長い沈黙の後に、おれはふたたび椅子ごと男の体を持ち上げて元の体勢に直した。

 男は拍子抜けした様子でこちらを見上げている。

 まさか信じてもらえるとはな。どうせまた蹴り上げられると思っていたよ。

 信じるさ。この話を聞くのは二度目だからな。

 男の顔にわずかな驚きの色が滲んだ。

 あの場にいたやつらを捉えたのか。

 いいや、おれが最初にこの話を聞いたのはおまえの組織の構成員からではない。被害者だ。

 まさか。赤ん坊の母親もあの後に殺したはずだ。

 ああ、彼女は遺体で発見されたよ。ふた目と見られない痛ましい姿でな。

 じゃあ誰が——

 言いかけて、男は部屋の隅にいる書記官に顔を向けた。

 あんた、もしかして——

 ようやく気づいたか。彼はあのときの赤ん坊の父親だ。おまえたちが殺し損ねた。

 おれは目配せをして、書記官を呼び寄せた。男の顔が引き攣っていく。

 こいつの話は合っているか。

 書記官に扮した父親は首を横に振った。

 大筋は合っていますが、正しくありません。

 その声はか細く震えていた。

 つまり、こいつは嘘を吐いているわけだな。

 はい。

 教えてくれ。

 まず、この男は赤ん坊を踏み殺してはいません。

 誰が赤ん坊を殺した。

 わたしの妻です。彼らに引き立てられ、無理やり脚立に登らされました。そして、突き落とされたのです。彼女がお腹を痛めて産んだ我が子の上へと。くだらない賭けを成立させるために。

 きみの細君を突き落としたのは誰だ。

 わたしの目の前にいる、この男です。こいつは仲間たちに斑猫と呼ばれていました。

 男が大声で遮った。

 嘘を吐いているのはこいつだ。おれは斑猫じゃない、おれも無理やりやらされたんだ。

 おれは髪を鷲掴みにして男の耳元で囁いた。

 それなら、どうしておまえの足はそんなに綺麗なんだ。

 黙りこむ男を横目に、おれは赤ん坊の父親に向き直って宣言した。

 きみの仇討ちは承認された。この男は正式にきみの所有物だ。なにをしようと咎められることはない。

 彼は一礼した後、壁に掛けられた松明を手にとって斑猫に歩み寄った。

 悲鳴と哄笑が交錯した。それはやがてひとつに溶けあった。

 それはとても甘美な響きだった。了

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Demon Entrails 古野愁人 @schulz3666

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