第5話 つかさという少女
樋口刑事が署に戻った時は、すでに、日付を回っていた。現場に二時間近くもいたということであるが、本人は、
「30分くらいしかいなかった気がする」
と思っているが、それも実は、
「いつものこと」
ということであった。
それだけ、集中していたということになるのだろうが、そのせいもあってか、疲れは、
「2時間とは言わないほどに長い間蓄積された」
という風に感じるほどであった。
しかも、署に帰ると、ほとんどの署員は帰宅していた。
もっとも、それは当たり前のことであり、普段から宿直もあるので、慣れているはずの暗い署内であるが、さらに寂しさを感じさせられるというものであった。
「これは厄介だな」
と感じていたが、その日は、ちょうど当直ということで、それまで自分に変わって当直を引き受けてくれていた刑事が帰ってしまうと、普段であれば、
「仮眠をとるか?」
と思っている時間帯に差し掛かったが、
「なかなか寝付かれそうにもないな」
ということを感じさせるのであった。
目を瞑れば、
「瞼の裏に、事件の背景が浮かんでくる」
という感覚と、
「寝入ってしまうと、悪夢にうなされそうな気がする」
という気持ちもあって、気が立っているということもあるのだろう。
目を瞑ってはみたが、その瞼の裏に浮かんできた事件が妄想のようになるのだが、
「せっかくだから、目を瞑って事件を整理してみるか?」
と考えたのだった。
「簡単なところから整理してみるか?」
と思ったが、
「まずは、風俗。特にデリヘル業界というものがどういうものなのかということを、オーナーから聞かされたことを思い出しながら考えてみよう」
と思ったのだ。
確かに風俗というのは、
「今までのぼらっくボックスだった」
ということで、それが、
「どこか胡散臭い」
という意識があったのか、それとも、
「意識して敬遠していた」
ということになるのかと考えていた。
どうやら、想像する中で、
「後者ではないか?」
ということで、
「敬遠していたのだろうな」
と考えた。
樋口刑事は、どちらかというと、
「苦手なことを敬遠するタイプではなかった」
前のめりということもないが、特に、
「警察官として知っておくべきことは、目を背けることはしたくない」
と思っていたのに、この業界に関しては違ったのは、半分忘れていたのだが、
「樋口が大学時代に好きだった女の子が、実は風俗嬢だった」
ということを後から聞かされたからであった。
「最初から分かっていれば、ここまで敬遠することはなかっただろうに」
と思ったのは、
「最初から隠すということは、それだけ風俗で働いているということは、隠すべきことだ」
ということだと自分で意識していたからに他ならないということだったと思っているからであった。
それを、認めたくないということで、
「刑事らしからぬ態度になってしまった」
ということになるのだろう。
樋口刑事が所属しているK警察署内部に、翌日になると、捜査本部ができた。
その戒名としては、
「ラブホテル女子大生殺人事件」
というものであった。
敢えて、
「デリヘル」
であったり、
「風俗」
という言葉を使わないというのは、マスゴミに対しての、
「余計なことを書かないでほしい」
という
「無言の圧」
のようなものなのかも知れない。
もっと言えば、
「世間を騒がせるような記事を書いてほしくない」
ということで、被害者が風俗嬢などということになると、
「背後に暴力団関係が」
などという根拠のない憶測が生まれることで、無関係の人間が煽られるということを嫌ったともいえるだろう。
特に、被害者の家族などが、晒されたり、特定されるなどということになると、
「警察に避難が囂々になる」
ということで、そもそも、マスゴミが煽ったことから生じた問題なのに、
「そんなことはさておき、警察を攻撃する」
というのが、マスゴミの正体である。
だから、警察が、必要以上に情報統制をおこなうというのは、
「致し方のないところ」
といってもいいだろう。
しかし、マスゴミも、
「憲法に保障されている権利」
というものを盾に、攻撃してくるのだから、
「確信犯」
といってもいいだろう。
それを考えると、マスゴミへの影響というのは、想像以上に問題をはらんでいる」
といえる。
特に、
「最近騒がれている。個人情報の保護」
というのは、
「憲法で保障されている権利や自由」
というものと、反対だといってもいいだろう。
マスゴミに。すべての自由や権利を認めると、プライバシーというものが崩れてしまう。
そうなると、警察関係でいけば、
