暴力小説って何なんでしょうか。
暴力ってきわめてありふれたものですから、書き手の自覚の有無にかかわらず大抵の作品には直接的ないし間接的な暴力が描かれているわけで、暴力的な描写のある小説を暴力小説として認めてしまうと、ほとんどの小説が暴力小説に当てはまってしまうんですよね。
つまり、単に暴力的な描写があるだけの小説は暴力小説とは呼べないのではないかと個人的にはそう思うわけです。
では暴力小説とは何かと言いますと、これはまあ単純な話で、探偵が主人公の小説は探偵小説、悪漢が主人公の小説は悪漢小説と呼ばれているのですから、暴力そのものを主人公とした小説であれば暴力小説と呼んで差し支えないだろうと。
主人公。すなわち舞台装置ではない、物語の主題としての暴力。
「暴力という言葉を用いずに暴力の本質を表現している小説」と言い換えることもできるでしょう。
以上がわたし個人の考える狭義の暴力小説なわけですが、一方でそもそも暴力というもの自体がとても多面的な概念なので、人それぞれの暴力があって然るべきなんですよね。
ちなみにわたしは暴力を「快楽および破滅と渾然一体となった、抗しがたい重力のようなもの」だと認識しておりまして、それを文章で表現した作品がこのたび第二回大暴力小説大会にエントリーした「血臭」となります。
「血臭」はあくまで企画のレギュレーションに沿って執筆した掌篇ですが、「愚者の火」は何にも縛られず思うままに書き殴った倫理観皆無の陰惨な地獄のごとき短篇に仕上がっていますので、「血臭」が気に入ったという物好きな方がいらっしゃいましたら是非こちらもお読みいただけますと幸いです。