星の涙は炎に紛れ、方舟は宇宙を彷徨う

あっとわーく

本編

 銀の星屑が、視界の隅を流れていった。


 宇宙船の船窓に映る母星〈ルセア〉は、今まさに燃え尽きようとしていた。碧く美しかったその星は、戦火に呑まれ、空から黒煙を立ち上らせている。幾千の都市が崩れ、幾億の命が絶たれた。その一つひとつの灯が、王女の胸の奥で静かに弔われていく。


 この戦争は、不可避ではなかった。


 〈ルセア王国〉は、軍事力に乏しい小国だった。星系全体を支配する大国〈ヴァルゼル帝国〉の喉元に位置しながらも、優れた外交と冷徹な謀略で、長年その存在を保ってきた。王女レイナの父王は“笑う毒蛇”と呼ばれ、強国同士の間隙を縫って生き延びる術に長けていた。


 だが、その均衡は一つの誤算によって崩れた。


 レイナの兄が主導した作戦――ヴァルゼルの中枢に送り込んだ密偵の反乱計画。それが露見したのだ。裏で糸を引いていたのが〈ルセア〉であると発覚した瞬間、帝国は迷いなく星を焼き払う決定を下した。宣戦布告すらない、電撃的な殲滅戦。ルセアの防衛網は一日と持たず、王都は数時間で陥落した。


 ♢♢♢


 王宮は既に焼け落ちていた。


 砲撃で崩れた回廊を、レイナとユンは防護マントを翻して駆け抜けていく。爆音が耳を打ち、瓦礫が降り注ぐ中、ユンは王女の手をしっかりと握っていた。あちこちで兵たちが最期の抗戦を試みていたが、帝国の機械兵の前に次々と倒れていく。


 〈第七脱出路〉。それが唯一残された逃走経路だった。父王は最後の会議で、レイナに言ったのだ。


 ――希望を繋げ。王家の血が絶えれば、ルセアの名も歴史から消える。


「姫、急いで」


「……っ、みんな……!」


 途中、レイナは焼け落ちた玉座の間を見て足を止めかけた。だがユンは迷わず、王女を背に担ぎ上げて駆け出した。彼女の体は震えていた。悔しさか、恐怖か、それとも――罪悪感か。


 脱出口は地下迷宮を経て、宮殿から遠く離れた岩山に開いていた。半壊したポッド用のハッチが姿を現す。


 だが、そこにいたのは敵兵だった。


 黒鋼の装甲を纏った帝国兵が、無言で銃口を向ける。ユンはレイナを背後に庇いながら、即座に抜刀する。刹那、火花と共に閃光が走る。


 一振り。


 二振り。


 三体の兵が倒れた。


 ユンの呼吸は荒い。だが、眼光は揺るがない。彼の剣は、生き延びることだけに向いていた。


「乗ってください、姫」


「……ユン。あなたは……」


「行きます。どこまでも、共に」


 王女が無言で頷いた瞬間、船体に火が灯る。古びた緊急脱出船は、唸りを上げながら稼働を始めた。


 発進の衝撃と共に、地面が大きく揺れる。王女が最後に見たのは、燃え上がる大地と崩れゆく王城、そして遥か上空に浮かぶ敵艦隊だった。


 ♢♢♢


「……我が星は、もう戻らぬのですね」


 震えるようにこぼれた言葉は、船内の静寂に吸い込まれ、まるで宇宙そのものがそれを飲み込んだかのようだった。


 王女〈レイナ〉は、ゆっくりと立ち上がる。震える膝を押さえ、船窓へと歩み寄る。その目に映るのは、死にゆく母星――ルセア。かつては海が煌めき、草原が風に揺れ、人々が笑って暮らしていた星。それが今は、火に包まれ、叫びも届かぬほど遠く、ただ燃えている。


「……あの空の下で、私は生まれ、学び、愛した」


 独り言のように呟きながら、窓に手を触れる。ガラス越しに触れられるはずもないその星に、指先が震えながらそっと伸びる。


 その時、背後から低く静かな声が届いた。


「姫……時間です。航行を開始します」


 それは従者〈ユン〉の声。静かで、揺るがぬ忠誠の響きを孕んでいた。


 レイナは、ふと肩越しに振り返る。


「……ユン。あなたは、どうして逃げなかったの?」


 その問いに、彼は一歩近づき、真っ直ぐに姫を見つめる。その目には悲しみも迷いもなく、ただ揺るがぬ決意があった。


「姫を置いて生き延びることこそ、私にとって最も恥ずべき選択でした。私は、姫と共に生き、姫と共に滅ぶ覚悟でここにおります」


 レイナは唇を噛み、視線を落とす。そして、そっと目を閉じた。


「……あなたがいてくれて、本当に良かった」


 そして目を開ける。深い涙の色を湛えたその瞳で、再び母星を見つめる。


 静かに、深く、頭を下げた。誰もいなくなった王国への、誰にも届かぬ祈り。


「さようなら、ルセア……愛しき我が星よ。あなたの記憶は、私が背負います」


 船が静かに動き出す。エンジンが低く唸り、船体が空間を滑るように加速していく。宇宙が揺らぎ、ルセアは遠ざかっていく。星の輪郭がぼやけ、やがて一粒の淡い光となった。


 レイナは、その光を見つめたまま、涙をひとすじ流した。


「ありがとう……ルセア。私を育ててくれて……私に、誇りを与えてくれて」


 その涙は、失ったものへの哀悼であり、残された者としての誓いでもあった。


 亡命船は銀河の深淵へと滑り込む。滅びの果てに、それでもわずかな希望を抱いて――



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