「被害者家族、さらには、加害者家族」
というまったく無関係の人まで巻き込まれてしまうということになるだろう。
それを考えると、樋口刑事も今までの捜査の中で、その二つのジレンマに苦しめられてきたことが多かったと、いまさらのように感じるのであった。
もっと言えば、
「犯罪というものを、いかに抑制するか?」
ということを考えた時、
「警察の力にも、おのずと限界がある」
ということを思い知らされるということであった。
「警察に、すべての国家権力」
というものを与えれば、どのようになるかというのは、昔の歴史を見れば分かるというものだ。
時代は昭和の、動乱期、世界は、共産主義などの台頭によって、
「スパイ合戦」
というものが繰り広げられているといえるだろう。
その時代にあって、大日本帝国は、
「治安維持法」
というものを成立させた。
これは、
「反政府組織」
などを取り締まる法律ということで、
「共産主義」
であったり、いわゆる、
「国家体制に歯向かう連中は、すべてが対象」
ということで、戦時中などにあった、
「戦争反対を唱える人たち」
を、
「非国民」
と呼んで、逮捕し、拷問を加えるということで、それこそ、
「徳川時代におけるキリスト教迫害」
というものに通じる、
「踏み絵」
のようなものではないだろうか。
確かに、
「政府に対しての反逆」
と思われるものは、ある程度規制をかけるというのは無理もないことだろう。
しかし、それをやりすぎると、結果として、
「今でいう、民主国家の根底を覆す」
ということになる。
ただ、
「大日本帝国:
というのは、
「民主主義ではない」
「デモクラシー」
というものが注目された時代もあったが、
「結局は、国家体制に、牛耳られることになった」
といってもいいだろう。
当時の大日本帝国というのは、
「立憲君主」
の国であった。
「立憲」
ということは、
「憲法を基準としての君主」
ということで、
「憲法で決められている主権は、天皇にある」
ということで、
「憲法や法律で決まっている、天皇の権利を犯す」
ということは、
「違憲である」
ということで、それこそ、
「非国民」
といわれても仕方のないことだったのかも知れない。
実際に、罪になるならないは別であるが、
「天皇の統帥権干犯」
といわれることがあった時は、査問委員会が開かれ、裁判となることも実際にはあったということである。
「満州事変における、朝鮮軍の越権行為」
であったり、
「外務大臣による、海軍軍縮会議において。。政府の独断で、軍縮に調印した」
などというのは、完全な、
「統帥権の干犯だった」
ということである。
統帥権というのは、
「憲法で認められた天皇の統帥における権利」
ということで、特に、
「陸海軍」
に対してのものであった。
日本における陸海軍というのは、
「憲法にて決まっているのが、陸海軍を統帥す」
ということであった。
つまり、
「陸海軍というのは、その配置としては、天皇直轄」
ということで、政府の下ということではない。
ということから、
「政府であっても、軍に口出しができない」
ということだ。
特に、軍部というのは、
「機密事項が満載」
ということで、作戦面で口出しできないことは当たり前だが、
「軍の体制」
であったり、
「作戦の遂行状態」
であっても、軍が、
「機密」
ということにしてしまうと、何もできないということだ。
ただ、そうなると、
「軍のほとんどのことが、機密」
ということになり、結局は、
「政府は軍に何も言えない」
ということになるわけだ。
しかも時代は、
「共産主義の台頭」
ということで、
「スパイ合戦」
というものが繰り広げられているので、
「怪しいと思う人物は、片っ端からしょっ引いて、そこで、断罪に処する」
ということにすることで、
「抑止にもなる」
ということであろう。
一種の、
「見せしめ」
ということであるが、それが当たり前だったという時代だったのだ。
「主権は天皇」
ということで、国民の権利というのは、
「天皇に許された範囲」
といってもいい
だから、
「有事」
つまりは、
「臨戦態勢」
ということになると、一部の国民の権利が制限されたり、
「徴兵」
などというものが強制される時代になったりということになるのであった。
特に、当時は、
「国民」
のことは、
「臣民」
と呼ばれ、前述の、
「権利の一部制限」
ということを容認するということになるのであった。
それが、大日本帝国の時代ということで、
「国家元首」
というものがどういうものなのか?
