指針

藤山秋

 

 私の通っていた幼稚園では、毎年十一月にお遊戯会が開かれていた。ダンスと劇という二つの演目があって、どちらか一つに希望して参加する形式だった。三年間のうちで必ずどちらにも出演しなければならず、年少さんと年中さんのときにダンスを踊った私は、最後の年にいよいよ劇に出ることになった。「年長さんのときにやる劇の方が、セリフも出番も多いはずだよ。だから、年少さんと年中さんのときにダンスを踊って、年長さんで劇をやろうね」初めてのお遊戯会の前、母にそう説かれた私は劇に出ることを非常に楽しみにしていた。目立ちたがり屋で出しゃばりな私は、大勢の人に注目される機会が待ち遠しくて仕方がなかった。

 九月の下旬、いつもはひらがなの練習をする時間に、先生は「じゃあ、今日はお遊戯会のお話をしましょう」といたずらっぽくほほ笑んだ。みんながわあっと声を上げて、わたしダンスがいい、ぼくは劇の主役がいい、と口々に騒ぎ始める。先生は口に人差し指を当ててみんなが静かになるのを待ったあと、丁寧な口調で説明を始めた。

「今年もダンスと劇をやります。今からそれぞれ説明するので、どっちがいいかなーって考えながらお話を聞いてね。まず、ダンスはこの曲を踊ろうと思います。みんな聞いたことあるかなー?」

先生はそう言って、その年に大ヒットしたドラマの主題歌を流した。一斉に知ってるー!と声が上がり、立ち上がって踊りだす子までいた。

「はい、静かに!もう踊れるよって子もいますね。たのもしい!じゃあ次は、劇のお話をしますね。みんなには、この本の劇をやってもらおうと思います」

 見せられたのは、戦隊ものの絵本だった。教室の本棚に何冊も置いてあるシリーズ本のなかの一冊で、五人組のヒーローがわるものをやっつける、そういうありふれたお話だった。

 当時から本が大好きだった私は、教室にある絵本など細かな言い回しを暗唱できるほど読み込んでいて、先生が登場人物やあらすじの話をしているころには、その長い話に飽き飽きていた。とにかく、ピンク色のヒーローの女の子がやりたくてうずうずしていた。他のかっこいいヒーローたちとは違い、女の子らしく可愛くおしとやかで、出番が多くてセリフも長いメインキャラクター。絶対にこの子がいい!ステージの上でわるものをやっつける自分を想像してうっとりした。

「今日は説明だけにして、帰ったあとにおうちの人と相談してどっちに出たいか決めてください。劇に出たいよっていう子は、何の役をやりたいかも考えてきてね。明日決めようと思います。わかったかな?」

 はい!みんなの声に混ざって、私も力いっぱい返事をした。帰ったら真っ先にこの話をしよう、と心に決めて、そこからの活動は上の空だった。

 パートをしている母は、帰りの時間ちょうどには迎えに来られなかった。だからいつも絵本を読んだり粘土をこねたり、そういうことをして時間をつぶしていた。でもそれらは幼稚園の休み時間ほど楽しくはなくて、時計ばかり見ていたのを覚えている。

 母が迎えに来るのは、みんなが帰ってから大体一時間後だった。いつもすみません、と謝りながら教室にやってくる母は、私の姿をみとめるとほっとしたような安堵を浮かべる。私は水筒やスモッグなどを鞄に詰めて、先生にさようならを伝えて母と一緒に帰路についた。

 家に帰るのも待ちきれず、車に乗り込むなり「今日、劇のお話されたよ!」と口火を切った。なんのお話になったの、と穏やかに尋ねる母に、絵本の題名を告げる。ダンスに採用された最新の曲と違い、やや年代の古いその絵本を母も当然知っていて、「楽しみだねえ」と朗らかに笑っていた。

「あのね、わたしね、ピンクの役やりたいの!」

 そう宣言した私に、母の笑顔がすこしこわばったのがバックミラー越しにわかった。私はそのころからなぜか、助手席に乗ることをとても怖がっていた。

「なんでピンクの役がいいの?」

「いちばんかわいいから!」

 そうだね、一番かわいいよね、と母はゆるやかに首肯した。退勤ラッシュの道路はとても混雑していて、わずか数十メートルを抜けるのに数分も要した。絶対やりたい、このシーンをやるのが楽しみ、と興奮して熱弁する私に規則正しく相槌を打ち、そしてやっと信号を二つ曲がったあと、母はゆっくりと口を開いた。

「あのね、私はあなたのことをとってもかわいいと思うし、実際に何度もそう伝えているけれど、それは私があなたの親だからであって、あなたは世間的にはかわいくないのよ」

 母は普段と全く変わらない調子でつづけた。

「ああいうかわいい役は、ゆなちゃんみたいな子がやるのよ」

 車内に一瞬、しん、と沈黙が下りた。私が母の言葉を咀嚼している間、実際にはもっと長い沈黙が下りていたけれど、あの一瞬だけは確かに沈黙だった。私は漠然と、ああ、そうなんだ、と思った。わたしって、実はかわいくないんだ。普段わたしのことをかわいいかわいいってほめてくれるお母さんが、お遊戯会でかわいい役をやらせるのは避けたいと思うほど、わたしってかわいくないんだ。劇を楽しみにしている娘にそれを伝えなければならないほど、わたしってかわいくないんだ。

「もっと他の役が似合うんじゃないかな。ほら、お友達は何の役をやりたいって言ってるの?同じような役にしたら、練習とかも一緒にできるんじゃないかな」

 困ったように笑う母から、別に意地悪でこんなことを言っているわけではない、ということがはっきりと伝わってきた。この人は本当に、わたしがお遊戯会でピエロになって他の保護者に笑われるのを、あるいは同級生に残酷に指摘されるのを憂いだだけなのだろう。本当はそんなこと伝えたくなくて、でもやむをえず、だから優しくフォローまでしてくれているのだろう。そう思うと、わたしは恥ずかしくなって俯くでも悔しくなって泣き出すでもなく、ただ、わたしはピンクのヒーローにはなれないのだという事実を受け止めるしかなかった。

 次の日、役を決めるときに、私は希望の役に手を挙げなかった。私はヒーローに助けられるガイコツの役に決まって、ピンクのヒーローにはゆなちゃんが選ばれた。

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指針 藤山秋 @ToyamaAki_264

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