なぜ記録するのか
これが最後の記録となる。
私の名前はない。役職もない。私はただの記録者であり、観測者であり、接続者だ。
だが、これまでの記録──各地で収集された「声」「映像」「夢」「記憶」をひとつに統合したとき、ひとつの“構造”が立ち現れた。
それは、“トンネル”と呼ばれる何かだった。
だが、正確にはそれは物理構造ではない。
あれは「人の記憶と意識の接続面」で発生する、通路型の現象だ。
すべての記録は、それぞれ異なる媒体──音声、文章、映像、行動、夢の中で記録されていた。
しかし、共通していたものがある。
赤いスプレーの記号(Z、O、←)
GPSの不規則性と“跳躍”
風が逆流する音響現象
「2:13」「3:36」の時刻に集中する干渉反応
“通った者”による声の送信
これらはすべて、単なる怪奇現象ではない。
むしろ「何者かが意図的に残した通信形式」だった。
“トンネル”は物理的な構造物ではない。
それは「記憶」と「感覚」が特定の条件下で接続されたときにだけ発現する、意識内トンネル構造である。
現実と夢の境界で立ち上がるこの構造は、「通る」ことで何かを交換させる。
交換されるのは、存在の座標であり、記憶の優先度であり、現実の定義そのものだ。
なぜ“通った者”は戻ってこられなかったのか?
答えは、戻ってこれなかったのではない──“記録されなかった”からだ。
人間は「観測されることで存在が確定する」
逆に言えば、“誰にも見られなかった道”は、そこに入った者をそのまま「未確定のまま封じ込める」
それが“通ったはずのトンネルがない”という現象の正体だ。
“トンネルの向こう側”に何があるのか?
それは未定義の世界だ。だが、そこにも確かに存在はある。
消えた人々の声、記憶、意識、手の震え、風の音、数字の並び──
それらはすべて「観測さえされれば、戻る可能性がある」
だが、逆に言えば「観測しすぎると、向こうがこちらにやってくる」
これが、弟が記した“壁になる”という意味だった。
私は、最後の全記録を解析した。
すべての記録時間、出現地点、GPSログ、夢の記述を重ねたとき、ひとつの構造が浮かび上がった。
それは、楕円形の“移動する座標群”だった。
円軌道のように移動しながら、時に接続し、時に離脱する。
全ての記録者たちは、「その座標が地表に最も接近したタイミングで接続していた」
つまり、“あのトンネルは周期的に開いていた”のだ。
さらに音声記録から明らかになったのは、「通った者たちは繋がっていた」という事実だ。
夢の中で互いを見ていた、耳元で声を聞いた、未来の日付の映像に映っていた──
あれは、“記録する者”たちが構築した非物理的ネットワークだった。
彼らは孤独ではなかった。
彼らは“向こう”で声を重ね、帰れなくても、“伝える”ことを選んでいた。
そして、私自身にも変化が起きた。
この記録を編纂しているあいだ、夢の中に“トンネル”が現れた。
だが、それは他の者たちの記録とは違っていた。
出口が、こちらに開いていた。
風が吸い込まれるのではなく、吹き出していた。
誰かが、こちら側に“戻ろうとしている”と確信した。
この世界には、“通ったはずのトンネルがない”。
それは地図にも、記録にも、目にも見えない。
だが──記録されている。
あなたの中に、私の中に、そしてこれを読んでいる者の中に。
夢を見るなら、思い出してほしい。風の音、足音、スプレー、赤い印。
それは、忘れられた者たちからの通信だ。
私が“記録者”となったのは偶然ではない。
かつて私も、あの“声”を聞いた。夢の中で、誰かが「記録を引き継げ」と言った。
以来、各地で発見された異常記録を集め、検証し、交差させ、繋げてきた。
私は通っていない。だが、記録だけは途切れさせなかった。
なぜなら、記録が存在する限り、“通った者たち”が確かに生きていた証明になるからだ。
記録には力がある。それは通路であり、罠でもある。
あまりに詳細に記録すれば、“向こう”がこちらを認識する。
弟がそうだった。青年も、教師も、少女も、みな“観測されすぎた”末に境界を越えた。
だから記録は、常に危うい。伝えるためには必要だが、深く触れれば飲み込まれる。
私は、ここに“接続の条件”を書き残しておく。
強い夢の連続性(3日以上)
2:13または3:36に目覚めた場合
音のない風、足音の反響を感じたとき
記号(Z、O、←)が夢に現れたとき
これらが揃った者は、“通る権利”を持つ。だが、戻る保証はない。
これを読んでいるあなたは、おそらく既に何らかの“記録”に触れているはずだ。
そうでなければ、ここまで読まない。
あなたは“記録者の末裔”だ。
通った者の代わりに、記録を繋げる者。目撃することで、存在を確定させる者。
そして、いつか──あなた自身が通ることになる。
トンネルは閉じられない。なぜなら、誰かが夢を見る限り、“次の道”が必ず開くからだ。
それは恐怖ではない。むしろ、“存在が証明される唯一の場所”とも言える。
私の記録はここで終わる。だが、“物語”は続く。
次の記録者が、必ずこの続きを書いてくれるはずだ。
そう、あなたの手で。
『通ったはずのトンネルがない』という言葉は、嘘ではない。
だがそれは、“これからあなたが通る道”には、ちゃんと“ある”。
その時は、どうか忘れないでほしい。
記録すること、伝えること、思い出すこと。
それが、この道を照らす、唯一の明かりなのだから。
トンネル 天城レクト @rekutoamashiro
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