ということを、当たり前としての教育を受け、洗脳された時代だったといってもいいだろう。
だからと言って、
「すべてにおいて悪かった」
という時代でもない。
ということは、
「今の時代が、何をおいても、大日本帝国に勝っている」
とはいえないだろう。
だから、逆にいえば、
「大日本帝国の時代に勝っていたものもあった」
ということで、すべてにおいて、
「大日本帝国という時代はひどい時代で、間違ってもあの時代に戻してはいけない」
と考えている人も少なくはない。
そんな時代の警察は、
「特高警察」
といわれ、よく引き合いに出されることとして、
「非国民を逮捕して、拷問を加える」
というものであった。
戦時中に多かったことで、
「非国民というのは、戦争反対を唱えている人」
ということで、普通であれば、
「戦時中ということでの臨戦態勢なので、国民が、戦争遂行に対して、ブレることなく、まい進する」
ということをしないと、
「士気が下がる」
という意味で、
「戦争遂行は、難しい」
ということになるのだ。
軍であっても、政府であっても、
「始めてしまった以上、勝利する」
ということに責任がある。
本来であれば、
「戦争責任者である天皇の命令」
だからである。
かつて、敗戦後、
「天皇の戦争責任」
について言及されたが、普通であれば、
「宣戦布告の詔」
というものを、天皇の名で発表したのだから、
「おのずとその結果は決まっている」
ということになるだろう。
もちろん、
「天皇を罰することで、占領計画がうまくいかない」
という連合国側の理屈というものもあるだろうが、
「戦争責任というものがどういうことなのか?」
今の、
「押し付けられた民主主義」
というものを遂行している今の日本国民では、その理屈を考える頭がないといってもいいだろう。
それこそ、
「教育の違い」
もっといえば、
「洗脳の有無」
というものが大きく影響しているに違いない。
だから今の警察も国民も。
「平和ボケ」
といわれてもいいだろう。
何といっても、
「憲法九条」
というものの解釈を、戦後80年経った今でも、改正されることなく、論議だけがあって、争われているではないか。
それが、
「いい悪い」
ということは何とも言えないが、それをいかに解釈するか?
ということだけは、考える価値は絶対にあるということだ。
むしろ考えないということは、
「逃げている」
といってもいいだろう。
ただ、
「何が難しいのか?」
というのは、その人のその時の立場や環境が、大きく影響しているということで、
「民主主義の基本」
ということでの、
「多数決」
という発想でいけば、本当であれば、
「同じ立場、同じ環境の人における多数決でないといけない」
ということになるのかも知れないが、その場合においての多数決など、
「理論的に考えて、不可能だ」
ということになる。
もっといえば、
「それらの多数決であれば、今度は却って、限定されすぎてしまって、不公平になるのではないか?」
ともいえる。
そもそも、
「何が正しいのか?」
ということを、
「理論ではなく、数の力で決めよう」
というのだから、
「それ自体が間違っている」
といってもいいだろう。
実際に多数決というものの結果で、
「よかった」
「悪かった」
ということを判断したとすれば、どちらが多いというのだろう?
