第18話「詩のレコード」

夜、家じゅうが静まり返った。


リビングからは、テレビのかすかな音と父の咳払い。

廊下を歩く家族の足音も、ときおり遠くに響くだけ。

自室のドアをそっと閉めると、そこはもう純だけの小さな宇宙になる。


机の上には、昼間図書室で書き溜めた詩のノート。

横には、最近勇気を出して手に入れた、古いカセットレコーダーが控えめにたたずむ。

最初は使い方もわからなかったけれど、今は――

“自分の声で何かを残す”という行為そのものに、小さな憧れを抱いている。


(誰かに聴かせるつもりはない――

でも、今日だけは、自分のために)


静かな決意が胸の奥でふくらんでいく。


純は、そっと録音ボタンを押した。


テープが回り始める小さな音。

それは、心の鼓動にも似ている。


「……こんばんは。

本多純です」


自分の名前を声に出すのは、

なんだか照れくさい。

でも、その響きが夜の空気に溶けていく。


「今から、私の詩をひとつ、読んでみます」


手元のノートをゆっくり開く。

指先が少し震えている。

けれど、その震えさえ、今夜だけは止めようとは思わなかった。


『夜空の窓』


夜空をのぞく 小さな窓

心の中に 星がひとつ

誰にも言えない願いごと

そっと 言葉にしてみる


きみの夜にも 小さな光

消えそうでも 照らし続ける

言葉にならない 孤独の奥で

星はきっと 光り続ける


声は最初、かすれて小さかった。

けれど、一行一行読むうちに、

自分の詩が自分自身に返ってくるような、

不思議な感覚に包まれていく。


「……ありがとう、詩。

誰にも聴かれなくても、

これが、私の本当の声です」


言葉を吐き終えたあと、

夜の部屋に静寂が戻る。


録音ボタンを止める。


部屋の空気は、いつもより少しだけ澄んでいる気がした。

カセットテープの中に、さっきの自分の声と詩が封じ込められている。

それは、誰にも見せない、

けれど確かに「今の自分」を認めるための儀式だった。


(きっと、まだ誰にも言えない気持ちも、

少しずつ“音”にしていける)


夜の窓をそっと開けると、街の明かりの向こうに、

静かにまたたく星がひとつ浮かんでいた。


(寂しさも夢も、詩に乗せて…

私はここから、また歩き出せる)


*挿入歌(純・夜)

誰にも届かない 詩のレコード

孤独を包む 小さな声

夜空を照らす あの星みたいに

ほんの少しだけ 勇気をくれた

窓の向こうに

私の詩が また一歩、

夜の世界へと溶けていく


録音したカセットを、

ノートと一緒に引き出しの奥にそっとしまう。


けれど、心のなかでは、

何かがほんの少しだけ変わった気がしていた。


(明日もまた、詩を読もう。

言葉を音にしてみよう。

小さな一歩でいい――

この声が、私自身を支えてくれるから)


純は静かに目を閉じた。


夜空の星が、少しだけ近く感じられる夜だった。


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