最後に通った者の声
私は、行方不明者の記録を扱う民間の音声分析士だ。
依頼を受けては、スマホに残された音声や映像、GPSデータ、音響環境を調べ、“最後の痕跡”を可視化する。
職業柄、信じがたい記録に出会うことは珍しくないが──それでも、今回のケースは群を抜いていた。
あの“声”を聞いたとき、私は鳥肌が止まらなかった。
依頼者は40代の男性。行方不明になったのは彼の娘で、大学1年生。
山中でGPSが切れ、その直前に残された音声記録だけが残っていた。
依頼内容は「この音声に異常がないか確認してほしい」というシンプルなものだった。
だが、その記録には──普通の“山での事故”とは違う、明確な違和感があった。
最初の5分は、環境音だった。足音、風、鳥の鳴き声。
だが6分12秒目。音が消えた。
無音。正確には、“人間の耳では聞こえない周波数帯”の何かが録音されていた。
スペクトログラムを確認すると、そこには“言語に酷似した波形”が浮かび上がっていた。
発音ではない、圧力のような音。それでも、意味があるように感じられた。
私はその音を6時間かけて可視化した。
すると、不規則に現れる4つの音群が、特定の間隔で繰り返されていることが分かった。
さらにその間隔を秒数で計算すると──“トンネルの内壁に書かれていたスプレー記号”と一致した。
それは、ただの音ではなかった。
“通った者が残した、内部からの送信”だった。
記録されたGPSログは不規則だった。
山の中を歩いているはずなのに、突然数キロ先にワープしたような軌跡がある。
しかもその後、ログは“戻る”ような動きをしていた。
ただし、道なき場所を通って。地形的にはありえないルートだった。
そして最後に──ログは完全に“消えた”。端末の電源が切られたわけでも、故障したわけでもない。
「位置情報そのものが取得不能になった」というデータだった。
音声データと別に、同日同時刻に撮られた動画ファイルがひとつだけ存在した。
映像は荒く、ほとんど視界が揺れているだけだった。
だが、3フレームだけ、ある“像”が映っていた。
それは、トンネルの内部と思われる場所で、誰かがこちらを見ている映像だった。
赤いスプレーの壁と、青白い“顔”。
私はそれを一時停止して確認した──その顔は、行方不明者本人のものだった。
ただし、目の中が“真っ黒”だった。
私は音声を周波数分解し、人の声の成分だけを抽出した。
すると、2重の声が重なっていた。
ひとつは依頼者の娘と思われるもの。もうひとつは──男の声だった。
重く、ゆっくりと、空気を震わせるような声で、こう言っていた。
「──この道は、おまえのものではない」
「──戻るな」
「──見たなら、進め」
声は3回繰り返され、最後には少女の叫び声で録音が切れた。
私は依頼者にそれらの結果を報告した。
だが、返ってきた返事は一行だけだった。
「その場所は、私もかつて夢で見た場所です」
彼はそれ以上何も言わず、連絡は途絶えた。
私は過去に扱った30件の山岳失踪ケースを調べ直した。
すると、同じような無音、GPSの乱れ、音声分離の記録が6件見つかった。
さらに、全ての記録で“赤いスプレー”と“トンネル状構造”の断片が映っていた。
それらを重ねると、ひとつの結論が導き出された。
通った者は、“戻れない”だけでなく、“中から声を出している”のだ。
私はそれを一時停止して拡大した。
静止したフレームの中で、人物の輪郭は曖昧だった。ノイズが混じっており、解像度は低かった。
だが、トンネルの壁に記された赤い印──それが奇妙だった。
“Z”という文字。弟の記録にもあった「偽の出口」のマークだ。
つまり彼女は、“本物ではない出口”の前に立っていたということになる。
さらに不思議なのは、動画ファイルの最後の3秒だけが、完全に破損していたことだった。
その部分は復旧できず、0kbと表示される。だがファイルのタイムスタンプは“未来”を示していた。