そもそも、それ自体が、多数決ということになり、
「理不尽」
といえるだろう。
つまり、
「多数決というのがすべてにおいて正しい」
ということではない。
表に出ていないかも知れないが、
「多数決ではないか?」
と考えられることすべてを解釈するとすれば、そこには、まるで、
「いたちごっこ」
というものを繰り返しているといえるのではないだろうか?
一種の、
「マトリョシカ人形」
のようなものであり、さらには、
「合わせ鏡」
というものに近い発想だといえるのではないだろうか?
「限りなくゼロに近い」
というもので、
「整数であれば、どんなに割り続けていっても、絶対にゼロにはならない」
という発想であり、
「多数決」
というものを取ったとしても、
「絶対に相手がゼロということはない」
ということから、
「完璧ということは、この世にはありえない」
という発想になるだろう。
もっとも、
「整数で割った場合」
という制限があってのことなので、
「すべてにいえることではない」
ということになるのであろう。
確かに、ソープのような仕事は、
「市民権」
というものを得ている。
そこから、いろいろ風営法も確立していき、そこから、ハコヘルであったり、デリヘル。さらには、キャバクラなど、ランクの違いこそあれ、性風俗の派生業界が出てきたということで、それらの業界も、
「風営法に基づいた市民権を得ている」
といってもいいだろう。
そう考えると、問題はそれを利用する客側である。
中には、
「とんでもない勘違い野郎」
というものがいる。
「金を出しているんだから、女の子は商品と一緒に、客のいうことは聞かなければいけない」
と考えている輩である。
店の決めたルールを平気で破るやつ。
「本番行為や、行為の強要を禁止」
「盗撮の禁止」
「連絡先の交換」
などというのは、個人間の交渉で何とかなるとでも思っているのだろう。
そういう輩は、
「高い金を払っているんだから、金で買った相手には権利がない」
などという、まるで奴隷売買とでも思っているのか、そもそも、
「高い金を払って、女の子に強要して何が楽しいのか?」
ということである。
たいていの利用者は、
「疑似恋愛だと分かっていても、時間をお金で買う」
と思っているので、欲しいものは、
「癒し」
なのだ。
それを分かっていないことで、相手を不快にし、それこそ、独占欲しか相手に感じなくなってしまうと、それこそ、
「犯罪者の心理」
といってもいいだろう。
ただ。風俗嬢の中にも、
「お金さえもらえたら」
という女の子もいて、店が決めたルールを、
「ここだけの話」
ということで平気で破る人もいる。
「私だけね」
と念を押したとしても、ルール違反を言い出すやつに、そんなことが通用するわけはない。
ということで、
「ここだけの話」
が通用するわけもなく、
「どの女の子にも通用する」
と勘違いをし、いや、
「それは勘違いではなく、自分にとって都合のいい解釈でしかない」
ということを分かっていないということだろう。
それを考えると、
「勘違いをするのは男だけではなく、女の子にもいる」
ということで。さらには、
「男の場合は勘違いではなく、あくまでも、自分勝手な津道の言い解釈ということでしかない」
ということになるのだろう。
そんな連中がいることで、
「店の決めたルールを守らない、客も女の子も後を絶えない」
ということになるのだ。
ただ、当然のことながら、
「ルールをきちっと守っている人もいる」
そんな人は、
「自分の目標がハッキリしていて、働いている意義を感じることができるから、目標に向かって進むには、決して無理をしてはいけない」
ということが分かっている。
しかし、
「ただ、お金がほしい」
という人は、それこそ、
「お金の亡者」
のようになってしまい、目標が見えていないので、
「お金がいくらあってもいい」
と思うようになると、その欲はとどまるところを知らない。
結局、
「お金が手に入れば手に入るほど、どんどんと不安が募ってくるということになるのではないだろうか?」
それこそ、
「不安への無限ループ」
ということでの、
「負のスパイラル」
といってもいいのではないだろうか?
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