第四章 夜空に紡ぐ詩

第16話「星が見える夜の図書室」

放課後の校舎は、もうすっかり静まり返っていた。


生徒たちの足音も、部活の歓声も、昇降口のざわめきも遠ざかっていく。

空は深い群青に染まり、窓の外には小さな星がぽつりぽつりと現れ始めていた。


本多純は、ひとり図書室の窓辺にいた。


分厚い本の山の陰に身を隠しながら、開きかけたノートに鉛筆を走らせる。

周りには、帰宅準備をする先生と、静かに本を片付ける図書委員の気配だけ。

やがて、最後の生徒が帰り、図書室には純ひとりきりになった。


窓ガラス越しに見えるグラウンドには、もう誰もいない。

春の夜風が、そっとカーテンを揺らしている。


「……あと五分だけなら、いいですよ」


図書室の先生が帰り際に声をかけてくれた。

純は静かにうなずいて、返事をする。


本当は、もっとずっとここにいたかった。


昼間は誰にも気づかれないように静かに過ごし、

家に帰れば、兄や両親の忙しさに埋もれてしまう。

純にとって、この図書室だけが、

“自分”でいられる、秘密の場所だった。


純は机の上に一冊の詩集をそっと広げる。


表紙は擦り切れて、角が丸くなっている。

お気に入りのページには、何度も指でなぞった跡が残っていた。


(言葉にできない思いを、

詩にしたら、誰かに届くのかな)


純はそっとノートに自分だけの詩を書き始める。

自分の気持ち、夢、誰にも言えない願い。

誰にも読まれないことを前提にした、小さな詩。


窓の外、夜空には、ひときわ明るい星が瞬いていた。


「星を見ていると、

 夜の静けさも怖くない」


純はノートにそう書き付け、

指先で何度もなぞる。


(――本当は、

もっと大きな声で自分の夢を語ってみたい。

みんなの前で詩を読んでみたい。

でも、笑われたらどうしよう。

変だって思われるのが怖い)


それでも、

この静かな夜の図書室なら、

心の声が素直にあふれてくる。


本棚の隅には、昔の卒業アルバムや手書きの詩が挟まれている。

純はそれらをゆっくり手に取って、指でページをめくる。


知らない誰かが残した詩や手紙――

“誰かに伝えたい”

“心のどこかに残しておきたい”

そんな切実な想いが、

ページのあちこちに静かに息づいている。


自分も、いつか

“誰かの心に残る詩”を紡げたら。

そんな夢を、声に出さずにそっと願う。


ノートの端に、新しい詩を書き始める。


『夜空に浮かぶ ひとつぶの星

 寂しさも夢も すべてを映して

 静かな声が 世界を包む

 たったひとりの わたしの詩』


筆跡が震えている。

けれど、いまだけは、自分にだけは正直でいたかった。


やがて、図書室の時計が静かに閉館を告げる。


純はゆっくりとノートを閉じ、

窓の外の夜空を見上げる。


(大丈夫。

今はまだ小さな光でも、

私の詩は、きっとどこかに届くはず)


静かな図書室に、純の息づかいだけが響く。


夜風に乗って、

遠く、星の瞬きが

“あなたの夢はここにあるよ”と

囁いてくれているような気がした。


*挿入歌(純)

星降る夜に 心を開いて

誰にも言えない夢 そっと紡ぐ

静かな図書室 夜風の音

小さな詩が 夜空を照らす

君に届かなくても

私はここで 詩を描く


図書室の扉を閉める前、

純は最後にもう一度だけ、夜空を見上げた。


心の奥で、

「いつか、この詩を誰かに読んでほしい」

そんな新しい願いが、生まれていた。


それは、星明かりよりも淡く、

けれど確かな光だった。

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