まるで“本物”を確かめ合うように。


 ある夜、リナが俯きがちに俺に囁いた。

「…カイくん、もっと私をアップデートして…」

 その言葉の意味は分からないが、彼女が俺に何かを求めてるのは確かだ。

 俺は彼女の唇に自分の唇を重ねる。人工体液で濡れた唇が離れると、リナの潤んだ瞳が俺を見つめる。

「…今日も、ありがと。私の感情、またアップデートできたよ…」


 恥ずかしげに顔を赤らめるリナ。俺はそっと返す。

「どういたしまして」

 彼女の笑顔は、事故の前より温かい。本物だ。俺のこの胸の熱も、偽物じゃない。


 俺はリナの柔らかい髪を掬いながら、自然と自分の口の両端が上がるのを感じた。

「俺たちは今、本物だ、リナ…」

「うん! カイくん、今日も楽しかったね!」



 【完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

CODE:SMILE 真上悠 @magamyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