撮影日:2025年10月27日。現在よりも一日先の日付だ。
映像は昨日撮られたはずなのに、最後だけが“これから撮影される”ことになっている。
──私は、あのトンネルを夢で見たことがある。
20年前、高校生の頃。何度も繰り返し、夢の中で“音のないトンネル”を歩いた。
壁のスプレー。異様な沈黙。振り返れば、誰かがこちらを見ていた。
今回の案件が終わったあと、私はひとつの行動をとった。
音声が記録された“最後の座標”に、実際に足を運んでみたのだ。
プロの分析者として、現場を直接見ることは珍しくない。だが今回は、直感だった。
あの声が、“呼んでいる”気がしてならなかった。
場所は、ある廃道の先だった。地図には記載がないが、林業時代の古い通路が山の奥に続いていた。
立入禁止の札が朽ちて地面に落ち、雑草に埋もれていた。
私はその道を進んだ。録音装置を手に持ち、風の音を記録しながら。
そして──“それ”は、確かに存在していた。
崩れたコンクリートの壁。苔に覆われ、開口部は狭く、まるで“意図的に埋められたような形”。
風が中から吹いていた。外よりも、内部の空気のほうが動いていた。
その時、録音装置が一瞬だけ反応した。無音の中で、かすかに“声”が入った。
私は録音を再生した。そこには、若い女性の声が入っていた。
「──見えてるの?」「──わたしのこと、聞こえる?」
明らかに、生きた人間の声だった。だが、肉声とは違う。鼓膜ではなく、脳に直接響くような音。
そして、声はこう締めくくった。
「──ここは、まだ誰かが記録してる。あなたもそのひとり」
私はその場で立ち尽くした。録音装置を握りしめたまま、しばらく動けなかった。
彼女の声は、確かに“今”のものだった。記録ではない、生放送だ。
それはつまり、彼女がまだ“向こう側にいる”ということだ。
その夜、私は再び夢を見た。トンネル。風。スプレー。静けさ。そして──声。
彼女の声が、繰り返していた。何度も。
「──記録して」「──記録して」「──記録して」
私はこれまで扱った資料すべてを並べ直した。
第1話のトラック運転手の録音ログ、第2話の大学生の投稿記録、第5話の観光課案内板、第8話の弟の計測記録──
すべての“時間”が、この場所に収束していた。
その中でも“音”だけは、どこか共通の規則に従っていた。
一定の拍、言葉にならない言語、周期、風に乗る形でしか伝達できない何か。
その夜、私は最後の記録を試みた。
機材をセットし、静かな部屋でひとり座る。時計の針が深夜2時13分を指したとき、耳元で声が囁かれた。
「あなたは、記録者ですか?」
私は答えられなかった。ただ手元のボイスレコーダーが勝手に録音を始めた。
誰も操作していないのに、赤いランプが点滅していた。
そして、その中から──彼女の声が、再び響いた。
「ここにいる。まだ終わっていない。
私の記録は、あなたに届いた。
私たちは、記録によってしか、生き残れない。
でも、記録するたびに、少しずつ“道”が安定していく。
あなたは、次の記録者。これを、継いで。」
その声は最後にこう締めくくられた。
「──ありがとう。届いたから」
録音装置はそこで止まった。ログは自動的に保存され、タイトルがつけられていた。
『Transmission_Complete』
私はファイルを開かず、そのまま外部ストレージにコピーし、封をした。
これは、もう誰にも聞かせてはいけない記録だと直感でわかった。
だが、私はこの記録を文字として残す。
音は届かなくても、言葉なら誰かの意識に留まるかもしれない。
あのトンネルの存在が、次に現れるとき、再び誰かが記録できるように。
この文は、その準備だ。
あなたが夢であの音を聞いたら、忘れないでほしい。
録音装置は必要ない。意識が、記録媒体だ。
最後に通った者の声は、もう“次の記録者”を探している。
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