第17話「静かな葛藤」

春の朝、目覚まし時計のベルが静かに純を揺り起こす。


ベッドの上、まだ目を開けたくなくて、

まどろみのなかで、夢と現実が混ざり合っている。


遠くから、家族の小さな話し声が聞こえる。

キッチンで母親が忙しそうにフライパンを動かす音、

兄がテレビのリモコンを操作するカチカチという音。


純は、そっと布団をかぶった。


(私は――

今日も、誰にも気づかれずに一日が過ぎていくのかな)


静かな朝食の時間。

食卓には、家族三人が並んでいる。

父親は新聞をめくり、母親は「行ってきます」とだけ言い残して先に仕事へ。

兄はイヤホンをつけて黙々と食パンをかじる。


純は、自分の存在が「空気」みたいだと、昔から感じていた。


自分だけが少し違う世界にいるような、

話したいことも、うまく伝えられずに飲み込んでしまう。


兄は、スポーツ推薦で中学を卒業した。

両親は、兄の話題になると少し声が弾む。

純が「詩」を好きなことは知っているけれど、

深く立ち入ろうとはしない。


(詩を書いていることが、

誰かの役に立つわけじゃないから――

「勉強しなさい」って、言われるのも分かってる)


けれど、

夜の図書室や、自分の部屋の小さな明かりの下でだけは、

純はほんの少しだけ「自分でいられる」と思えた。


学校の廊下も、似たような空気が流れていた。


教室の片隅、窓側の席。

純は目立たないようにノートを開き、静かに授業を受ける。


クラスの友達が楽しそうに話している。

仲間外れにされているわけじゃない。

でも、「純ちゃんの詩、すごいね」と言われたあとの、

微妙な沈黙が苦手だった。


(共感されたいわけじゃない。

でも、誰かに本当の自分を見てほしい気持ちがある)


そんな思いが、胸の奥で渦を巻いている。


放課後、図書室の隅でページをめくりながら、

純はふと過去を思い出した。


小学校の卒業文集、

「大きくなったら、詩人になりたい」と書いた。

けれど、担任の先生は苦笑いして、

「将来は、もっと現実的な夢にしなさい」と言った。


それから、純は「夢」を人に言わなくなった。


でも、夜空に星が浮かぶ静かな時間になると、

心のなかで“もう一度夢を語りたい”気持ちが生まれてくる。


(本当は、

自分の詩を、もっと多くの人に届けたい。

誰かの心にそっと残る言葉を綴りたい。

でも――もし伝わらなかったら、

もし笑われたり、否定されたら、

私はきっと壊れてしまう)


未来のことを考えると、不安で胸がきゅっと痛くなる。


「このまま、私は、

静かな世界の隅っこに隠れたままなのかな」


帰り道、

夕暮れの空に一番星が輝きはじめていた。


純は、ランドセルの中にそっと詩集をしまい、

立ち止まって夜空を見上げる。


(小さな光でもいいから、

私だけの“言葉”で、

誰かの夜をそっと照らせたら――)


心の中の“葛藤”は、まだ消えない。

でも、その苦しみごと、今夜のノートに綴ってみようと思った。


*挿入歌(純・静かな祈りとして)

静かな世界で 声を潜めて

誰にも言えない夢を抱きしめた

過去の傷も 未来の不安も

夜空にそっと 浮かべてみる

消えそうな光でも

自分の詩は

私だけの星になる


夜になって、

純は机の明かりの下でノートを開いた。


迷いも、寂しさも、夢も、全部言葉にしてみる。

そうすれば、きっといつか

静かな葛藤も、

新しい詩へと変わる――


純の中で、ほんの少しだけ

新しい明日への予感が生まれはじめていた。


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